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対立じゃなくて対話でいこう。

先日、娘が10歳の誕生日を迎えたのですが、

誕生日にやりたいことがあると言って
提案してきたのは


「おばあちゃんの家で1日過ごしたい」


でした。


1週間のど真ん中の水曜日。


土日にしてくれたらいいのに
弟は学校だし、文句言うよなー
元気なのに学校休むのはどうなの
10歳の節目、うちで過ごさないんだ


私の脳内でいろいろ飛び交いました。


常識とか習慣とか、学校への連絡とか笑
あと弟とのバランスとか考えてしまうと
ブレーキかけまくるんですよね。


でも、

長い長い人生のうちのたった1日だし
広い広い世界の片隅でそれをしたって
なんてことない。

むしろ娘が自分のやりたいことに
ブレーキかけない人になってくれた方が
世界は変わるかもしれない。(大袈裟)


ということで

結論


おばあちゃんがOKなら、OKだよ


ということになりまして
前日からお泊まりして、丸1日楽しんできていました!



ちなみに、

さっきの脳内の言葉も
私は伝えるようにしています。

思ったことは、思ったことで、真実なので。


でも

私の言葉で子どもたちをコントロールしない


これは意識していますし、
意識せずともそういう関係性になってきたなぁ
とも思います。


昔は(どのくらい前だろう)
コントロールしようとして
言葉を発していたことがありました。

無意識でしたが。


同じような場面があったとしても

「弟は学校に行くんだよ?無理でしょ」

みたいに言って
娘に諦めさせていたんじゃないかと思います。


なんなら

「あのさー」

って言うだけで
コントロールできてしまうこともある。


もっと言うと

「態度だけで」

いやもっと言うと

「そこにいるだけで」

相手をコントロールする存在にもなれる。

(そういう人、周りにいませんか。)


でもそれって、

人権侵害ですから!!


すべての人に、自分の幸せを追求する権利がある


のです。


なのに
特に子どもたちは

諦めさせられてしまう
自分のやりたい思いを言うことすらできない
自分の幸せを考えてしまう自分が悪いとすら思ってしまう


そんなふうにはさせたくない。


そして、もちろん
私たちにもその権利
幸福追求権はあるんですよ。

だから、私は思ったことは言う。


もし娘の10歳の誕生日を絶対に家で一緒に祝いたい
という思いが強いのなら

それをちゃんと伝えて、話し合って、
お互いに納得した上で決めていたと思う。

今回はそれはなかったですけどね。



家族間でも、職場でも、

それぞれに幸せになる権利があるからこそ
難しさも出てくるんですよね。

でも

話し合えばわかる、と私は思っています。

コントロールしないしされない
相手の思いを大切にする
自分の思いも大切にする
尊重し合う、信頼し合う

そういうことがベースにあれば。


もう、
これがみんなの当たり前に
なっていればいいのに、と思ってしまう。


そういう理想をもちつつも

まずは

自分の側でできることとしては

自分の思いと相手の思いの
「境界線」を引く

そして

脳内で繰り広げられている言葉に
一喜一憂せず

自分の思いを冷静に言語化する

嫌だと思っているのは何で
どうしたいと思っているのか

そしてお互いのことを考えた上で
どうしたらいいか、何ができるか考える、話し合う



思考や感情に振り回されず
脳内を言葉にしていけるって
めちゃくちゃ大事なことなのです!!


図らずも
私は教員として
小学生の子どもたちの脳内の
ひっちゃかめっちゃかを
整理する仕事をずっとしてきたので
自然とできてしまうのでしょうね。


ただ、自分自身に関しては
ぜんぜんできなかった。


何か引っ掛かりがあっても整理しきれないまんま
思ったことがあっても蓋をして放置もしてたし
年々溜まっていっていたんだと思う。

それで仕事と育児でキャパオーバーになって
やっと外に出して整理し始めて

自分の言葉が出せるようになり
本音で対話できるまでになりました。



生きる上で、人と関わることは外せない。

揺さぶられたまんまの表現では
対立になってしまう。

一旦立ち止まってみよう。そして
冷静に、内にあるものを言葉にする努力を。


自分も相手も幸せになるために。


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