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A.ドヴォルザークについて 4
それでは前回の3回の復習です。
音楽学校卒業後、1859年18歳でカレルコムザーク楽団でヴィオラを弾きながら、作曲も続け、その後首席指揮者でやって来たスメタナの薫陶を受け、1871年30歳で初めて公の場所で作品が演奏され、1873年32歳の時に賛歌「白山の後継者たち」(Op.30)初演で、作曲家として最初の成功を収める。
という話でしたが、青年期の話は面白くないのでしょうか、この3回は閲覧件数
A.ドヴォルザークについて 3
さて、3回目です。1回、2回と、ドヴォルザークの生まれた時代背景と、生まれてから作曲家として独り立ちするまでお話してきました。今日は、作曲家として独立をしたドヴォルザークが、どうやってその名声を得るまでになったかをお話ししていきたいと思います。
ちょっとだけ話を戻しますが、ドヴォルザークが卒業後、所属していた楽団といえば、カレル・コムザーク楽団でしたが、この楽団に1871年に指揮者として迎えられ
A.ドヴォルザークについて 2
さて、前回は、ドヴォルザークの弦楽セレナード、チェロ協奏曲についてお話をしようと思ったのですが、ドヴォルザークの生まれた状況についてお話ししました。これはなかなか曲の話までは行けそうにないですねw
それでは前回のお話の重要なポイントの復習です。
15世紀にカトリック教会を批判したフス。フス派ができフス戦争勃発するが急進派は敗れ、穏健派は信仰の自由が認められ、何とか存続。1517年ドイツの宗教改
A.ドヴォルザークについて 1
初めてnoteに書いております。これからどうぞお付き合いください。
ドヴォルザークの弦楽セレナードという曲があります。これは弦楽アンサンブルというジャンルの中ではチャイコフスキーやエルガーの作品と並んで最もポピュラーな作品の一つです。そしてチェロ協奏曲。こちらはチェロ協奏曲の作品の中でも最もポピュラーと言われる曲です。そして交響曲。特に第9番「新世界」は交響曲史上で最もポピュラーな作品の一つです