Kazuhiro

自然や数理、文学や哲学などたくさんの分野について、エッセイを書いています。京都住まい、…

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自然や数理、文学や哲学などたくさんの分野について、エッセイを書いています。京都住まい、起業の準備中。

最近の記事

Happy Birthday to You

その日、僕は25回目の誕生日を迎えた。25という響きは他の年齢とは違い、何か節目の印象を与える。おまけに平方数だ。 いつも通りの朝だった。ベッドから起きて、やかんに火をかける。湯が沸けるまでの時間が好きだ。適当な量の豆を手のひらに乗せて、丁寧にミルでひく。カリカリと音を立てる豆は浅くローストされたモカ。使いなれたドリッパーに粉を入れて、できるだけ細く湯を注ぐ。 昨晩、人事から架かってきた電話のことを思い出した。 「午前の面接の結果次第で午後の面談にもお越しいただくことに

    • この世の小さくて大きな地獄

      お笑い芸人のラランドが好きだ。 数年前「大統領とSP」という漫才を見たとき、一瞬で虜になった。サーヤのとぼけたSP役も、ニシダの不自然に滑らかな横滑りの動き(SP役のサーヤについていくとき)も全部面白かった。 この人たちはいつも何を考えているのだろうと思い、Youtubeチャンネルを覗いてみると、実に様々な(多くの場合はどうでもよいこと、)について2人が話し合っている動画が出てくる。 高学歴かつ下ネタが大好きな大学生が、深夜の渋谷・魚民で夜通しで話している内容を盗み見て

      • 往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #5 かず→みーさん

        どこか涼しいところにいる みーさんへ ワルシャワからの素敵な書簡を頂き、ありがとうございます。またミュシャの版画の写真も愛らしいです。この芸術家の作品には明るくないのですが、独特の立体感は幾重にも刷られた版画が理由なのですね。 「君の名は。」の話も好きです。紐を人の人生に見立てて、その絡み合いを組紐に例えているわけですが、どうしてもこの話は僕に数学や物理のイメージを与えます。なので、今日は思いのまま数理的な話を書こうと思います。 ■紐と定理 昔から数学が3度の飯より好き

        • お見送りと残心

          クアラルンプールに住んでいる前職の先輩が京都まで遊びに来てくれました。京都駅近くのホテルロビーまでお迎えに上がり、2人で近くのクラフトビールバーまで歩いていると、ちろちろと流れる高瀬川。 「京都は河をうまく使った都市設計だよな」と前職のくせが抜けないのか、何かしらの示唆っぽいことを吐き捨てた。鴎外の高瀬舟を思い出しながら、アメリカンコミックのような絵柄が描かれたビールを注文した。 前職はとても厳しい職場環境で、知性のF1レースを毎日していた。できるだけ少ない情報で、より早

        Happy Birthday to You

          寂しさが中央分離帯にぶつかるとき

          京都、夏の朝。暑さの盛りでも、時折やさしく涼しい。 この都市の中心は昔から洛中と決まっているらしく、その洛中とは上京区・中京区・下京区の3つのエリアを指すらしい。ちなみに読み方はそれぞれ「XXXギョウク」。なので、京都大学(吉田)や銀閣寺、そしてラーメンの聖地である一乗寺がある左京区は洛外にあたる。 洛中の鰻屋の女将さんが、「洛外からの京大生には優しくするで、だって4年で出て行ってくれはるから」といけずなことを言っていた。また京都の人は、美人ではない人には「綺麗にしてはる

          寂しさが中央分離帯にぶつかるとき

          往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #3 かず → みーさん

          読書とは一番遠いところから現実に触れること、旅とは一番近いところから空想を描くこと。完璧な対義語。 みーさんへ 昔から、読んでいる本の余白にそのとき思っていたことや日記を書く癖がありました。学生の時トルーマン・カポーティをよく読んでいました。「真夏の航海」という本で、表紙には映画「ドライブ」の時のキャリー・マリガンのようなショートヘアーの美女が、水丸さんによって書かれています(表紙は下)。そういえば、映画「17歳の肖像」の時のキャリー・マリガンは超越的に可愛い。いい映画で

          往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #3 かず → みーさん

          Skoop On Somebody

          ベトナムのホーチミンシティの朝は早い。朝5時ジャスト。辺りは暗く、サングラスをかけると視界は悪い。漕ぎはじめのビンディングシューズがぎゅっと音を立てて、ゆったりとしたスピードでGIANTの自転車を前に進めた。 骨伝導イヤホンからは、この20年間ずっと聞いている音楽が流れている。 東南アジアの朝が、あらゆるすべての時間より好きだ。昨晩の熱を少しだけ残しつつも、湿気を含んだ冷たい空気が草の青いにおいと一緒に鼻に流れ込む。なぜか、芝生とそこに水をまくスプリンクラーのことが思い出

          Skoop On Somebody

          往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #1 かず → みーさん

           平成の最後には似合わない「勝手にシンドバット」がカラオケボックスの隣の部屋から聞こえてきた。バイト先の先輩たちが入っているその部屋から爆音と振動が伝わってきて、少し開いた扉を開けると、男どもが輪っかの列を成しているのが見えた。前の男の腰を両腕でもち、その男もまた後ろの男に腰を持たれていて、全体で円環を作り、サザンのリズムに合わせて、腰を前の男に打ち付けていた。胸騒ぎを腰つきに変え始めた午前3時のことである。「一緒に!!」と言って、自分の前に入れてくれたのがみーさんで、イマナ

          往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #1 かず → みーさん

          木漏れ日、光とそれにまつわる名前のないものもの

           ずっと、「こもれび」について文章を書きたいと思っていた。こもれびという言葉を覚え、使い始めたのはいつのことだろう。その言葉の意味を正確に理解するよりも先に、この言葉が持つ曖昧な、正確に言えば意味自体が曖昧というよりは、この言葉が指す対象自体の曖昧さに強く惹かれていた。「木漏れ日」がこの「こもれび」の漢字であることを知ったのは、それよりもずっと後のことで、確か恩田陸さんの「木漏れ日に泳ぐ魚」という小説に出会ったときだったように思う。この漢字を見た時に、確かにそうだよね、と思っ

          木漏れ日、光とそれにまつわる名前のないものもの

          人生の中で、人は2度会う

          ドイツのことわざ小学生の頃から、ことわざが好きだった。生活(今もあるんですかね、そんな授業)の時間に畳の部屋に移動して、ことわざカルタで遊んでいたことを思い出す。ことわざの意味を表す絵柄が書かれた札の右上に、丸で囲まれた「こ」などが書かれている。この場合、読まれることわざは「光陰矢の如し」で、たしか絵柄には太陽と矢、そしてその影が描かれていたように思います。当時はとても楽しかったけど、思うとあまり絵柄の意味はなくて、先の話だと「こういん・・・・」の「こ」を先に聞いて、それが印

          人生の中で、人は2度会う

          結局、パターンってなんなんだろうか?

          0. パターンの現代的な解釈?パターンという言葉を聞いた時、皆さんはどのような印象を受けるだろうか。「頭のいい人はパターン認識が優れているんだよ」、「あー、またこのパターンや」、「数学は結局パターンの暗記」など、パターンという言葉が日常生活で現れる時、特に現代ではあまり良いイメージを持たれないこともあるように思う。なぜかというと、恐らくパターンという言葉が持つ意味にはどこか「決まりきった型」や「繰り返し同じことが現れる」と言ったらニュアンスが含まれていて、それが「もう答えがわ

          結局、パターンってなんなんだろうか?