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【アリゾナ解剖学実習日記2017/Day2】

2日目無事終了。
「無事」とつけたくなるくらい、
やっぱり毎日精神的に綱渡りなのを
かなり麻痺させている気がします。
先輩ボディーワーカーに
昨日のハイライトを聞いたら
「外腹斜筋の筋肉の繊維の方向!」
と目を輝かせておられるのを見て
「筋膜が生春巻きの皮のように美しい」
とかいう私との感想の格差を感じました。
2日終了時点での
私のハイライトは
晩ごはんの後で。
ということで
デニってきまーす☆


<解剖実習@アリゾナ 2日目 その1>
まだ2日目??という濃密さ。
トーマス・マイヤース先生の陰に
ほぼ隠れているメガネの女が私です^^
そうです。
ボディーワーカーにはおなじみ、
あの「アナトミートレイン」の
トーマス・マイヤース先生が、
天才解剖学者トッド・ガルシア先生とともに
今回の解剖学のクラスを教えてくださるという
すごいクラスなのです。
(詳細はこちら
https://kinetikos.jp/news/tom-myers-dissection-course-2016
まず、午前中のトーマス先生のクラスが90分ながら、資料映像・画像とともにこれだけでも聞く価値があったと思うハイレベルかつ面白い内容。

例えば今日は
「ヴァーチャル・リアリティの時代に生きている私たちにとって
カラダとは何なのか?」
「体と地球との関係の変化が早いレートで変わる。
そのような時代に生きる私たちのカラダにとって
良い準備となる、オリジナルで本質的な動きとは
どんなものなのか?
(16世代引き継がれている、
権威ある伝統のムーブメントで良いのか?)」
というような大きな話から、
「静脈は茹でたパスタ(つまんだら潰れる)」
「動脈はアルデンテのパスタ(中に筋肉があるから弾力がある)」
「神経は茹でる前のカッペリーニ(60-80%がfacia)」
などという解剖の現場での実践的な知識まで、
TEDより面白く伝えてくださいます。
(すごいプレゼン力!)
朝の90分の話だけでこんなに書いてしまったので
解剖の話はその2へ続く。

解剖実習のラボにて


<解剖実習@アリゾナ 2日目 その2>
そうか、時差ボケがなおって来ているのね。
写真↓はラボの前で撮った写真。
スポーツトレーナー、ヴォイストレーナさんたちなど
体を鍛えている人や使っている人が多いので
活力があり明るいクラスで本当に楽しいです。
微妙に近接領域だけど
なかなか交流のない方たちとの知識のすり合わせなども
とても勉強になります!
今日は・・・
一日でも書ききれないほどの感想と
学びがあったのですが
うんとはしょっていくつか書きます。
具体的なところで言うと
私は今日、足底を解剖しました。
(昨日からずっと左の下肢をやってます・・・)
かかとから足の裏にかけてって
本当に他の部位とぜんぜん違う!!
皮膚の厚さ、骨の周りの組織の様子、
脂肪の付き方・・・等々。
だからすごい難しー(;ー;)
(で、やっぱり腱が美しい)
全身の重みを支えるところの特別感というか。
実際見て感じることというのはほんとにすごくて
私は今日をもって
長年疑問を持っていたある問題について
かなりクリアになりました。
(詳細は直接あって聞いてください)
私はカラダを「システム」とか「法則」と
捉えながら触診しているところがあるのですが、
解剖してみると、
「システムで回ってると思っていた会社が
現場の強さがすごかった!」
みたいな感動がひとしおです。
それから今日は
ご献体のそれぞれのチームがニックネームを付けました。
(計8人の方のご検体を、チームに分かれて解剖させていただいています)
(ご遺体の方の情報については名前を含め一切知らされません)
私たちのチームのご献体のニックネームは「ハンナ」。
解剖実習は
当たり前だけど
普通に精神的にハードです。
それはトムが言っていた
「神聖さと、冒涜の感覚の両方を持つかも知れない」
まさに、
その狭間、ではなく
その両方をどちらもmaxに感じ続ける気分。
それがメモリを振り切っているので
耐えられるところまで感性を下げている感覚。
ものすごく正直に書くと
私はそんなふうに感じます。
今日は、お誕生日の方がいらして
最後にラボでみんなにハッピーバースデーを歌いました。
(シンガーがいるから本格的です!)
生と死の両方。
そのどちらのにおいも濃密で
これこそが生きるということなんだと。
その濃密さにクラクラしながら解剖していると
(文化的な要請もあって)
生と死の間にくっきりとひいていたボーダーがうすれて
死者の側にいるはずのハンナが
ものすごくこちらに渡って来て
「協力してくれている」と感じる瞬間が多々あって。
それはこちらが勝手に作り出している感覚だと
分かっているけれどなんかね・・・ 
宇宙は私になぜこれを見せているのだろう、
なぜ私たちは、ここに連れてこられているのだろう、
ハンナが私たちに与えてくださっている
尊い尊い経験に、言葉にならないほどの感謝を感じながら
そんなことを考えていた一日でした。
すんごいつかれます。


読み返してみて、
「私は今日をもって長年疑問を持っていたある問題について
かなりクリアになりました。」
・・・全く思い出せない!💦
何だったのだろう、わたしが気になる。

8人の方のご献体とともにある解剖実習のラボでのハッピーバースデーの歌。声楽家の方が多かった(そしてそのグループは発声に関連する部位をロックオン!状態で解剖しまくっておられた)ので美しいハーモニーがラボに響いて。
濃密な生と死の匂い。
あのとき感じた気持ちは今でも忘れられない。
そしてその気持を言葉にするにはきっと一生かかるのかもしれない。

1日中立ちっぱなしで朝から晩まで解剖しながら、「死」とは、わたしたちが思い込まされていたようなものとは違う、とずっと感じていました。

わたしたちが通常「死」に出会うときは、医療従事者でなければたいていそれは身内の死だったり近しい人だったり、強い悲しみ越しにしか死と対面しない。さらには文化的にもさまざまな意味付けがされ、忌避され、この生の地続きにあるというよりは見えない厚いカーテンの向こうにあるようなぼんやりとリアリティのないものだった「死」。

解剖の詳細を学びながらも、生きること死ぬことについて、強く再考を迫られるような体験でした。

この辺り、小出遥子さんに当時インタビューいただいた記事がありました。
よろしければご覧下さい。

▼わたしの”いのち”観 死を想って生きること
【小笠原和葉さん(ボディーワーカー)の“いのち”観】 – 「生」と「死」の境目はごくごくあいまいなもの –


思えば、
きっとこの経験をしたからわたしは今医学部まで来ちゃったんだろうなあ‥。
まだ2日目、折り返してもいません。つづく。

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ボディーワーカーをしつつ、尽きることのない人の「心と身体」への興味に突き動かされ、東北大学医学部大学院で「拡張した心」をテーマとする研究生…

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