呂后の再評価~史記に記載されなかった呂后の政治改革
〜12月17日 23:30
前回の記事では、胡家草場漢簡「歳記」に基づき、韓王安と韓の最期について再評価しました。
繰り返しになりますが、「史記」にはあえて記載しなかったことや、捏造したことが散見されます。特に呂氏の偉業については、いかに闇に葬り去られたのかを様々な視点で考察を重ねてきました。それをまとめたものが拙著になります。(電子版ではなく書籍版をおすすめします)
今回の記事は、拙著に記載しなかった呂后の再評価です。2018年に発見された荆州胡家草場漢簡「歳紀」には、呂后の施政について、「史記」には見られない新しい情報や異なるタイミングでの出来事が多く含まれています。
荆州胡家草場漢簡「歳紀」と司馬遷「史記」を比較しながら、なぜ呂后の偉業が記載されなかったのかを推察していきます。
「予吏仆養」…官吏や僕役への待遇改善
「歳記」に、呂后元年(紀元前187年)、「予吏仆養」という政策が実施されたという記載がありました。
この1件だけ見ても、呂后が実験を握った前漢政権において、彼女が圧政や悪政を敷いたわけではなさそうです。働きやすい環境を整備し、契約に基づく労働を奨励したようです。
面白いことに、「史記」にはこの政策に関する記載がありません。一級資料にすべく書かれた史書であるならば、「呂后本紀」の中に呂后の偉業を書くべきでした。
「赐天下户爵」…天下戸爵の賜与
これも「歳記」に記載がありました。呂后が「天下の戸(家族単位)に爵位を授与した」と記録されています。具体的には、呂后元年(紀元前187年)2月乙卯の日に行われたとされています。
漢初期の他の皇帝たちも行ったことからも、機能していた政策だと考えられます。 「史記」にも「呂后が民衆に爵位を授与した」という記録はありますが、具体的な日付や詳細な背景については言及されていません。この点で、「歳記」はより詳細な情報を提供しています。
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11月17日 23:30 〜 12月17日 23:30
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