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韓王安の最期~胡家草場前漢墓「歳記」より

漫画キングダムでは、秦と韓がついに激突。秦は中華統一に向けた仕切り直しの一戦で絶対に負けられません。一方の韓は、敗戦=滅亡なので、こちらも絶対に負けられない戦いです。

以前、秦による韓攻略戦について記事を書きました。「史記」に記載の内容をベースに予想を立てています。

今回は、新たに発見された遺物から、史記の記述を再検証してみたいと思います。


2018年に発見された「歳記」

2018年、湖北省荊州市の胡家草場前漢墓から4000枚以上の簡牘(かんとく)が出土し、そのなかに「歳記」というものがありました。秦の昭襄王から始皇帝を経て、前漢文帝に至る年表160枚もの簡牘が見つかっています。

実は、日本語ではこの「歳記」について書いている人が非常に少なく、知らない方も多いと思います。

私の記事をいくつかご覧になった方は既にご存知かと思いますが、個人的に「史記」は司馬遷による創作・捏造が一部含まれており、一級資料とは認めつつも、再評価が必要だと考えてきました。特に呂氏について拙著にまとめたわけですが、それ以外についても史記以外の資料が発掘されるということは大変良いことではないでしょうか。

紀元前の資料が次々に出てくるのが中国古代史のダイナミックなところでもあります。韓王安についても、この「歳記」の発掘によって史記の再評価が必要です。

「歳記」に記載された韓王安

「歳記」には、韓王安について下記の記載があります。

“十六年, 破(韩),得其王,王入吴房 。"(简1538)

「歳記」より

「得其王」は「韓王安」のことだと思われます。

「呉房(吴房)」は現在の中国河南省遂平県に位置する地域です。歴史的には、春秋時代の房子国に由来し、楚国によって「吴房」と改名されました。

現在の河南省遂平県の場所

直訳すると、「始皇16年(紀元前231年)に、韓王安は呉房に入った(移住した)」という意味になります。

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