「仕事はやりがい」を口にしてはいけない本当の理由
また刺激的な記事を書きました。笑
たまに「仕事はやりがいを持って取り組むべきだ」的なこと言う人いるじゃないですか?
で、まぁ一般的な反対意見としては、
「仕事はやりがい??
だったら、給料もらわずに働けよ!
それでも仕事はやりがいと言えるか???」
とかでしょうか。
で、僕はと言えば、もっと本質的に「仕事はやりがい」を口にしてはいけないと思っているのです。
そのことを説明しようと思います。
仕事とは?
仕事って、「誰かのニーズを満たすこと、悩みを解決すること」ではないでしょうか。
かなり抽象度を高くすると、世にあふれる仕事は全部これに当てはまります。
だって、誰も求めてないことって、仕事になり得ないじゃないですか。
その辺の「石ころ上げるよ」って仕事、だれが求めてるんだって話ですよね。そんなので「対価くれ」とか言われたら、ふざけてんのかってなるじゃないですか。
やりがいとは?
そして「やりがい」。
期待通りの効果が得られたときに、、
課題が達成したときに、、
誰かの笑顔を見た時に、、
人はやりがいを感じます。
ただ、やりがいって定義するのが難しいんですよね。
具体的に、これをしたら「やりがいある」と決めつけることはできないんですよ。
上記のことで、やりがいを感じない人もいるわけで。
やりがいって、僕はかなり"自己満足的"なものだと思っています。
やりがいとは「脳内にドーパミンが出ている状態のとき」と定義したほうがしっくりくるんじゃないかと思う。
仕事はやりがい前提でやるもんじゃない!
それでは、「仕事はやりがい」はどういう意味を持つのでしょうか?
「仕事はやりがい」って、
言い換えると「誰かの悩みを解決することに満足感を得る」って言ってるように聞こえるんですよね。
これ、ちょっと様子がおかしくない?
仕事を依頼してきたクライアントに「いやー、あなたの悩みを解決するのは、ほんとやりごたえがありますよー」とか言ったらキレられそうですよね。
ただね、仕事の中にやりがいを感じるのは自然なことだと思うのです。
誰かの悩みが解決したり、喜んでもらえたら嬉しいじゃないですか。ここですよ、やりがいを感じるタイミングは。
やりがいは、仕事において付加価値的なものです。
一方で、嫌になるような仕事だってあるじゃないですか。それでも誰かが求めてるなら、やんなきゃいけないときだってある。
だから、仕事に最初からやりがいを持ち出してはいけないんですよ。やりがいは付加価値だから。
やりたいことが見つからないなら、まず「やるべきこと」を見つけろ!
たまに、「やりたいことが見つからないんです」みたいな悩みあるじゃないですか。
やりたいことやりたいなら、ゲームでもすれば良いんじゃね?
クリアしていく爽快感とかたぶん味わえると思うよ。
でもそうじゃないでしょ。
「社会に求められているもので、自分ができることをやりたい」
そういうことでしょ。
だったら、まず社会で何が求められているか考えましょうよ。
やりがいとかやりたいこととか、どうでもいいんです。何回も言うけど、付加価値だから。
あなたが言う「やりたいこと」は、「やるべきこと」の中にしかないのです。
やるべきことが見つからないなら、こう問うてみると良い。
あなたは、今生きやすいですか?
不満は一つもありませんか?
悩みはありませんか?
まだまだ生きにくい世の中じゃないですか。
めちゃめちゃニーズが溢れてると思いません?
あなたの職場を見渡してください。
「なんだこの効率の悪い作業は?」みたいなのあるじゃないですか。
それが社会に求められていることであり、誰かがやるべきことです。
あなたが、その悩みを解決してあげればいいじゃないですか。
それがあなたが「やるべきこと」だし、「やりたいこと」になるかもしれないし。