差し出された傘
ふとした時に思い出す、とある日の出来事。
当時関西地方に住んでいた私は、用事で大阪の梅田に出ていた。
建物から建物への移動中、パラパラと降ってきた雨。
私は傘を持っていなかった。
天気予報を見ていなかったのか。
もしくは、小雨だから必要ないと思い用意していなかったのかもしれない。
もう記憶にない。
都会の駅周辺は地下街や屋根のついている場所が多く、歩く場所を選べば雨の日でも濡れずに済むことも珍しくない。
私は荷物になるのが嫌で、元々あまり傘を持つ習慣がなかった。
パラパラ程度だった雨は、だんだん強くなっていく。
傘無しでは少し厳しいかな。
ちょっと濡れてしまうけれど、びしょびしょにはならないくらいの雨。
ちょうど信号が赤になり、横断歩道で立ち止まる。
私は先頭に立っていたけれど、周りにも同じように信号待ちの人たちがいた。
みんな傘をさしていた。
帽子すら被っていなかった私の髪の毛には、思いきり雨が当たっていた。
ポツポツと当たり、染み込んでいく雨を感じながら、今度から折り畳み傘でもいいから持って来ようと思った。
すると突然、頭に雨が当たる感触が消えた。
代わりに傘に雨が当たってはじけるような音がする。
目の前の横断歩道には、変わらず雨が落ちていた。
何が起きたのかと上を見上げると、後ろから誰かの傘が微妙に差し出されている。
振り向くと、サラリーマン風のひとりの男性。
何も言わずまっすぐ前を向き表情も変えないが、振り返った私の顔を一瞬チラ見した。
再び正面を向き直した私は考えた。
これはもしかして、私が濡れないように傘を差し出してくれたのかな?
けれど私のためにしてくれた行動なのか、たまたま近付いたら私が濡れない立ち位置に入ったのかがわからなかった。
本当に微妙な差し出し具合だったのだ。
私のために差し出してくれたなら、お礼を言わなければと思った。
しかしたまたま守られる形になっただけだったとしたら、私は自惚れた感じになってしまう。
自意識過剰なのではないか。
お礼を伝えてもし違った場合、こいつ何言ってるんだと思われるのが恥ずかしかった。
その男性も何も言葉を発しない。
無言の優しさなのかもしれないと思った。
どうしたらいいのかわからないまま信号は青になり、私は横断歩道を歩き始めた。
恥ずかしさと気まずさで後ろは振り返らなかったが、もし私のために差し出して守ってくれていたならありがとうと思った。
伝える勇気がなくてごめんなさい、と。
もしかしたら男性側も、余計なお世話かなと思いながら動いたのかもしれない。
助けたことをわざわざ言葉に出すのが照れくさかったのかもしれない。
今になって真剣に考えると、
「良かったら、今だけでも」
と言われながら傘で雨から守られるよりも、無言で差し出される優しさの方が心に染みたのではないかと思う。
濡れないように守ってくれたのかわからない微妙な状態が、少しのドキドキと感謝の思いで満たしてくれた。
この状況だったからこそ、私も10年以上経っても覚えていたのかもしれない。
雨がポツポツ降り始めると、何とも言えない思いに私は浸るのだ。
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