歪んだそれに名前はない 07|連載小説
いつまでそうしていたのだろう。
明け方の霧雨が、割れた窓から床を濡らしていた。
俺はまともに何かを考える事も出来ず、携帯を取り出しFacebookを開いた。
兄ちゃんに会いたい。
名前を検索したら該当した。あの時の面影が残る、男前の兄ちゃんがいた。
隣には、優しく微笑む奥さんらしき人。
俺は最小限の荷物を詰めたリュックを背負い、目的地へ向かった。
家を出る時、1階のソファーで下を向き項垂れてる親父をチラッと見たが、何かを感じる程、俺の心は揺らぐ事もなく醒めたままだった。
都内からかなり遠く、到着までに5時間かかった。
Facebookのメッセージ機能を使ってコンタクトを取ろうとしたが、既読がつかないまま、俺は見知らぬ土地の駅に降り立った。
都会とは比べものにならない、澄んだ空気と高い空は、蒼くどこまでも広がっていた。
兄ちゃんが住む家はどこだろう…。
Facebookをもう一度見てみると、更新は去年の初め頃で止まっている。
奥さんと行きつけらしい古民家カフェで、仲睦まじくピースをしていた。そこにもう1人、50代半ば位の女性が遠慮がちに微笑みながら一緒に写っていた。
店の名前がカップに書いてあった。
「蒼空」
検索したら、1件該当した。ここから歩きだと約40分。
タクシー…と思ったが、案の定そんなものは停車していなく、仕方なく歩く事にした。
だが、初めての土地、初めて目にする景色に、昨夜の事がただの悪夢だったんじゃないかと錯覚する程、俺は此処に来た事に意味を感じていた。
辺りは平屋の家が並び、穏やかな土地柄で畑が多く、所々で家畜を見掛け、色んな作物が育っていた。
のどかな風景に時を忘れながら、久しぶりにゆっくり歩いていたら、年季の入った白樺の木の看板が目についた。
「蒼空」此処だ。
俺は小さな期待を胸に古民家カフェの入口に手をかけた。
中はそこまで広くはないが、お客で大半の席は埋まっていた。
奥から店員の女性が出てきて「おひとり様ですか?」と聞いてきた。
何も食べない訳にもいかないし、腹も減っていた。
「はい」と頷くと、女性は優しく微笑みながら奥の席に案内してくれた。
「こちらが今日のおすすめになります」と言って、メニューが決まったら呼んで下さい、と言い残して厨房に戻って行った。
「季節の野菜のあんかけ唐揚げ」
写真を見ていたら腹が鳴った。
写真…ふと俺は、案内してくれた女性の顔を思い浮かべた。
あの人は、兄ちゃん達と一緒に写っていた女性だ。きっと何か知ってるはずだ。
俺の鼓動が少し早くなった。
オーダーを取りに来た人は、さっきとは違う女性だった。
メニューを伝えたついでに、あの女性の事を聞いてみる。
怪しまれない様に、兄ちゃん(探してる人がいる)の事を話したら、「伝えますね」と言って奥に戻って行った。
料理が運ばれて来た時、例の女性が「すみませんが、私はまだ仕事があと1時間あるんです。その後でも構いませんか?」と聞いてきた。
俺は喜んでお礼を伝えた。
兄ちゃんに会えるかもしれない。
俺はその事だけで頭がいっぱいになり、料理の美味しさも手伝って夢中で食べていた。
その女性の、少しの声の震えにも気づけない程。
『…君は…』
女性の胸に込み上げる感情は、複雑に絡み合いながらも目の前にいる青年から目が離せず、夢中でご飯を食べる姿に自然と目頭が熱くなっていた。
[ᴛᴏ ʙᴇ ᴄᴏɴᴛɪɴᴜᴇᴅ]