歪んだそれに名前はない 15|連載小説
『私…一人でも育てるわ。』
昨夜、凛は両親に翼との間に子供が出来た事を告げた。
両親は動揺し、父は初めて凛に手を上げた。
母は凛を庇い、とにかく父を落ち着かせ様と必死だった。
凛は何と言われても、絶対に産むと決心していた。
翼の母親に会った時に、凛の気持ちは既に決まっていた。
そして、翼の母親からもらった言葉。
凛の中では遺言の様になった。だから凛は堕ろそう等とは、決して考えたくなかった。
翼には、今敢えて自分から連絡していない。
母親が亡くなって、色々な事を思っているだろうと察しての事だ。
それにもし、翼が自分を本当に愛しているならきっと連絡が来るはずだと、そう確信もしていた。
初めての事で正直怖いと思う気持ちがない訳じゃない。
色んな不安もある中、病院で妊娠を告げられた時のあの何とも言えない高揚感と、自分の中に新しい命があると言う事…その気持ちを凛は抱きしめていたいと思った。
絶対に守ってみせる。
少し身体が怠く感じ、ベッドに横になった。
「名前…何が良いかな?」
凛は優しくお腹に手をやり、そっと撫でながらいつの間にか眠りに就いていた。
不思議な夢を見た。
翼が凛に何かを語り掛けている。
よく見ると翼は泣いていた。
凛には、翼の声が聴こえない。
聞き返してみても、翼は首を振り悲しげに覗き込みながら、また何かを必死に訴えてくる。
凛は『どうしたの?翼?つばさ…』
はっとして目が覚めた。何だか吐き気と…それに何か違和感を感じる。
凛は急いで起き上がり、トイレに駆け込んだ。
下着を血液が染めていた。思わず悲鳴を上げた。
聞き付けた母親が扉越しに「凛!どうしたの?大丈夫?凛!………」
どれ程眠っていたのだろう…。
気付いたら病院のベッドの上だった。
腕に小さな痛みが走り、その時初めて点滴をされている事に気付いた。
「私……お腹!赤ちゃん!赤ちゃんは?」
近くに居た両親は、凛が目覚めた事にほっとした顔をしてから「凛、大丈夫よ。落ち着いて。」
そう母が言った。
父は少し気まずそうな顔をしていたが「凛…」名前を呼んで、一呼吸置いてから「凛、あのな…」
母はソファーベッドでいつの間にか眠っている。父は明日も仕事の為、帰って行った。
凛は、薄暗い中じっと天井を見詰めていた。
「神様…なんか居るのかな?もし居るのなら、私と引き換えに、この子に音を授けて下さい……」凛の濡れた頬を月が照らしている。
その晩凛は、ひたすらお腹の子に祈り続けていた。
その顔には、もう子供と呼べるあどけなさは無く、母親の強い芯と我が子を思う愛だけを宿した瞳が光っていた。
「光耶…」不意に零れ落ちたその名前に、凛は頷いた。
「みつや…あなたは、光耶よ」
凛はお腹を擦りながら、何度も我が子の名前を繰り返していた。
目を閉じていた母の耳に、娘の愛しい声が聞こえてきて、気付かれない様に静かに寝返りを打ち、声を殺して泣いた。凛……あなたならきっと大丈夫…。
あなたなら、きっとその子に音を見せてあげられるわ。
たとえ聴こえなくても、音のない世界に生まれても、あなたならきっとやれる事が沢山ある。
月は変わらずに、凛の祈りと母親の涙を静かに見守っていた。
[ᴛᴏ ʙᴇ ᴄᴏɴᴛɪɴᴜᴇᴅ]