【日記・京都下鴨便り】 半夏生の頃
07月02日は、タコの日
半夏生という木を初めて見たのは、小石川の植物園だった。
緑色の雫型をした葉っぱのちょうど半分が、うどん粉色の白になっている背の高い木の葉のすべてが、見事に半分白色、半分若緑色になっていることが、とっても奇異に目に映ったことを思い出す。
梅雨明けも近づいた”半夏生”の時期に、葉が白くなるので”半夏生”という名にしたと聞いたけれど、そもそも名前を最初に耳にしたのは、生物の時間ではなく、古典の時間だった。 旧暦の二十四節気七十二候で、この時期に生える”半夏”という草木が名前の元で、さらにその時期を同じくして、葉が白くなるので、半夏生という時期から名前を”もらった”、という説明書きがあった。そして、中国由来ではなく、日本オリジナル暦の『雑節』の一節の名前が、本来の由来、という古典の先生の説明を、思い出した。 『半夏生とは、夏至から数えて11日目の7月2日から七夕(7月7日)までの5日間をいう』、のらしいのだけれど、今年は、太陽が天球上で黄経100度を通過するのが7月01日なので ???? 7月01日が半夏生の日になるらしい、というので、古典ではなく、すっかり地学のアタマになってしまった。
長く目にすることもなかったけれど、昨日の夏越しの祓いに訪れた上賀茂神社(賀茂別雷神社)の本堂の前で、久しぶりに半夏生を目にすることができた。
半世紀前の受験勉強の記憶が蘇ってくるのも、神さまのお導き?などと思いながらも、ふと関西に来てから、半夏生というとすぐに、タコ(蛸)を食べに行こう!、という輩が多いことを思い出した。
「 なんでみんな、こん時期になると、タコ食べに行こういうねん?」
と、聞いてみても、誰一人としてちゃんと答えてくれる人もなく、たまに、
「梅雨時で湿っぽいし、梅雨寒なんてこともあって、風邪ひいたりせんように、体力つくもん食べるようにしたんちゃう?」
などと、わかったようなことをいう連中もいる。中には、
「あのな、タコいうのは、”タウリン”ちゅう精力つく物質がようけ入ってるらしいで、あのリポ・デイと一緒や。。。」、という昭和的な説明をしてくれる奴もいる。
「土用の丑の日に、鰻を食べることを奨励した平賀源内さんと一緒やん?」
と、そんな日本史話をしていたら、急に鰻とタコを食べたくなり、ランチタイムは近くの廻るお寿司屋さんへ。
「やっぱり、この時期は明石のタコやな、」という友人の一言で、関西人が、半夏生の時期にタコ食べんのは、明石のタコが美味しい時期やから、
という答えに落ち着いた、
よう知らんけど。。。