
「~すべき」を手放して、適当に生きよう
こんにちは。心理カウンセラーのKazuです。
今回は、「~すべき」思考を手放し、人生を少し適当なくらいに楽しむ方法について書いてみたいと思います。この話については、私自身特別な思い入れがあります。というのも、この言葉は私の母が亡くなる直前にかけてくれた、最後のメッセージでもあるからです。
母が教えてくれた「適当でいい」という言葉
私の母は、とても真面目で一生懸命な人でした。家族のために頑張り続け、誰にでも丁寧で、母を知る人たちは皆、彼女のことを称賛していました。
でもその反面、自分のことはいつも後回しで、私から見ると「果たして自分の楽しみはあるのかな?」と思うことが多々ありました。
そんな母が一昨年、亡くなる直前に私にこう言ったんです。
「あなたは優しいけど、すぐにイライラするところがあるよね。そこを直せばもっといい大人の男性になれるよ。適当でいいのよ。」
その瞬間、私の中で何かが大きく変わりました。母自身、ずっと「適当」に生きることができなかったからこそ、最後に伝えてくれた言葉なのだと感じました。それ以来、私も少しずつではありましたが、「適当なくらいでいい」と思えるように意識するようになりました。
いつの間にか増えている「~すべき」
気がつくと、私たちは「~すべき」という考え方に囲まれています。
もっと頑張るべき
家事や仕事を完璧にこなすべき
人に迷惑をかけるべきではない
確かに、ある程度の責任感をもつことや、努力をすることは必要です。でも、その「~すべき」が自分の心を苦しめていないでしょうか?たとえば、忙しい日に「ちゃんと夕飯を作らなきゃ」と思いながらキッチンに立つと、心の中でため息が出ませんか?その「すべき」、実は「そうしたい」ではなく「そうしなければ文句を言われる」という恐れから来ているかもしれません。
また、「しなくてもいいこと」や「誰も求めていないこと」に、必要以上にエネルギーを注いでしまっている場合もあるかもしれません。
少し適当くらいがちょうどいい
「適当」という言葉は、どこかネガティブに受け取られがちですが、本来は「無理のない、ちょうどよい」という意味もあります。何でも完璧を目指そうとすると、心も体も疲れてしまいます。適度に手を抜いたり、ゆるく構えることは、決して悪いことではありません。
例えば、仕事でミスをしたときも、「次に改善すればいい」と自分を許してあげる。家事が少し滞っても、「今日は休む日」と割り切る。そんな風に少しだけ手を抜いてみると、自分に優しくなれる気がします。
「~すべき」を手放すための一歩
では、どうすれば「~すべき」を手放せるのでしょうか。まずは、自分の中で「やらなきゃ」と思っていることに対して、「本当に必要か?」と問いかけてみてください。
たとえば、「休日を有意義に過ごすべき」と思っている場合、それは誰かにそう言われたからですか?それとも、自分自身が本当にそうしたいと思っているのでしょうか。もし「何もしない日があってもいい」と思えるなら、それが今の自分にとっての正解かもしれません。
母の言葉がくれたヒント
母が最後に教えてくれた「適当でいい」という言葉を胸に1年ほど過ごしてきて、私が気づいたことがあります。それは、「頑張りすぎる人生より、自分に優しくできる人生のほうが、結果的に楽しくなる」ということです。
少しだけ適当に生きるヒントを挙げてみましょう。
完璧を求めない
「今日はこれだけ頑張れたからよし」と、自分に声をかけてあげる。小さな幸せを味わう
好きな飲み物を飲む時間など、身近に感じられるちょっとした幸せに目を向ける。他人と比べない
誰かの基準ではなく、自分が心地よいと感じられることを優先する。自分に優しい言葉を
「これでいいよ」「大丈夫だよ」と、自分を労わる言葉を意識してみる。
おわりに
「適当でいい」。この言葉は、私の母が残してくれた、大切な贈り物です。真面目に生きてきた母はその人生の最後に、自分自身を許し、「適当でいい」という境地に至ったのだと思います。
これまで「~すべき」という思いに縛られてきた母が、「型にはまりすぎなくていい」と私に伝えてくれたこと。その言葉には、母自身の人生からの深い学びが込められているように感じます。
皆さんもこれからは、少しだけでも自分に優しくすることを意識してみてはいかがでしょうか。
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どうか今日も、皆さんにとって心地よい一日でありますように。適当なくらいが、ちょうどいいんです。
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