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忘備録(131)『アリラン物語 2nd』第26話 「躁鬱性障害」が本人にとってどれほど辛いものか

この記事の内容:
K子の躁鬱性障害(躁うつ病、双極性障害)の続きを書いています。

(注意)内容は18歳以上向けです。

書いてあることはすべてノンフィクションです。
前回の第25話からの続きです👇


「躁鬱性障害」が本人にとってどれほど辛いものか


K子を通じて、「躁鬱性障害」が本人にとってどれほど辛いものかを理解できました。

「こんなにつらいなら、いっそ死んでしまいたい。」 その気持ちも、痛いほどわかります。

一般的に、鬱病や躁鬱性障害を抱える人は、健常者に比べて寿命が短いと言われています。 専門医は、その主な原因が自殺によるものだと推測しています。

それを聞いて、「あぁ、もう少しの辛抱だ。寿命が短いことに感謝。」と思う人もいるでしょう。 それはとても悲しいことですが、本人にとっては、ある種の安心なのかもしれません。

では、一体どのような状況で自殺のリスクが高まるのか? どのような心理状態が危険なのか?

添付の図をご覧ください。 この図は、専門医から提供されたものに、私自身が加筆したものです。

①②③が同時に低い状態から、まず②だけが戻ってくる。 このとき、同時に③も戻ると……危険です!

自分も自殺願望だった

私自身、約2年間、鬱病を患った経験があります。 5年経った今、もう大丈夫だと勝手に思っていますが、そのときのことは鮮明に覚えています。

鬱病のときは、毎日が辛く、少し身体が動くようになったとき、大阪市内の大きな公園へ行きました。 そこに崖のような場所があり、「ここから飛び降りよう」と何度も思いました。 でも、実際に下を覗くと、どうしても飛び降りられない。

そんな自分に失望し、また落ち込む……。 「明日こそは」と決意しながらも、またできない。

鬱病のときは、寝ているのが精一杯です。

中国人のママさんが経営するエステ店

そして、そんな中、ある中国人のママさんが経営するエステ店に助けられました。

*参考記事👇

助けられたといっても、鬱病や自殺願望が治ったわけではありません。 ただ、忘れていただけ。

私は、鬱病は「完治するものではなく、一時的に忘れるもの」だと思っています。 そして、再発をできるだけ後ろへ遠ざけることが大事なのです。

私は今のところ5年経過しましたが、再発していません。

最初は毎日薬を飲んでいました。 今は、お守りのように持っているだけです。

私が「忘れている」状態が続いているのは幸運なことですが、 このNoteを読んで、少しでも鬱病を抱える方が元気になってくれたら嬉しいです。

だから、誰かをフォローしたり、記事を有料にするつもりはありません。

さて、エステ店に毎日通っていたことで、 「性的なこともあったのでは?」と思う方もいるでしょう。

しかし、手伝っていた半年間、まったく性欲がなくなっていました。

手伝いの内容は、

  • ローションオイルの輸入

  • 売上票のエクセル管理

  • 毎日の食材の買い出し

  • 店が終わった後の会議の議事録作成

そして、客とのトラブル対応や、スタッフがケガをした際の病院同行、警察相談など……。

毎日が忙しく、自分が鬱病であることすら忘れていました。


今振り返ると、当時の私はとても無口で暗い男だったと思います。 それでも、ママさんたちは関わってくれた。 本当に感謝しかありません。

ママさんからの提案

会議のとき、夏場はクーラーが効かず暑いので、 スタッフの若い子たちは上半身裸で内輪を仰いでいました。

でも、その光景を見ても何も感じなかった。 今は違います。 性欲も戻り、問題なしです。スマホで写真を撮らなかったのが今、悔やまれる。。

当時、ママさんから「お店を経営してみないか?」と誘われました。

私は、中途半端が嫌いなので、 グレーな営業ではなく、警察から正式に許可を得て、 堂々と風俗店を経営しようと考えていました。

妻にその話をすると、ものすごく叱られました。

唯一、母だけは「まぁ、いいと思うよ。あんたならできるやろ。」と理解を示しました。

しかし、妻が早くに天国へ行ってしまい、 「また鬱状態になるだろうな……」と思っていたとき、 教会に助けられました。

流石に、妻の看病もあり、1年半以上、noteを書いていません。やっと気分が落ち着いて書き始めたのが下記記事です👇


K子のこと


現在は、真面目な仕事をしながら、一人分の生活費を稼ぎ、 こうしてNoteを書いています。

エステ店を手伝ってみて、風俗経営がどれだけ大変かを痛感しました。 だから、今は友達としてママさんと長く付き合っているだけです。

K子と出会ったのは、ちょうど私が元気になり始めた頃。 それから2年のブランクを経て、再び会うようになりました。

K子は自分のことを一切話しません。 本名、出身地、家族のこと、学校時代のこと……。

しかし、私は調査の仕事をメインとしているので、 実はすべて把握していました。

でなければ、事務所に呼んだり、一緒に旅行したりできません。

K子も、それを分かっていたと思います。

僕は事務所に呼ぶ前にアリラン店のママさんに紹介した。それはママさんが日本人のスタッフをバイトでいいから雇いたいという願いからだった。前回の25話で書きましたが、K子はとても頭がよく、実際、小学生、中学生の頃友達がいない代わりに勉強ばかりしていたようだ。社会の状況や法律やなんでもよく知っている。学歴も高い。それによく気が付く。何か言われてからするのではなく自分で考えてそれを準備している。僕はママさんからK子を紹介したことに非常に喜ばれた。当然だと思う。風俗店でもスタッフではなく会社の経営の方に回ってくれ!と言われていた。でもK子は毎日、決まった時間に出勤することができない。これは躁鬱性障害の1つの特徴らしい。ママさんのアリラン店でも2日くらはきっちりと時間通りに来るが、ある日から何も連絡なしで突然、来なくなる。ラインで連絡もつかない。でも、数日後、何もなかったかのようにまた店に来る。本人も数日後の約束事は嫌い、できない。「来れたら来る」がK子の口癖だった。

それでも、あるときから、僕の事務所によく来るようになった。それは僕が呼んでいるのもあるけど、K子が突然来るときもあった。で、僕もK子が事務所に居る、時には泊まっていく。。それが普通になってしまっていた。

しかし、それが徐々に耐えられなくなったのか、 僕がK子の躁鬱性障害を忘れ、毎日のように連絡を取ったことが 面倒になったのかもしれません。

ただ、一つ言えるのは、 K子はいつも「死にたい」と言っていました。

それが、僕にとってはとても心配でした。今は珍しいことではないが、K子にはリストカットの痕がたくさんあった。

また、一般的に躁鬱性障害の人が自殺をしてしまう危険な状態がある。

それを理解するためにも、先ほどの添付の図をご覧ください。

これは、専門医から聞いた内容をまとめたものです。

このNoteを通じて、少しでも多くの方が救われることを願っています。

さて、今後、もしK子から連絡あったら。。。どうするか?また、以前のように仲良く遊んで。。。ということは絶対ないです。僕ではK子を悪化させてしまうし、僕にとっても今や害はあっても何のメリットもありません。お万が一、K子から連絡があったら、迷惑なので僕から府警の生活安全課(〇〇氏)へ連絡することになっています。
僕としては、このnoteを書き終えたら自分の記憶から削除したいです。昔、パソコンの設定で鬱陶しい居るかを表示されないようにしました。そんな気分です。

お前を表示させたくない!


K子の躁鬱性障害が治ったら。。とも望みますが、現実はそんな甘いものではありません。完治することはないです。だた、何回も書きましたが、鬱にしろ、躁鬱性障害にしろ、その気分の上げ下げや、その周期を滑らかなにすることは薬や治療で可能です。


◆ご注意!
また、申し訳ないですが、僕は医者ではなく専門家でもないのでここnoteで書いたことが正解かどうかわかりません。ただ、実際にあったことを書いています。鬱状態、躁鬱性障害にしても状況や状態、症状は人それぞれです。辛さのレベルも異なるでしょう。僕はラッキーなほう、鬱状態がましなほうだったと思います。その理由は会社だったから。会社さえ辞めれば鬱なんて治るとと友達や妻から言われていました。だからそこ、今、こうやってnoteを書ける余裕があるのです。この大した内容もない僕のnoteを読んで少しでも気持ちが上がって頂ければ嬉しいです。