子どもを守る社会・次世代を育てる社会
1.学校教育の役割
「働かざる者食うべからず」
つまり、経済発展や生産性が国家の理念となっているわけですから、能力のない者や生産性の低い者は、「何らかの形で下に見られてしまう社会」であると言えます。
組織や仲間や相手が求めるレベルに達していないと、
怒られる・陰口を言われる・バカにされる・差別される・いじめられる・無視される・排除される、
といったことが起こるのは、この社会構造では、ある意味必然ですよね。
しかも、この国家の理念を実現するために、教育の段階から徹底的に訓練されます。
とくに義務教育の期間。
●個を犠牲にして集団のために尽くすこと
●同調、横並び、画一化
●目上の者の指示や集団で決めたことには、考えることなく反応し従うこと
●他人に迷惑をかけないよう個を抑制すること
●空気を読む、忖度する
●耐える、我慢する etc...
皆さんは運動会の前に「行進の練習」をしたことを覚えていますか?
運動場に整列し、行進曲が流れると
先生の号令がかかり、行進が始まります。
「いち、に! いち、に!」
「もっとももをあげて!」
「いち、に! いち、に!」
「ぜんた~い、とまれ!」
「やすめ。 気を付け!」
などと指示され、
しかも【キレイに全体が揃う】まで
何度も何度も繰り返します。
あるいは、学校での生活を振り返ると
●チャイムがなる
●先生が教室に来たら「起立! 礼! 着席!」
●クラスという名の「オリ」のなかで
先生という上司に従い
クラスの中の実力者の顔色を伺い
クラスという集団の空気に支配され
個の意志を抑制しながら
同調し、堪え忍ぶ
●勉強や運動で常に競争と結果を求められ、
競争に勝ち結果を出した者はヒーローに
競争に負け結果が出なかった者はレールから外れる
●競争に勝って結果を出した者はレールに乗って東大へと進み、
支配する側を目指しての戦いへ
これって、社会人になり、企業に入っても同じですよね。
晴れて「労働者」となり、
国家のためにせっせと働いてしっかりと納税してもらうために
義務教育の時からみっちりと訓練されるわけですね。
2.子どもを守る社会
学校教育の目的が、「志ある人間を育む」ことからは程遠い、
集団や指揮命令に従順な「思考しない」人間を訓練する
こととなってしまっているからこそ、社会がおかしなことになっていると私は思います。
他の生き物の社会、例えばアリやハチなどは、子どもを守り、育て、次世代へつなぐことを忠実に行います。女王アリや女王バチ中心のように見えて、実は子ども(たまご)を生み育てることが目的なのです。
今の日本社会はどうでしょうか?
まず子どもを産むためには、原則として結婚しなければなりませんが、
夫婦2人で暮らしていくためにはそれ相応の住居が必要です。
2LDKの間取りで家賃10万円だとしましょう。
できたら手取りで月20万円は欲しいですよね。
夫のみの収入となると、正社員で月30万円程度ほしいところですが、給料がそれより少ないとなると、共働きするしかありません。
もし夫が非正規雇用で時給1200円の8時間労働週休2日だとしたら、総額約21万円程度ですから、やはり非正規雇用では結婚に踏み切るのに躊躇するでしょう。
共働きでどちらか正社員で月収30万円というハードルを乗り越えて、結婚できたとしましょう。共働きの場合、出産のために妻は休暇を取らなければなりませんが、休暇をとれるなら恵まれたほうで、結構な割合で退職することがいまだに多いのではないでしょうか?当然、出産前後と子どもが保育園に入るまでは収入が減る覚悟をしなければなりません。夫の給料が上がればいいのですが、それはかなり恵まれたケースでしょう。
また子育ても大変です。保育園に預けて職場復帰しようと思っても、なかなか空きがありません。そんなな状況でただでさえ収入が少ないところに、子どもにもお金がかかります。場合によっては習い事や英語教室に通わせたりと教育費もかかります。これは子どもが大きくなればなるほど費用がかさみます。大学に進学となれば相当な負担です。児童手当が支給されたとしても月1万円程度ですし、これでは安心して子供を産もうという気にはなれませんね。
ここまで見ても、少子化対策なんて全く真剣になされてないことがわかります。日本の将来のために、安心して子どもを育てる環境を整えようという気がないわけです。
しかし、もし、国家の理念が
子どもを守り次世代を育てる
という理念だとしたら、どうでしょうか?
今のような、経済的にも環境的にも、子どもを育てにくい状況がなくなるでしょう。子どもを産み育てることに対し、さまざまな無料化・給付金・ユニバーサルベーシックインカムなどの経済施策と、保育園・幼稚園などの環境整備はもちろんのこと、社会の常識が大きく変わるはずです。
●子どもが生まれるんだから、遠慮なく休暇を取ることができる
●仕事よりも育児優先の社会のため、さまざまな子育て支援制度が充実
●子どもも「1人の人間」として尊重し、子育ての仕方が激変する
●そのため虐待・ひきこもりなどが減る
●学校教育も個性を尊重し創造力と思いやりを育む方針に変わる
●その結果、学校が子どもにとっての最高の居場所になる
●こうした教育を受けて育った人材が社会を担うので、暖かみのある笑顔であふれた「生きやすい」社会に変貌する
まだまだたくさん挙げることができそうです。
国家の理念を子ども中心にすることで、
現代社会のすべての歪みを解決できるかもしれません。
3.学校はどうあるべきか?
真剣に国家の発展を希求するのであれば、教育の段階でさまざまな試みがなされるべきですね。
具体的に学校はどうあるべきでしょうか?
ピラミッド型の軍隊式な「訓練」を廃止し、学校が子どもの最高の居場所となるような、真に子どものための教育をする場所であるべきです。
創造力や個性を伸ばすことは、将来新たな分野を切り開く力となります。
対人関係の中で思いやりを育めば、暖かみのある関係が社会にあふれます。
教師が与え押し付けるのではなく、子どもの能力を伸ばすために支援する指導法に変えることで、学習に対するモチベーションも高まり、結果的に優秀な人材を育成できます。
大学のように、教科の先生がいる部屋へ生徒が移動するような仕組みにすれば、密室空間でのいじめは減るかもしれません。
もし困っている生徒がいても、授業や体裁を優先するのではなく、問題解決や相談援助を優先するような雰囲気と体制になれば、思いやりの心が育ち、競争により他者を蹴落とすような思考回路はなくなることでしょう。
議論の仕方、意見が違う時の対応の仕方など、コミュニケーションを円滑にするスキルを高めるような授業を行えば、社会人になった時の連携や連帯ももっと密接になるかもしれません。
多様性を認め、その中でどのように共生するのかをテーマに子どもにいろいろ考えてもらい、創造力と思いやりを育むことで、格差や差別のない暖かい社会に変わるかもしれません。
子どもの知的好奇心を刺激するような教育カリキュラムにすることで、将来国際的にも大いに貢献するような独創的な人材が育つかもしれません。
もし家庭でひどい目にあったとしても
学校に相談すれば解決してくれる
学校に逃げ込めば助けてもらえる
そんな最高の居場所となれば
子どもは愛と勇気と思いやりにあふれた人に育ち
日本の社会は大きく変わっていくことでしょう。