余はいかにして読書家となりし乎 その1

先日、お友達のかんさんのツイキャスに参加していて―黙って聴いているのではなく、たくさんコメントしたのでたんに聴いていた、という感じではない―子供のころから活字中毒者だったという話―より正確にいうと、小5で村上春樹にハマったという話―をしたら、わりと盛り上がったので、ぼくがどんなふうに本を読むようになったかという話をしたい。

ぼくが物心ついたとき、すでに家中に本が溢れていた。父は東京都の公立小学校の教諭をなりわいとしていて、大学の国文科を出ていたからだ。父の2階の書斎にはもちろん書架が6つくらいあったし、1階の短い廊下にも大きなそれが2つあり、居間にも大きいのが2つあった。父は卒業論文で古代の和歌について論じたようだが、詳細はいまだに教えてくれない。おそらく恥ずかしいのだろう。

幼稚園児のとき、ぼくはえほんがかりだった。園内にあるえほんだなの前に座って晴れた日も外に出て友達と遊ばず、えほんばかり読んでいたから先生が気を利かせて任命してくれたのだと思う。父や母も読み聞かせをしてくれたが、はっきりとした記憶があるわけではない。とにかく、幼児のころから書物や文字に関心があった。卒園文集には漢字で自分のなまえを記している。といってもぼくの本名は佐伯一彦なので、画数も少ないし幼稚園児でもなんとかがんばって書ける。当時から漢字をチラシの裏に模写していたから、書き順がめちゃくちゃでよく親に叱られたのも懐かしい。こういうのも変だが、幼稚園児には絵と文字の区別があまりないので、まさに"模写"という感じなのである。とにかく鉛筆を握って、お手本を真似てチラウラに書いてみて悦に入っていた幼稚園児だった。

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小学校に上がってから休み時間は学校の図書室によく行っていた。小学男子にはよくある話だが、まずポプラ社から出ている『少年探偵団』シリーズに夢中になった。江戸川乱歩はいまだにぼくのフェイバリット大衆作家のひとりである。ホームズやルパンも読んだけれどあまりハマらず、とにかく乱歩が好きだった。たまに母に市立図書館に連れて行ってもらうと、あかね書房の少年少女世界SF全集を借りて読んだりもしたが、近所の児童館(公民館内に併設されていた)の図書室に通い那須正幹の『ズッコケ三人組』シリーズを読破した夏休みがあり、それはいまだに憶えている。おそらく小3,4年生ころだったと思うが、読み終えた日の夕食の席で両親に自慢したのであった。その児童館の図書室にはなぜか水島新司『ドカベン』全48巻も揃っていて、それも通って読破した。読み物にせよ、マンガにせよシリーズものを読破するのに快感を覚えていたのかもしれない。

とにかく読むものがあるとなんでも読んでしまう少年だった。読みたい本が無いと、新聞やそれに挟まっているチラシを読んだり、電化製品の取扱説明書やときには古い百科事典や国語辞典も読んだ。小学5年に上がり、隣町の塾に通うようになったのだが、往復の電車内では必ず吊り広告を読んでいた。そして、いつも新鮮な刺激を活字に求めていたのである。そんなある日、父の書斎で2冊本を見つけた。赤と緑のカバーで、タイトルは『ノルウェイの森』(1987年、講談社)である。村上春樹の大ベストセラーを父も読んでいたのである。とりあえず、父の書架から抜き取って、隣の父の寝室(和室だった)で畳に腹ばいになりながら、まず赤いカバーのほう(上巻)からである。小学5年の夏休みであった。

まだ当時のぼくは純朴な少年だった。『ノルウェイの森』はドイツ・ハンブルグ空港に降下する航空機内で主人公の"僕"がビートルズのその曲を偶然聴いてしまい回想するシーンから始まる。彼にはかつて直子という恋人がいたのだが、彼女は精神を病んでしまい京都の療養所に入り、やがて自ら命を絶ってしまう。そして彼は、東京の大学で緑という同級生と親しくなる。最終的にはその直子と同室だった玲子(彼女も精神疾患を抱えている)とセックスして、直子の死を弔ったあと、街中の公衆電話で緑に愛を告げて終わる。これはとても乱暴な要約だが、『ノルウェイの森』はそういった恋愛小説である。作中で、直子が草原で"僕"を性的に慰めてくれたり、恋人の友人である玲子とセックスしたりと本作では、小学5年男子の知らない大人の世界がたっぷりと描かれていた。ぼくは「大人はこんなことをするのか???すごいな・・・」と啞然としながら読み終えたことを憶えている。大人の男女が性交渉するということは当時のぼくもさすがに知っていたが、具体的にどういうものかは経験も知識もなかった。何しろまだ10歳くらいなのだから、当たり前ではあるのだが、ほぼまっさらな状態で大人の恋愛&セックス模様に触れてしまったのである。これはなかなかの衝撃だった。

ちなみに上巻を読み終わったあたりで、父に「村上春樹はまだお前には早い!」と叱られたことを憶えているが、もちろん父の目を盗んで緑色のカバーの下巻も早々と読了した。父の部屋には春樹作品はたくさんあった。当時の最新刊『TVピープル』(1990年、文藝春秋)まで小説はほとんど揃っていたと思う。それをぼくは片端から読んでいくことになるのである。

(つづく)

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