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『サザンクロス ラプソディー』vol.37

「あれっ? ツグミ、何やってんのこんなところで!」

ロンドンから戻ってきた俺は、シドニー空港の到着ゲートを出てすぐのところにツグミがいるのを見つけて、思わず声を上げた。
到着の時間を教えていたわけでもないのに、ツグミが出迎えにきてくれたもんだとばかり勘違いして、恥ずかしながら素っ頓狂な声を上げてしまった。

「お帰り、ヤマさん。いまバイト中なのよ」
「なんのバイトなの?」
「へへへっ、内緒」
「そうなんだ」
「久しぶりだね。ヤマさん」

ロンドンで二か月過ごした後、フランスのパリで二週間ほどぶらぶらして、結局、日本へ帰ることもなく、こうしてシドニーに舞い戻っていた。

「ツグミちゃん、こちらをお願い!」
「はーい、いま行きます。じゃあね、ヤマさん。また、今夜ね」

少し離れたところから、怖そうな日本人のお姉さんに呼ばれて、ツグミは駆け足で去っていった。

相変わらず元気な奴だ。生命エネルギーで溢れかえっている。

「久しぶり、ポール。部屋が空いていて助かったよ」

空港から電話を入れたら、平日なのに休みだったらしく、ポールが出た。

イギリスへ旅立つ前に住んでいた同じ部屋にまた住むことになっていた。
ロンドンからポールに電話をしたら、「部屋は空いているからいつでも帰ってくればいいよ」と心よくいってくれたのだ。

持っていった手持ちの金は、きれいさっぱり使い果たし、ロンドンからシドニーへの航空チケットは、クレジットカードでなんとか購入できた。

少しくらい手持ちの金を残しておけばよさそうなものだが、これまでも行き当たりばったりで生きてきた俺だ。この性格はきっと死ぬまで治らないだろう。

とりあえず働けば金はなんとでもなる。日本と違って、働き出して翌週には給料がもらえるから、気楽なもんだ。
この当時、シドニーには、日本食レストランが大小合わせて100軒以上あったから、いつでも仕事はあった。
それに円高だったから、出稼ぎ目的で渡豪してくるワーホリなどはほとんどいなかった。料理がまともにできて、長く勤めることのできる日本人は慢性的に不足していた。

「ヤマ、旅行は楽しかったのか?」
「うん、すごく楽しかったよ」

ポールが淹れてくれたコーヒーにひと息つきながら、ロンドンに着いたあの雪の日のこと、そして訪れたイギリスの街のことや観光名所のことなどをかいつまんで話した。

以前に挙げたところ以外では、バース、ソールズベリー、ストーンヘンジ、カーディフ、サザンプトン、オックスフォードなども訪れていた。

「けっこうあちらこちらへ行ったんだね」
「うん。それにロンドンでフランス人の女性と知り合いになって、仲良くしてもらったよ」

マリアンヌとは、フランスからロンドンに戻って、シドニーへ旅立つ前の一週間ほどの間にも何度か食事を共にした。

彼女とは本当に思いがけないところでばったり出くわした。よほど縁があったんだろう。

一度なんかは、「よかったらわたしと一緒に来てくれない? 今から男ともだちの家に行くんだけど、そこで夕食をご馳走になるのよ。お願い!」と切羽詰まった様子で頼まれた。

会ったこともない、呼ばれてもいない、マリアンヌの友だちの家になんて、お邪魔するのはどうかとも思ったが、彼女のあまりの必死さに、一緒に行くことにした。

「えっ! どういうこと?」

案の定、そのマリアンヌの男ともだちは、俺を見るなり、彼女を俺から見えないキッチンへ連れていくと、声高にフランス語で捲し立てた。

きっと彼は、マリアンヌとふたりきりで楽しい時間を過ごせるものと思っていたに違いない。そして、意気込んで作った自慢の料理を彼女に振る舞おうとしていたんだろう。

彼は全然悪くない。そんな彼の気持ちを踏み躙るように、まったくの部外者の俺を連れてきたマリアンヌのほうに明らかに非があった。

なぜか? 一瞬考えたが、答えはすぐに出た。きっとマリアンヌは、この男とふたりきりになるのが怖かったのだ。彼は確かに見た目が少し怖そうだった。タトゥーも入れていたし。
それならそうと、はっきりと断ればよさそうなものだが、彼女にもなにか断れない事情があったのだろう。
それで、ばったり出くわした俺を、これ幸いとばかりに連れてきたのに違いない。

「俺は帰るから」

十五分ほどしてキッチンから戻ってきたマリアンヌにそう告げると、彼女は「わたしも帰るから」といって俺の手を引くと玄関へ向かった。

俺とマリアンヌの背中にその男の怒鳴り声が浴びせられたが、フランス語で早口で捲し立てているものだから、俺には何をいっているのかまったく理解できなかった。

また別の日には、ユースホステルで知り合った、俺と同い年くらいの日本人のツヨシと街をぶらぶらしていたら、マリアンヌと出くわした。

「彼女、知り合い?」

金髪、青い瞳で、むっちりボディーの魅力的なマリアンヌに、ツヨシはそういって目を輝かせている。

「ねえ、ヤマ。ご飯食べに行かない?」

俺がツヨシを紹介しようとするのを制して、マリアンヌはいつもの屈託のない笑顔を見せた。
こうして、俺たち三人はチャイナタウンへ向かうバスに乗り込んだ。

「ツヨシ、俺たちさ、ちょっと二階に行ってくる。タバコを吸いたいから」
「えっ! 彼女も?」
「うん、マリアンヌも吸うし」

そういって俺たちふたりは、ダブルデッカーバスの二階へ上がっていった。

以前、マリアンヌとふたりで何度か来たことがあるレストランに入って、俺は〈コンビネーション炒麺〉、マリアンヌは〈炒飯〉をオーダーする。

ツヨシはなにを頼もうか、なかなか決められない。

「ねえ、ここって、フカヒレとか、アワビとか、ツバメの巣とかの料理はないのかな?」

ツヨシは、少し胸を張って俺に訊いた。

「こんな大衆食堂みたいなところで、そんなものあるわけないだろ。本当にそんな高級なものを食べたいのか?」

ツヨシも俺と同じくユースホステルに泊まっている。どう見ても金持ちには見えない。いったい何を考えているんだか。

ツヨシは散々考えたあげく、結局、俺と同じものを注文することにした。

「安定の美味しさだね、マリアンヌ」
「うん、美味しいね」

俺たちふたりは、何度かこの店で同じものを食べたことがあった。

「ヤマ、マリアンヌに訊いてくれない?」

俺とマリアンヌがお互いの好物に舌鼓を打っていると、話を遮るようにツヨシが割り込んできた。
ツヨシは食事もそっちのけで、彼女について、年齢とか、出身地とか、なんのためにロンドンにいるのか? などといろいろと知りたがった。

「自分で訊きなよ。ツヨシも英語は話せるんだろ?」

ユースホステルで、ツヨシが他の連中と英語で話しているのを聞いたことがある俺は、突き放すようにいった。

「訊いてくれてもいいじゃないか!」

ツヨシはそれが当たり前みたいに、切れ気味だ。

確かに、ツヨシの話す英語は、はっきりいってあまり上手いとはいえない。そういう俺も、そんなに流暢に話せるわけではないが。

日本人、特に、自分の学歴に自信を持っている奴ほど、自分より英語が話せる日本人の前では、あえて英語を話そうとしない。
よくあることだ。

その後、ツヨシを無視してマリアンヌと話し続けた。
俺のとなりで、ツヨシはしばらくブツブツいいながら、わざとなのか、くちゃくちゃと音を立てながら、「あんまり美味しくないな、これ」とか、「マリアンヌはタバコさえ吸わなければ、俺の彼女にしてやってもいいんだけどな」などと俺さま発言を繰り返していた。

そんな無礼者のツヨシに俺はひたすら無視を決め込んだ。
昨日ユースホステルで知り合ったばかりの男だ。別にそんな奴にそこまで気を使う必要もない。

大人しくなったツヨシにふと目をやると、「可愛いフランス人のマリアンヌと一緒に食事をした」とかなんとか、メモ帳に書き留めていた。
ツヨシはそんな俺の視線に気づくこともなくペンを走らせていた。

昨夜、ツヨシからそのメモ帳を見せてもらったが、今回の彼の旅行記だそうで、いろいろ細かく書き留めてあった。
なんでも彼は、このころ人気が出始めた海外旅行者向けのガイドブックに投稿する予定なのだそうだ。

どうやら文才はあるらしく、読ませてもらって感心したが、どこからどこまでが本当なんだか怪しいもんだ。きっとこういう輩が、日本に帰ってあることないこと自慢するんだろう。

マリアンヌとは、俺がシドニーに戻ってからも、手紙やポストカードで何度かやり取りした。

「それで、パリはどうだった?」

パリ生まれ、パリ育ちのポールは目を輝かせて俺の答えを待っている。もちろん彼が聞きたい返事はわかり切っている。

「最高だったよ。ただ、エンターテイメントを楽しむことは一度もなかったけどね。英語をあえて話そうとしないのか、言葉が通じなかったから、切符を買おうにもできなかったよ」

この当時、フランスでは、公的な機関やレストランなどの店舗でも、あえて英語を使わないことが一般的だった。

「確かにそういう人も多くいるけどね。けど、人によるよ」
「けれど、それを差し引いても、パリは最高だったよ」

「そりゃそうだよ。パリは世界でも有数の観光地なんだから」

そういい切るパリ生まれのポールは、かなり誇らしげだ。

「ただいまっ!」

ポールとそうやって話し込んでいたらツグミが帰ってきた。日本語を聞いたポールは少し機嫌が悪そうだ。

「ポール、ごめん。今日はヤマといろいろ話したいから、日本語でいい?」
「……ああ、わかったよ。じゃあ、僕はこれで」

ポールはそういうと、不機嫌さを隠すようにして二階へ上がっていった。

「改めて、お帰りヤマさん。ロンドンとパリは楽しかったようね」
「ああ、楽しかったよ」
「それで、ユウカさんとはその後どうなったの?」
「うん、それなんだけど、ユウカとはもう連絡も取れなくなっちゃって。もう脈なしって感じだよ」

ロンドンにいたときに、何度も電話をして、ユウカの母親に伝言を頼んだし、手紙も書いたけど、結局、ユウカからはなんの音沙汰もなかった。もともと恋愛体質のユウカは、日本で新しい恋人とでも上手くやっているんだろう。

「そうなんだね……」

ツグミはさして意外でもなさそうに、軽く可哀想にという目で俺を見た。

「俺、全然引きずってないからな!」
「ハハハッ……」

ツグミはそんな俺の言葉に、同情とも嘲笑ともつかない短い笑い声を上げた。

俺たちは喫煙室代わりのキッチン横のテラスに移動すると、丸テーブルを挟んで向かい合うように腰掛けた。

「それで、それで。ロンドンとパリの話を聞かせてよ」

ツグミはテーブルに身を乗り出して、聴く気満々だ。

「この匂い懐かしいね」

オイルライターでタバコに火をつけると、ツグミは火のついたままのライターを俺からもぎ取った。そして、自分のタバコに火をつけた。

このオイルライターは、ユウカとお揃いの有名ブランドのものだ。一瞬、ユウカの顔が脳裏をかすめた。

「そうだね、まずロンドンでの出来事から話そうか……」

「……それは災難だったね。けど、ある意味ヤマさん持ってるね。経験しようと思っても、そんなことなかなかあることじゃないし」
「そんな変な運なんか持ちたくもないんだけどな」

俺がロンドンに初めて降り立ったときの、あの暴動のことや、雪が降っていた夜空を心細い気持ちで見上げたことを話すと、ツグミは面白半分に茶化すように頭を下げて、ご苦労様でした、という仕草を見せた。

「それで……そのマリアンヌとはヤッタの?」
「おい、ツグミ! おまえ男か? そんなことをストレートに訊くなよ」

マリアンヌとの不思議な縁を話すと、ツグミはこんなことをいい出した。

「だって気になるじゃない。なんてったって、ヤマさんは女性には、ね……」
「俺は女に手が早いっていいたいんだろ? ツグミ、おまえそれは本当に失礼だろ!」

こいつは可愛い顔をして、いうことがいちいちえげつない。

「だって、本当のことじゃない? わたし知ってるんだからね。ナオミにちょっかい出そうとしたことも」
「えっ!」

ナオミ、おまえ俺を殺す気か? ナオミのあのイタリア人の彼氏にそのことを知られたら……そう考えると背筋がぶるっと震えた。

ツグミは、俺が女性にだらしがないことは、ポールからも聞いているのだろう、よく知っていた。

「いや、マリアンヌとはキスさえもしてないよ」
「本当かな?」

ツグミは疑いの眼差しを、下から舐め上げるように向けている。ヤンキーかっつーの!

「本当だって、そんな気さえも起こらなかったよ。だって、彼女はタトゥーを入れているような女性だったし。マルセイユ出身だったし、きっとその筋の友だちがいっぱいいそうだったし」

マリアンヌはちょっとヤンチャなところはあるものの、可愛らしく、男好きのするからだを持つ魅力的な女性ではあったが、いろんな意味でそんな気を起こさないようにしていた。

テムズ川にプカプカ浮かぶのは絶対嫌だったし。

「信じてあげますよ」

あきれたようにそういいながらも、ツグミはなおも疑いの眼差しを向け続けていた。

「へえーっ、ヤマさんにしてはいろんなところへ行ったんだね」

イギリス滞在中に訪れた観光地を挙げ連ねたら、元来、出不精の俺の性格をよく知っているツグミは感心するようにいった。

「まあ、はるばるイギリスまで来たんだし、と思ってさ。いろんなところへ足を延ばしてみたよ」
「それにしても、ひとりで、っていうのは笑える」
「ほっとけよ。好き好んでひとり旅と決め込んだわけじゃないんだから。ユウカがロンドンまで来られなかったせいなんだからな」
「ユウカさんのそれって、なんか怪しいよね」
「なにがだよ!」
「だって、連絡もなにも取れなくなったんでしょ? そもそも最初からロンドンに行くつもりなんてなかったんじゃないの?」
「……」

俺もそのことには少し引っかかっていたが、ユウカとのことはもう過ぎたことだ。俺のなかではもうどうでもよかった。

「それで、パリはどうだったの?」

俺がロンドンへ旅立った後、ツグミはポールからヨーロッパ旅行をしないかと誘われたそうだ。その道中で、ポールの故郷のパリにも寄るらしい。それで、ツグミは日本人の俺から見たパリのことを知りたがった。

パリにいる間、モンマルトルの丘に佇む、サクレクール寺院の西側にある安宿に二週間ほど滞在した。
宿の主人に聞いたところによると、なんでも、日本から来ている数人の芸術家たちも長らくそこに滞在しているということだった。

「ああ、素晴らしいところだったよ。美術館で展示されている世界的に有名な絵画や彫刻を始めとした作品たちはどれも素晴らしかった。セーヌ川沿いを散策するだけでも、映画の主人公になったみたいで自分に陶酔してしまうくらいだったからな。なにしろ街全体の雰囲気がオシャレだったよ。エッフェル塔から眺める景色も素晴らしかったけど、サクレクール寺院の階段下から眺める暮れなずむパリの街並みは格別だったよ」

「わたしって、芸術関係はあんまり興味はないけど、ルーブル美術館だけには行ってみたいかな」

「絶対に行くべきだよ」

ツグミはポールと行くヨーロッパ旅行に思いを馳せているようだった。

「そうそう、こんなこともあったな。街をぶらぶら歩いていたら、日本人の二人組の女の子たちに『日本の方ですか?』と突然、声をかけられて、三人でカルチェラタンで食事をしたよ」

「ヤマさん、モテるね。パリで日本人に逆ナンされるなんて、やるー!」

「いや、そうじゃなくて。ふたりのうちのひとりがなんでも気合を入れ過ぎて、履き慣れない靴で歩き回ったもんだから、靴擦れができて歩けなくなっていたんだ。彼女たちは、タクシーを拾おうにも、それもできなくて、どうしようか途方に暮れていたらしい。それで、助けてくれないか、と俺に声をかけたそうだ」

「とりあえず絆創膏でも張っとけばよかったのにね」

ツグミは、やれやれ、といった顔を作っている。

「彼女たちはそんなもの持ってなかったし、買おうにも売っていそうな店も近くにはなさそうだったし、もちろんフランス語で絆創膏をなんていうのかもわからなかった。それで、結局、俺はその靴擦れ女子を背負って歩くことになったんだよ。彼女たちが絶対にカルチェラタンで食事を楽しみたい、といい張ったからね」

「それは、それは……背中が幸せでよかったね、ヤマさん」

ツグミはそういってにやにやしている。

「どういう意味だよ?」
「だって、彼女のボヨヨンが背中に密着したんでしょ?」
「?……ああ、そうか。そうだな、けど、彼女の胸はそんなに大きくなかったから、それは感じなかったな」

ツグミの胸に視線を向ける。

「な、なによ! なんでわたしの胸を見るのよ?」

そういって、ツグミは自分の胸を両手で隠した。ツグミの胸はどちらかというとぺったんこだ。

「いや、別に……」

ツグミはすごい目つきで俺を睨んでいる。

「それで、フランス料理は食べたの?」

タバコの煙をフーッと吐き出しながら、ツグミは話をはぐらかすようにいった。そういいながらも、ツグミはまだ俺を睨んでいる。

「ツグミが想像するような、フルコースディナーのフランス料理なんて一度も食べなかったけど、ランチセットメニューはよく食べたよ」

一度くらいはちゃんとした高級レストランで食事をしてみたい、とは思ったが、どうやらドレスコードがあるらしく、そんなレストランにはジーンズ姿の俺は入ることができなかった。もちろん、予約をしないと入れないのは知っていたが、予約をしようにも英語が通じない。フランス語でなんかいわれたが、俺には理解ができなかったから、本当のところはどうだったのかわからない。後からわかったことだが、少し名のあるレストランは、何か月も前、店よってはそれ以上前でないと予約が取れないということだった。

「そうそう、ツグミが大好きなエスカルゴなんだけど、なんと魚屋で売っていたんだよ。仕切りのなかでうにょうにょとゆっくり動いていたよ。あれだけの数が蠢いているのを見たら、気持ち悪くて、さすがの俺も後退りしたよ」
「えーっ! そうなの? 見てみたいわ」
「旅行の楽しみのひとつにとっておけば」
「わーっ! 楽しみっ!」

やっぱりツグミは変わっている。普通の女の子なら、俺の話から想像しただけで、顔をしかめそうなもんだが、ツグミときたら本当にうれしそうに目を輝かせている。

「そうそう、こんなこともあったよ。ルーアンからロンドンへ戻る道中で、フランス人の女性三人組と一緒になってね。フェリーの待合室で四人でからだをくっつけて暖を取ったんだ」
「ルーアンって、確かサシャの故郷だよね」
「そうだよ。サシャからそう聞いていたから、行ってみたくなったんだよ。ルーアンで一泊して、そこからロンドン行きの電車に乗り込んだんだ」

この当時は、イギリスとフランスをつなぐ海峡トンネルはまだ存在しておらず、飛行機で行くか、ドーバー海峡を一時間半ほどかけてフェリーで渡るしかなかった。夕方の電車に乗ったせいなのかどうか、フランス語のわからない俺には詳しいことはよくわからなかったが、待ち時間が異常に長く、5時間以上待つことになった。6月とはいえ、暖房の入っていない夜の待合室は凍えるほど寒かった。

「それって……四人で絡み合ってイケナイことをしたってこと?」
「バカ、違うよ! 待合室には他にもいっぱい人がいたんだ、そんなことなんかするかよ」

まったく、こいつときたら、何かというと話を下ネタに持っていこうとするきらいがある。

日本人か? と声をかけられて、そうだよ、と答えたら、ロンドンまで行くのなら一緒にいてくれない? と頼まれたのだ。女の子三人だけだとなにかと煩わしいらしい。それで俺に声をかけたんだそうだ。なんでも彼女たちは、ロンドンへ英語の勉強をしにいくという。

「川の字になって、というか川の字にプラスワンで、待合室の冷たいコンクリートの床に四人で寝転んだんだ。女の子たちにサンドイッチ状態にされて、それはかなり嬉しかった」

「このエロジジイ。彼女たちに変なことなんてしなかったでしょうね?」

「……実は『腕を回して』と、後ろからくっついていた女の子にいわれて、片腕をそうしたんだけど、彼女の胸が俺の手のひらに当たって、なんか包み込むような形になって、そのままでいたんだ」

「やっぱり、だと思ったよ。ヤマさんが女好きなのはよく知ってるからね」

「けど、服の上からだったし、揉んだりとかはしていないからな」

「さあ? どうだか……」

ツグミはイヤらしい含み笑いを浮かべながら、本当かな? と疑いの眼差しを向けている。

ひと通り話し終えると、小さな灰皿は、俺とツグミのタバコの吸い殻でいっぱいになっていた。
ポールに見られたら、「自分で自分をゆっくりと殺しているっていうことわかってる?」とお得意のお小言をいわれそうだ。

「まあ、なんにしても、またよろしくな、ツグミ」
「うん。こちらこそよろしくね、ヤマさん」

翌日、〈garasya〉を訪れた。仕事をもらえないだろうか? と打診をするためだ。

ユキさんは、「ヤマが戻ってくれれば、心強い」そういって、再び雇ってくれることを確約してくれた。
俺が戻ってきて首を切られる形になったワーホリの若者には気の毒だったが、彼は料理があまり上手くなかったらしい。

シドニーに戻って、仕事も決まったし、ロンドン旅行で作った借金をとりあえず返さなければならない。

いろんなことがあったが、俺はまたこのシドニーで生きていくことにした。

〈続く〉



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

物語は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1990年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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