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短編小説『遼之介は..。 年の初めに』

「これからの毎日が素晴らしいものでありますように!」

部屋のなかで、柏手を打って、厳かに頭を下げる。どの神様にお願いしているのか、自分でもよくわからないが、とりあえずここはお祈りしておこう。

今年はすごくいいことがありそうな気がする。

最近では、人間の姿に戻る前には、なにかしら予感めいたものを感じるようになっていた。

理沙は昨夜も毎年恒例の年越しの瞬間にジャンプをする例のやつをやった。
まあ、よく飽きもせずに、と思う。
けど、大人になってもこんな子どもみたいなところをしっかり残している理沙が大好きだ。

そのあと、理沙に新年の挨拶をすませた俺は、眠気に逆らえず、『ゴキ遼ハウス』となぐり書きしてあるダンボールで作られた俺専用の家の温かいベッドのなかにさっさと潜り込んだ。

そのときから、そんな予感がしてはいたんだが、目覚めると、やっぱり俺は久しぶりに人間の姿に戻っていた。

そのせいで、ゴキ遼ハウスは、怪獣が暴れたあとみたいにめちゃくちゃに壊れていた。また新しいものを作らないといけない。その度に、段ボールではなく、木製か金属製のもっと頑丈なもので作ろうと思うのだけど、ゴキから人間に戻ったときのことを考えると、壊れやすい段ボールのほうが安心できる。それに、段ボールは意外なことに温かみを感じるのだ。

いつ人間の姿に戻っても困らないように、俺の洋服はすぐわかるところにまとめてしまってある。

ひとの姿に戻れたうれしさを噛みしめながら、新年一発目のお祈りをしたのだ。

「遼ちゃん、朝から大声出さないでよ! わたし、まだ眠たいんだからね。いったい今なん時なのよ!」

理沙はベッドからスマホに手を伸ばして時間を確認している。

「勘弁してよ、遼ちゃん。まだ、五時じゃないの」
「ごめん、理沙」
「?……」

理沙は俺の声のボリュームと、声が聞こえてきた上からの位置で、なにかおかしいと思ったんだろう。
目を無理やりに大きく見開くと、洋服を着て立っている俺の姿に目を留めた。

「久しぶりだねー、人間の遼ちゃん。お帰りなさい」

理沙は、うれしそうにそういいながら、もそもそとベッドから身を起こそうとしている。

「いいよ、理沙。まだ寝てなよ」

たしか、理沙は、テレビで音楽番組やら、お笑い番組やらを観ていて、ベッドに入ってまだそんなに時間は経っていないはずだ。

ゴキのときの俺は、寝ていてもそんな気配を感じとるのは朝飯前だ。

「まだ眠たいけど、いつまでも寝ているよりも、人間の遼ちゃんと一緒に過ごせるほうが何十倍も幸せなんだから」

そういって、理沙は、ベッドから起き上がると、体当たりするように俺に抱きついてきた。
激しく唇を重ねてきた、と思ったら、俺の胸を両手で突くようにして、ぱっと離れた。

「あっ! 遼ちゃんってば、顔は洗った? 歯は磨いた?」

「まだ、だけど。いま洋服を着たばっかりだから」

「あっぶなーい! ばい菌だらけの汚いゴキとキスするところだった」

「なんだよ、それ!」

『理沙、おまえだって寝る前に歯は磨いてないだろ』と危うくいいそうになったが、すんでのところで堪えた。

年の初めから喧嘩はよくない。

「ごめんなさい。今から顔を洗って、歯も磨いてきます」

理沙に謝るときは、言葉も態度も殊勝にすることが肝心だ。そうでないと、理沙はすぐ、「なにそのいい草は!」と怒り出すからだ。

「じゃあ、わたしも一緒に顔を洗おうっと」

理沙はさあ行くわよといわんばかりに、浴室まで俺の手を引いていった。
俺が先に顔を洗い、歯を磨く。
理沙は俺がちゃんとやっているか、俺の背後から確認していた。



「遼ちゃん、やっぱり今度も、もとのゴキの姿に戻るのって明日の朝だよね」

「ああ、たぶんそうだろうな」

「じゃあさ、すごく混むとは思うけど、お外へお出かけしない」

「それはいいんだけど、理沙は眠くないのか? そんなに寝てないだろ」

「大丈夫だって。一日や二日くらい寝なくっても死にやしないって」

まあ、せっかく理沙がこういってくれてるんだし、今日のところは、理沙とふたりで思いっきり楽しもう。

「わかった。じゃあ、どこへ行こうか? 理沙」

「えーっとね……神社へお詣りはマストでしょ。けど、その前に初日の出を見に行かなくちゃ。そして、そのあとは、遼ちゃんが前からやりたがっていた、ホテルでの姫始めでーす」

「えっ! ほんとに? ホテルで! いいの?」

「遼ちゃん、がっつきすぎだって。それは一番最後だから。まずは、初日の出を見に行こうよ」

俺たちは、初日の出を見ることができる山頂か、海岸まで出かけようと、家からの所要時間を確認した。しかし、どう考えてみても、今からそこへ行くのは到底無理だ、と判断した。

それで、近くの歩道橋へ行くことにした。



歩道橋の上には俺たちと似たような考えのひとたちが十数名ほど先に陣取っていた。

そして、スマホで調べた日の出の時刻になった。しかし、いっこうに太陽はその姿を現さない。
やがて、ひとり、ふたりと、歩道橋からひとの姿が消えて行った。
結局、残ったのは俺たちだけ。
気づいたら空はもう明るくなり始めている。

ふと、下を見やると、先ほどまで歩道橋にいたひとたちが、歩道に並んで東の方角に目を凝らしている。

「理沙、あのビルが邪魔して見えないんだよ、きっと」 

歩道橋から見る東の空には一棟のビルがそびえ立っていた。そのビルが、ちょうど登ってくる太陽を隠していたのだ。

俺がいわんとしたことを、瞬時に理解した理沙は、歩道橋を降り始めた。俺もあとに続く。

「理沙、きれいだな……」

「うん、遼ちゃん……きれいだね」

すでに太陽は、街並みの上にその姿を現していた。
これが俺たちふたりにとっての初日の出だ。

『今年はすんごい小説が書けるように、がんばりまっす』

俺は心のなかでそう祈っていた。

理沙の横顔を見ると、太陽の光に眩しそうに目を細めている。
きっと理沙も何か思いを新たにしているんだろう。たぶん、俺との将来かなんかを夢見ているのかもしれない。

ちょっとバタバタしたけれど、俺と理沙は、無事に初日の出を拝むことができた。



理沙は振袖を着て初詣に行くといい出した。

来年二十九歳になる理沙は、三十歳すぎてからは、さすがに振袖は着たくないという。
それで、たんすの肥やしにする前に……、という思いからだった。
赤の他人には、理沙の年齢なんてわかりっこないから、そんなこと誰も気にしないと思うのだが、その年で独身? と見られるのが嫌なのだそうだ。

乙女心は複雑だ。

「カジュアルな服装でいいんじゃないか?」

それでも、初詣のあと、ホテルへ行ったときのことを考えた俺は、なるべく身軽な服装がいいと考えて、こういった。

「あら、遼ちゃんってば、初詣のあとのお楽しみを忘れたわけじゃないわよね」

理沙はいたずらっ子のように笑っている。

「あっ! あれをやらせてもらえるのか?」

俺はことあるごとに、振袖姿の町娘を手込めにする、悪代官みたいなことをやってみたいと理沙にいっていた。
俺が子どもの頃にテレビのコント番組でやっていた、町娘が悪代官に着物の帯を勢いよく解かれて、「お、お許しくださいませ、お代官様ーっ!」と、泣き叫びながら、くるくると回るあのシーンだ。

理沙のその姿が目に浮かび、思わず顔のにやにやが止まらなくなった。

「遼ちゃん、なんか変なこと考えてるでしょ?」

理沙はほんとに勘が鋭い。

町娘の帯を解いたあと、俺が乱暴に襲いかかるシーンを想像していたことを見透かされたのかと思った。
コントでは、帯を解いたあとのことをやっていなかったからな。

「変なことっていうか……エッチするのって久しぶりだし、あれをやらせてもらえるっていうのが、超うれしくてさ」

「ほんとにそれだけかな?……」

「ほんとだって、嘘じゃないよ」

なおも、理沙は疑いのまなざしを俺に向け続けていたが、俺はそういってしらばっくれた。



「すんごい人出だな、理沙」

「すごいね、遼ちゃん。この調子だと、お詣りするまで、一時間くらいはかかるかも」

「それくらいですめばいいけどな」

元旦の神社は、予想していた通りの大勢の人出だった。
理沙は振袖に、あったかそうな白いふわふわのショール、俺は着物に羽織りといった、首まわりがスースーする装いだ。

「わたしだけ、振袖姿なんて嫌だよ。遼ちゃんも、お父さんからもらった和装にしてよ」と理沙が怒ったようにいうもんだから、俺は仕方なく、体型のあまり変わらない親父から譲り受けていたものを着ているいうわけだ。

下手にぐずると、理沙のことだ、「じゃあ、行かない!」といい出すに決まっている。
そうなると、そのあとのお楽しみが消滅してしまう、それだけは死守したかった。

一礼して、左足から踏み出し、神社の入り口の鳥居をくぐる。
境内に入り、手水舎で身と心を清めて、列に並びかけたとき、理沙は急に止まって、誰かに話しかけた。

「奇遇だね、五反田ちゃん。あら、シノダくんも一緒なんだ。ふたりとも、明けましておめでとう、今年もよろしくね」

「明けましておめでとうございます、理沙さん」

「今日はふたりとも休みだったっけ?」

「私はお休みなんですけど、シノダさんは、夜の十時から仕事です。たしか、理沙さんは、お休みでしたよね」

「うん、そうなんだ。今日と明日の二日間はお休みなんだ。なんか、悪いわね」

「いいえ。ごゆっくりされてくださいよ。理沙さん、もしかして、こちらの方は……」

そういって、俺に目をやった五反田ちゃんは、前に見た彼女よりさらに小柄で、めちゃくちゃ可愛かった。
そりゃ、ゴキの俺が見上げるのとは、目線のアングルが違うからな。

「うん、わたしのカレシ、遼ちゃん」

理沙はそういって俺の腕を引き寄せた。
おい、理沙。自分のカレシを紹介するのに、遼ちゃんって、ちゃん付けはないだろ。年下っていうのがバレバレじゃないか!

「初めまして、五反田です。理沙さんにはいつもお世話になっています」

五反田ちゃん、俺は初めてではないけどな、キャンプに行ったときに君のことは盗み見ているからな。

「初めまして、坂本です」

ここは俺もちゃんとしとかないとな。
ふたりに頭を下げて、挨拶する。

「初めまして、シノダです」

シノダは相変わらず声がデカい。それに、顔もからだも態度もデカい。
デカいの総合商社か!

「五反田ちゃん。年始にふたりきりでお詣りってことは、もしかして付き合い始めたの?」

「はい。今は真剣に交際しています」

理沙の問いかけに、五反田ちゃんは、恥ずかしそうにそう答えながら、シノダにチラリと目をやった。

おい、いったいいつの間に? あの小説家志望の彼とはあのあとどうなったんだよ? 気になったからそれを訊きたかったが、俺がそんなことをいえば、理沙から聞いたことは見え見えだ。そうなれば、理沙が口の軽い上司だと思われるから、口をつぐんだ。

「理沙さん、いつかはお話ししなければと思っていたんです。ちょうどよかった」

シノダは、五反田ちゃんにチラリと視線を送りながら満面の笑みだ。

なんか、俺は無性に腹が立ってきた。
なぜかというと、小説家志望のあの彼が、あっさりと捨てられてしまったその哀れな姿が、理沙に捨てられてしまったときの俺の姿とダブったからだった。

そんなことはないことを心の底から願う。

そういえば、あの彼は、小説投稿サイトにある日を境にぱったりと姿を見せなくなった。彼自身の投稿は、かなり長い間止まったままだ。

たぶん、五反田ちゃんと別れて、何もかもが嫌になったんだろう。
俺には彼の気持ちが痛いほどわかった。

けれど、五反田ちゃんを責める気にもならなかった。というのも、彼は他にも付き合っていた女性がいたようだし、俺も他人のことはいえないが、経済力もなさそうだったから、そうなっても仕方がないだろう。

それにしても、俺の目の前の、満面の笑みを炸裂させている、このバカデカいの総合商社のシノダの顔を見ていると、なぜか無性にムカついてくる。

「お邪魔しちゃ悪いから。じゃあ、またね」

五反田ちゃんはまだいろいろと話したそうにしていたが、理沙はそういって、ふたりに列を譲ると、とっととふたりから離れた列に並んだ。

たぶん、理沙は俺のことをいろいろ訊かれることを警戒したんだろう。
俺は無職どころか、人間の仕事ができないゴキだからな。

「理沙、五反田ちゃんっていつからあのシノダと付き合ってるんだ?」

「はっきりとはわかんないけど、遼ちゃん覚えてる? キャンプに行ったこと」

「ああ、覚えているよ。たしか、三か月くらい前だったよな」

「うん、そうだね。あのあと、五反田ちゃんは付き合っていた彼と別れたんだって」

「やっぱり、そうなんだ……」

「それで、五反田ちゃんはすっかり元気をなくしちゃって、しばらくの間、普段ならやらないような凡ミスばかりを繰り返しちゃったのよ。ほんとにそれは見ていられないくらいに可哀想だったのよ」

「そんなになるなんて、五反田ちゃんはその彼のことをほんとに大好きだったんだな」

「違うのよ。そうじゃなくって」

「えっ! 違うのか?」

「その彼が、『別れるのなら、手切れ金をよこせ』って五反田ちゃんにいってきて」

「手切れ金?」

「なんでも彼のいい分は、五反田ちゃんのせいで、小説家になるための大事な時間を無駄にしたから、その分も合わせた手切れ金だっていうのよ」

「なんだよ、それ! 無茶苦茶だな」

どことなくその彼に親近感を持っていた俺は、それを聞いて、彼のことを可哀想なやつだと一瞬でも思ったことに、『俺はバカじゃないだろうか……』と自分自身にあきれた。

「それでね、その彼と話をつけてくれたのがシノダくんだったのよ」

「ほう、そうなんだ」

「シノダくんって、大学でラグビーをやってたし、声も、からだも大きいでしょ。そんなシノダくんにその彼はビビっちゃって。『五反田ちゃんには二度とつきまといません』って、その場で約束してくれたそうなの」

「そうなんだ」

声と体だけじゃなくて、顔も態度もデカいからな! なにしろデカい、の総合商社だからな。
『そりゃ、年下のその彼は、ほんとにビビっただろうよ』
そう心のなかで突っ込みを入れる。

「そんなシノダくんのことを、五反田ちゃんは、すごく気になっているってわたしにいっていたのよ。さっき、真剣に交際してるって、五反田ちゃんはいってたけど、もしかして結婚も視野に入れているのかも……」

「そうなんだ。やるね、シノダも」

「遼ちゃん、シノダって呼び捨てはやめなよ。シノダくんは、仕事も真面目で頼り甲斐もあるし、なにより遼ちゃんよりも年上なんだからね」

ヤバい、こんなことで理沙を怒らせたら、今日のお楽しみが吹っ飛んでしまう。

「すみませんでした、以後、気をつけます」

「わかればよろしい!」

ゴキのときの俺が、仁王立ちの理沙からこれをいわれれば、恐怖にチビってしまうが、今の俺は、理沙よりも背が高い。
なんかそんな理沙は全然怖くないし、むしろ可愛くさえ思える。

「なに、遼ちゃん? 笑ってるの!」

知らないうちに、口もとが綻んでいたみたいだ。

「いや、理沙が後輩思いなんだなって思ってさ。俺には勿体ないくらいの素晴らしい女性だよ」

ちょっと臭いかなとは思ったが、これくらいのリップサービスはしておかないとな。このあとのお楽しみのためにも。

「なに、遼ちゃん? そんな歯が浮くようなセリフ。なんか企んでる? 去年もボーナスはいつもとあんまり変わんなかったし、おねだりされてもそんなに贅沢はできないからね」

「なんにも企んでないから、理沙。俺のほんとの気持ちだよ。神社にいるから素直になれたのかな? たぶんそうだよ」

「ほんとかな?……」

理沙は疑いの目で俺を見ている。

一時間ほどすると拝殿にたどり着いた。理沙と並んでお詣りする。お賽銭を静かに入れ、鈴を鳴らす。そして、二礼、二拍手したあと、まず、初めに、今日この日に人間の姿でいられることの感謝の気持ちを伝えた。そして、次に、俺の名前と住所と年齢を伝え、『これからの毎日が素晴らしいものでありますように。理沙があまり怒りませんように。賞をとれるような小説が書けますように』と三つのお願いをする。

そして、頭を深く下げ、一礼して、拝殿をあとにした。

「遼ちゃん、おみくじ引こうよ」

おみくじにもいろいろな種類があって、あれもこれもと目移りする。散々迷った挙げ句、俺と理沙はそれぞれ男みくじ、女みくじを引くことにした。

「やったーっ! 大吉だ。すごいよ遼ちゃん、これ見て! 初詣の日に引いたおみくじが大吉なんて、生まれて初めてだよ。今年はいい年になりそう」

理沙は辺りの目もはばからず、おみくじを頭の上に掲げて、着物の振袖をぶんぶん振り回しながら、そういって大はしゃぎだ。

「ねえ、遼ちゃんはなんだったの?」

俺はおみくじを目にして固まっていた。それは大吉でも、大凶でもなく、なんも書いてない、ただの白い紙だったのだ。

「な、なにこれ? 真っ白じゃない。ちゃんと表にはおみくじって書いてあるのに。信じらんない。こんなことってあるんだね。アハハハハハハッ」

俺の手からもぎ取ったおみくじを見て、理沙は思いっきり笑っている。

「理沙、笑いすぎだろ。これって交換したほうがいいのかな。けど、おみくじなのになにも書いてないって、聞いたこともないし、ある意味すごくいいのかな。なんでも自分の思い通りに行くとか……」

結局、このおみくじはそのまま持って帰ることにした。

神社の境内を出て、出店の屋台で食べ物を物色する。

俺は冷蔵庫のなかのおせちと、理沙が手早く作ってくれたお雑煮とで、簡単に朝食をすませていた。

けれど、理沙は、振袖を着るのに帯を絞めるとお腹が苦しくなるからといって、ほんとに少ししか食べていなかった。
それで、理沙が、ラブホテルに行く前に、なにか買っておきたいといい出したからだ。

焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、りんご飴、チョコバナナ、ベビーカステラ、焼き鳥、唐揚げ、イカ焼き、焼きとうもろこし、じゃがバター、フライドポテトなど、あまりに種類が多すぎて、理沙はどれにするのか決められない。

そこで俺たちは屋台を一度ぐるりと回りながら決めることにした。
そして理沙はようやく決めたのか、まず、たこ焼き屋の前に並んだ。

「純ちゃん、あたし、あれ食べたい」

突然、甘えるような甲高い声が耳に飛び込んできた。声のほうに顔を向けると、赤色のタイトな革のミニスカートに、いったいどこで買ったんだよ! と思わず突っ込みを入れたくなるようなレインボー柄のダウンジャケットといった格好をした、小柄な可愛い女の子の姿が目に入った。

似合っているのか、どうなのか、よくわかないコーディネートだ。
背中ほどまである艶やかなストレートの黒髪は彼女のからだのほぼ半分を占めている。

「みあちゃん、なんでも好きなだけ食べていいからね」

その女の子と腕を絡ませた中年オヤジも、これまた同じように甘えた声でその子の耳もとで囁いている。

気持ちわりーな、パパ活かよ! そう思ってそのふたりから離れようとしたそのとき、後ろから声がした。

「遼之介! 遼之介じゃないか?」

その声に振り返ると、俺の親父の純一郎が、驚いたように佇んでいた。

「と、父さん?」

親父が着ている親父の冬の定番、ベージュのトレンチコートは、となりの女の子の装いとはおかしいくらいアンバランスだった。

彼女は、親父が大切そうに隠していた、空の菓子箱のなかに入っていたCDの、某アイドルグループの一番人気の女の子によく似ていた。

「父さん、なにやってんだよ、こんなところで?」

「なにって、彼女と一緒に初詣に来たんだよ」

なにが初詣に来たんだよ、だ。こんな、明らかに三十以上も歳の離れた若い女の子と一緒にか!

「こんにちは」

見た目とは違い、意外にまともな挨拶もできるんだな。

「遼之介、彼女は、みあちゃんだ。今、お付き合いしている」

「やだーっ、純ちゃん。あたし恥ずかしい」

なにが恥ずかしいのかよくわからんが、彼女は親父の腕に思い切りしなだれかかっている。

「遼ちゃんのお父さん。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」

親父に気づいた理沙は、買ったばかりのたこ焼きが入った袋をぶら下げて、そういって頭を下げた。

「理沙さん、明けましておめでとう。こちらこそよろしくお願いします」

「初めまして、よろしくお願いします」

となりの女の子も親父につられて、そういって頭を下げた。

「お父さん、こちらは?……」

「私のカノジョの、みあちゃんだ」

「やだーっ、純ちゃん。あたし恥ずかしい」

さっきとまったく同じことをいって、同じように親父の腕に思い切りしなだれかかって、本気で恥ずかしがっている。

「あ、初めまして、理沙です」

「彼女は私の息子、遼之介の未来の花嫁さんだ」

「お父さん……」

理沙は、未来の花嫁というセリフに食いついたのか、そういったっきり顔を真っ赤にして押し黙った。

なんだよ、ここは恥ずかしがり屋大会の会場か? そんなことを考えていたら、俺たちの会話を断ち切るように、その女の子が割って入った。

「純ちゃん、あたしもたこ焼き食べたいな」

そういって急かすように親父の腕を引っ張った。

「じゃあ、理沙さん、遼之介、また」

親父は彼女に連行されるように、そういい残すと、たこ焼き屋の列に並んだ。



「遼ちゃん、びっくりだね。お父さん、あんな若い子がカノジョだなんて、やるねーっ!」

「やるねー、じゃないよ。あれは絶対になにか裏がある。パパ活かなんかだろう。まあ、実際のところはどうかわかんないけどな。あれじゃ、ロリコンオヤジだよ」

「そうかな、遼ちゃんのお父さんって、ちょっとイケオジって感じじゃない。わたしは全然ありだと思うけどな」

「ふたりが並んで立っていたときの、あのアンバランスさを見なかったのか? 本気でいってるのかよ」

親父から「遼之介の未来の花嫁さんだ」なんていわれて舞い上がってるんじゃないか、理沙。

それから俺たちは、理沙の好きなものを屋台で買い倒し、コンビニで飲み物を買って、そしてそれらをぶら下げて、そのままホテルへ直行した。



元日のホテルはガラガラだった。部屋は選び放題だ。考えてみれば、そうだろう。
『一年の計は元旦にあり』なのに、今年一年の計画を立てる前に、それだけのためにラブホにくる輩なんてあまりいないのは当たり前だ。

けれど、なかには俺みたいに、初詣のあとは姫始めと決め込みたいやつもいるのだろうが、せっかく気合を入れて、着飾った女性がラブホに行く気になれないのは当然のことだ。振袖など着ていれば尚更のことだ。いったん裸になったあとで、自分一人でしっかりと着物の着付けができる若い女性なんてそうはいない。

理沙はホテル研修の一環で、着物の着付けなども厳しく教えてもらったことがあるらしく、朝から支度するときも、俺が「早っ!」と声を上げるほど手慣れていた。
その分、慣れていない俺がかなり手間取ったので、理沙にあきれられていたけれど。

「じゃあ、理沙。お願いできるかな?」

「ああ、あれね。ここって意外と狭いから、あんまり乱暴に帯を引かないでね」

例のお代官様ごっこのことだ。

理沙は手先の不器用な俺のために、あらかじめ帯締めだけを外してくれた。
帯の端を左手で持って、勢いよく手前に引く。理沙は、「お、お許しください、お代官様ーっ!」と、泣き叫びながら、くるくると見事に回って見せた。

上手い! 日本アカデミー賞主演女優賞決定!

このあと、町娘はすっぽんぽんにひん剥かれ、辱めを受けるはずなのだ。
しかし、振袖の下から出てきたのは、長襦袢、そして、それをやっと引き剥がしたと思ったら、今度は肌襦袢が出てきた。

そんな手順を踏んでいたら、だんだんそんな気がなくなってきた。
せめて理沙が「いやー、やめてーっ!」とか嫌がるふりをしてくれれば少しは盛り上がるんだろうが、着ているのがシワになるからとすごく協力的で、俺が脱がしやすいようにベッドの上でからだを右に左に動かしてくれたのだ。

理沙をブラジャーとパンティ姿にまで脱がせたところで、俺はそんな気がすっかり失せていた。

「どうしたの? 遼ちゃん。しないの?」

「うん、今はいいや」

「じゃあ、わたしお腹すいたし、先にご飯食べよっか。時間もたっぷりあることだしね」

「そうだな」

なんか、期待が大きすぎたせいもあったのだろうが、完全に肩透かしを食らったみたいに、気の抜けた返事しかできなかった。

「さあ、食べよっか? 遼ちゃん」

理沙は部屋のエアコンの温度をがんがん上げると、早々とバスローブに着替えた。
膝の上には、フェイスタオルの上にティッシュを広げて、万が一こぼしたときのために、準備は万全だ。

俺もそれに倣う。

よっぽどお腹が空いていたんだろう。
今日の理沙はよく食べる。

フランクフルトを意味深に食べたあと、焼きそば、たこ焼きとその食欲はとどまるところを知らない。

俺も負けじと、テーブルの上に並べられた、屋台のB級グルメに次々と箸を伸ばす。

「あっ! 理沙、それはっ!」

理沙は俺の制止の前に、ビールでごくごくと喉につまった食べ物を胃に流し込んでいた。

理沙はまったくの下戸だ。
ひと口飲んだだけで顔が真っ赤になるほどだ。

「あっ! これって遼ちゃんのじゃん」

食べ物が喉につまって苦しかったんだろう。よく確かめもせず、缶ビールを飲んでしまった理沙は、五分もすると、「酔っ払っちゃった、み、た、い……」の言葉を残してベッドに倒れ込むと、そのまま、永遠の眠りについた。
といっても、別にあの世に行ったわけではない。

理沙はこうなると、しばらくは、なにをどうしても起きない。
もちろん、この時点で、俺の姫始めの計画は水の泡となった。

休憩の二時間はあっという間に過ぎた。理沙はまだ寝ている。しょうがない、フロントに電話をかける。

「すみません、休憩を泊まりに変更できますか? できたら今日は泊まりでお願いします」

理沙は当分起きそうもないし、結局、俺たちは泊まることにした。



「遼ちゃん。わたし眠っちゃったみたい。ごめんね」

「ごめんね、じゃないよ理沙。けど、宿泊に変更しといたから、今夜はこのままここでお泊まりだ」

理沙のやつは今の今まで爆睡していた。俺たちがホテルに入ってからすでに八時間が過ぎていた。

理沙はほとんど寝ていなかったから、これはしょうがない。まあ、初日の出は見ることができたし、初詣にも行けたし、お代官様ごっこも、とりあえずはできたし、これで良しとしよう。

「遼ちゃんどこ?」

「ここだよ、ここ」

俺は枕の端にしがみついて、理沙の顔のすぐそばから声をかけていた。

「きゃっ! 遼ちゃん、もうゴキに戻っちゃったの?」

「そんなにいちいち驚くなよ。俺がもとのゴキに戻ることなんて、あらかじめわかっていたことだろ。だけど、俺もこんなに早くとは思いもしなかったけどな。午前零時って、シンデレラかよ……」

ベッド脇の時計は、深夜零時を五分ほど過ぎている。
理沙が寝ている間に、俺はもとのゴキの姿に戻っていた。

「ごめんね、エッチできなくて」

「別にいいよ、もう」

「なんなら、今からでもする?」

「するって、なにをどうやってするんだよ」

「おっぱいくらいなら触らせてあげてもいいけど」

俺がゴキのときには、理沙は自分のからだを絶対に俺には触らせない。
なんでも、くすぐったいんだそうだ。
けれど、それ以前に、なんか汚い気がするのだという。

俺のからだを、ほんとに油が抜け切るんじゃないかというくらいまで、ボディーソープでたまに念入りに洗っているのにだ。

「理沙、ほんとにいいの?」

「うん、今日は特別だよ」

そういって、理沙はブラジャーを外し、ベッドの上に仰向けになると、俺をその豊満な胸へそっと置いた。

「すごっ!」

俺のこの軽いからだでも、ボヨンボヨンの感触は伝わってくる。柔けーっ! 至福の時間だ。人間の姿のときにモミモミする、手のひらのなかでの重量感があるあのボヨヨンもいいが、からだ全身で感じられるこれも捨てがたい。

「やめて、遼ちゃん。くすぐったい」

「ほれ、ほれ、こうかっ!」

俺は理沙の嫌がる声を聞いて、さっき最後までやり切れなかったお代官様ごっこのスイッチがまた入ってしまった。
それで、つい調子に乗って、六本の脚を使ってこういいながらサワサワと触りまくったのだ。

「やめてったら!」

理沙に放り投げられた俺は、次の瞬間、部屋の壁に叩きつけられていた。

背中にすごい衝撃が走る。

「い、た、い、よ……」

俺はそういって気を失った。



カチカチカチッ。

この音で目が覚めた。

「あっ! 遼ちゃん……」

理沙は目に涙をいっぱい浮かべて、俺を覗き込んでいる。

「お、おまえ、死んだんじゃなかったのか?」

その声のするほうへ視線を移すと、ソファに理沙と並んで座る、猫のピーチとまさみの姿があった。

ピーチは、テーブルに飛び移ると、その茶色の縞々模様の顔を俺に近づけて、鼻先でくんくんと嗅いできた。

「よかったね、理沙ちゃん。遼之介さん、生きてて」

「まさみさん、ありがとう……」

理沙は涙を拭いながら、うんうん、とうなずいている。

理沙は俺をテーブルの上にそっと置いた。

「遼ちゃん、死んじゃったのかと思った。よかった……生きていてくれて」

テーブルの上には、以前、俺が愛用していたバカデカいガラスの灰皿のなかに、ベッドみたいにティッシュペーパーが敷き詰められて置かれていた。
どうやら俺はここで寝ていたらしい。

「理沙、まさかおまえ、俺が死んだと思って火をつけて弔おうと思ったのか?」

「うん、そうだよ」

「そうなんだ……。けど、危ないところだった」

もし、今のこのタイミングで目を覚まさなかったら……と考えたら、ゾッとした。
理沙はぐすんぐすんといまだに泣きじゃくっている。

「理沙、泣くなよ。俺まで悲しくなるだろ。俺はここにこうしてまだ生きているんだから」

「わかってるよ……」

俺は理沙からほんとに愛されている。
理沙を残して絶対に先には死ねないな、そう思う。

「ところで理沙、俺ってどれくらい死んだような状態だったんだ?」

「えーっと、今日が七日、七草粥の日だから、約六日間かな……」

「そ、そんなにか?」

やっぱり理沙は俺のことを心の底から大切に思ってくれている。
普通だったら、二、三日待って、どうするのか結論を出すだろう。

「ところで、理沙。ガラスの灰皿のなかで……なんて。よく、こんなことを思いついたよな?」

「だって、ホテルで見た初夢が、まったく同じように、わたしが遼ちゃんを壁に投げつけて、遼ちゃんは死んじゃうんだけど、こうやって燃やしたら、人間の姿になってよみがえったのよ。だから、そうなるのかな? と思って」

俺は理沙のいっていることがよく理解できなかった。夢と同じように、現実がなるわけがないだろ?

「もし、死んでそのままだったらどうするつもりだったんだよ」

「そのときはあきらめるよ」

理沙の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

「ごめんな、理沙。心配かけて……。でも、なんでまさみさんたちを呼んだんだよ?」

「だって、前にプチ喧嘩したときにさ、わたし遼ちゃんにいったよね。遼ちゃんが死んだら、まさみさんとピーチとわたしの三人で弔ってあげるって」

「理沙、よくそんなこと覚えてんな」

「えへへっ、わたし記憶力だけはいいんだよ」

灰皿のなかに敷き詰められたティッシュはなにかで濡れていた。ライター用のオイルの匂いがする。

「まさか、理沙、おまえ俺をこれで火葬するつもりだったのか」

「うん!」

元気よく答える理沙の顔が、なぜか泣き笑いの閻魔大王に見えた。



昨年は、たくさんのスキ、温かいコメントをいただき、大変お世話になりました。

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鯱寿典
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