後者の「こだわり」と「つながり」について
先日、けいちゃんと前者後者について深く掘り下げているときに出た内容が 興味深かったので ここで形にしてみたい。
家族構成論の元となった 24タイプ論。24タイプ論のスタートは「前者後者」の解説だった。「前者後者の理解だけではカバーしきれない いろいろがある!」「前者後者の違いをわかりづらくさせている他のタイプ分類がある!」と感じて 「3タイプ」「役割タイプ」「めっちゃふーん」 そして最近では「循環タイプ」が加わったわけだが。つまり 前者後者をより深く より立体的に解説するために 研究を重ねていった先に 現在の家族構成論にたどり着いた とも表現できる。前者後者はそれほどにも 重要で 難解で だけど諦めずに 違いを話し合う必要のある タイプ分類なのだ。
「こだわりを通す態度」「全否定されたと傷つく反応」の裏側で起きていること
結果的にそうなっている(そう見えている)が、後者のなかで起こっていることは 前者さんの世界から想像できるものと 大きく違うかもしれない。
後者の脳内イメージはいつでも1画面であるため 武器ひとつの本番一発勝負であり 行きの燃料だけ積んである特攻隊である。それをカバーする「記憶力」「想像力」「勘」「肌感」「勢い」があったとしても ある場面によっては画面を素早く切り返し いっけん複数画面のように行動することができても 基本は 単画面の一発勝負なのだ。
勢いよく向かった道の途中で、突然 視界が真っ暗になることがある。たった一つの武器が 通用しないとわかることがある。これまで準備してきた全てのものを ゴールに運ぶことなく 一旦 諦めて スタートに帰らなければならない。
またゼロから 全てをやり直さなければならない。落胆と絶望が 一気に襲ってきてパニックになるのだ。
その結果 自分の全てを否定された気持ちになって、身近な人に八つ当たりをしてしまったり そんなはずはない!と 現実を受け入れられなかったり。その瞬間はパニックになっても 時間の経過とともに エネルギーを回復し またゼロから 次のチャレンジの準備に取り掛かることもできる。
つまり、前者の目に映る 後者の「こだわりを通す(ように見える)態度」「全否定されたと傷つく(ように見える)姿」は
「思い通りに動かしたい」「わからせたい」という意図はゼロに近いほど薄く
「どう見られたか」「どう扱われたか」に傷ついたのではない ということになる。
関係性とコミュニケーション
後者は 関係性やつながりの感覚が、前者と全く違うけれど だからと言って 人を人として見ていない わけでも 近くにいる人に関心がない わけでもない。むしろ自分の一部のように 大切に思っていたり 当たり前に全てを受け入れているからこそ 同じ空間にいる という感覚が当たり前にあったりする。「深いつながり」を感じているからこそ 相手を信頼し 尊重しているからこそ 「共に生きる」という選択をしている とも表現できる。
陸続きの町に住む町民文化が前者の世界観だとすれば、海を隔てた島国相手の国際交流が後者の文化である。
「常識」という暗黙のルールがあり 言葉や記号で 「気持ち」「意思」を確認し合うのが 前者のコミュニケーションだとすれば
自国の特産品や観光名所 相手国を豊かにする輸出品 を紹介し合い 交換し合い 友好条約を結ぶのが 後者のコミュニケーションという表現もできる。
「勘違い」の積み重ねが 心の中に問題を映し出す
前者後者の違いは、とてつもなく大きい。どんなに相手の世界を想像しても、どんなにお互い歩み寄っても 正解に辿り着くことはない。
だから、わたしたちは 大切な家族やパートナーと たくさん触れ合い いろんな経験をし コミュニケーションを取ることが必要となる。
自分の心に嘘をつかず、相手のことを決めつけすぎず いろんな形で「通じ合う」工夫や努力をすること、それ自体を楽しみ味わうことだってできる。
「問題」は現実には起きていないかもしれない。違いを知らないが故の「勘違い」が積み重なっているだけかもしれない。そして 違いを知らないことも 勘違いを積み重ねることも 悪いことではなく とても自然なことであり お互いを支え合い、高め合うための ギフトになり得る。だから、大きな違いに打ちのめされても理解し合うこと 手を取り合うことを諦めないでほしい と強く思う。その先にきっと、温かいつながりが見出せるはずだから。
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