楽譜が大事?音楽が大事?
昨日の夜中に勢いのままに書いたツイートをまとめてみました。
ショパコン以降楽譜に忠実であると言う事はどのくらい重要なのかと言う議論がすごくされてますね。いいことだ。
個人的に思う結論としては、楽譜をちゃんと読み込む事は100%大事だと思います。そして「音楽的であること」それよりもさらに大事だと思います。
(ここでプリモコンクールhttps://primoart.jp/primo-art-competition-1st/のことをリツイートして)
コンクールの弊害(もちろんいい側面もたくさんあります)によって均一化されて面白くなくなってしまった部分を取り戻すべく一風変わった課題曲にしてみました。本当は「自由曲、ただしサロン演奏にふさわしい洒脱さと深みを持ち合わせたやかましすぎない楽曲」とかしたいところ。
そういえば「均質化」で思い出した。今はヴァイオリニストとして活躍している大江馨君がまだ中学生の頃室内楽セミナーに参加してくれて、僕のピアノを聴いて「ピアノは全部同じ種類の音が出る(まさに均質)ものかと思っていたけれどいろんな表情が出るものなんですね」と言ってすごく懐いてくれた。
僕にとってみれば当たり前のことだったんだけど、どうやら世間ではそうでは無いみたいで、ピアノは弾くのが難しい楽器だから音を揃えられることがすばらしいと思われている節がある。音なんて揃って当たり前で、それを色鮮やかにしたりニュアンス豊かにしたりして魂を吹き込むのが音楽じゃないの?
ホロヴィッツだってルービンシュタインだってコルトーだってリヒテルだって、均質に弾いてる大ピアニストなんていない。ポリーニは一見均質に聞こえるけどあれは本当はちがうんだ。しかしそこに気づけなかった人たち(演奏者も評論家も先生も)がクラシックを面白くないものにしてしまった。と思う。
挙げ句の果てには、「音が均質に弾けていて素晴らしい。私だって10本指があってぜんぜん同じ音質で弾けないのにすごいことだ」なんて平気で言う評論家まで現れる始末。そんなことは当たり前じゃないか。何年、何十年訓練をしてきてると思ってるんだ。
恥ずかしくないのかな。
いかん、毒が止まらん(笑)。深夜だし、ブラームスで頭の中ワヤワヤだし。まあたまには吐き出さないとやってられん。
というわけでこのツイートは朝日を浴びると自動的に消えます。多分。
あ、ちなみに全く以て酔っ払っているとかそういうわけではありませんが、寝不足の状態は酒気帯びより判断力が鈍るそうです。
さて、話を戻すと、クラシックはもっともっと生きている音楽だと思う。昨日もたまたまレッスンで生徒に何かモーツァルトのピアノ協奏曲を見せようとYouTubeを探したらバーンスタインがウィーンフィルと弾きぶりしてるのがあって、その序奏のなんと生き生きしていることか。ピアノは…んーf^_^;。いや、でもちゃんと最後まで聞いていないから何とも言えないけど。
ちなみにさっきの均質化の話ね、たとえばカンナ職人の人が機械でも出来ないような精度で木を削ることが「出来る」、からすごいわけじゃない。その結果すごいクオリティーのものを作ることができるから凄いわけ。ピアニストは均質に弾けるそのスキルを持って均質に弾いちゃいけないわけ。というか音楽を感じていたらその時点で均質ではなくなるはずなんだけど。
楽譜の話も同じようなことだ。
例えばそのカンナ職人(呼び方合ってます?)の方があらゆる木材についての本を読んですばらしい知識のもとに仕事をしている、からすごいんじゃなくて、その結果クオリティ(以下同文)。
だから、楽譜を読み込めてるから良いということでは全くない。もちろん読み込めてないのは0点ね。だけど読み込めてて音楽的に全く魅力的でない演奏する人もまた0点。減点方で行くとそこには点が入っちゃうんだけど、そういう演奏が増えてはいけないの。みんな生きてないといけない。
テクニックとかもそういうこと。こっちのほうがわかりやすいだろうけど。もちろんテクニックがないのはだめ。だけどテクニックがあっても音楽的でないのも「同じようにダメ」。個人的には僕の使命は「あまり←この塩梅は大事だし難しい」テクニックがないけれどものすごく音楽的で魅力的な演奏をする人をちゃんとすくいあげること。その逆もまた然り。
さて、こんなゴタクを並べてないで練習しよ。。
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