不安障害末期だった時にできなくなったこと
こんにちは、果実酒です。
私は中学生の時に不安障害を発症し、そこから10年が過ぎた今でも完治はしていません。
不安障害の発作は波がありましたら、一番発作がひどかった時が中学2年生の時と、社会人1年目の時です。その時は日常生活に大きく支障をきたすほどしんどかったです。
今回は、発作がひどかった時にできなくなったことを話します。
1.外食に行けない/誰かとご飯を食べられない
不安障害の発作がひどかった時、誰かと外食に行ったり、一緒にご飯を食べたりすることができなくなりました。
美味しいご飯を食べること自体はすごく好きでした。ただ、外食イコール不安要素だらけなものでした。
例えば
一緒に行く相手に気を遣う
具合悪くなってしまったら相手に迷惑がかかってしまう
完食できるか心配
外食先のトイレを占領して、お店側にも迷惑をかけてしまう
飲食後の移動で気持ち悪くなりそう
‥‥などが、私の中で不安でした。
一人で行く分には平気なのですが、誰かと一緒に外食に行くと、その相手に迷惑をかけてしまうのでは‥‥という不安から気持ち悪くなり、それが怖くなって外食を断るようになりました。
また学生の時は、お昼休憩の時にお弁当を食べられなくなりました。お弁当に口をつけようとすると気持ち悪くなり、毎回保健室に行っていました。
なので、発作がピークの時は、例えすごくお腹が空いていてもお昼は食べず、夕方以降に食べるようにしていました。
2.満員電車に乗れない
人が多い満員電車に乗れなくなりました。
乗れなくなったきっかけは、台風の影響で交通網が麻痺して、いつもよりも人が多かった満員電車に無理やり乗ったことです。
内臓が押しつぶされるような感覚で息もしづらく、遅延で中々進まなく、「このまま死ぬんじゃないか‥‥」と思い、ひどい発作に襲われました。
その日をきっかけに満員電車はもちろん、快速急行など次の駅に停まるまでに時間がかかる電車がダメになりました。
快速急行で行けないため、各駅停車などを使って満員電車を避けて乗るようにしていました。
3.会議室に入れない
密閉された空間である会議室に入れなくなりました。
私の中で会議室=一度入れば会議が終わるまで出られないというイメージを持っていたため、会議室でしかも1時間以上いることが難しくなりました。
また、その会議室の人数が多ければ多いほど、空気が詰まるような気がして余計に気持ち悪くなってしまいました。
4.美容室に行けない
長時間拘束される美容室も、私にとっては恐怖の場所として行けなくなってしまいました。
一度施術を始めてしまえば1〜2時間は動けないですし、カラーやカットを始めてしまえば途中で抜け出すことができないというイメージがあり、このことを考えてしまってからは、施術の途中で気分が悪くなるようになってしまいました。
私の経験上、周りに美容室の途中で具合悪くなって退出した人を見たことがなかったため、「美容室では発作を起こしてはいけない」という固定概念が強くなり、より一層行けなくなってしまいました。
5.旅行が行けない
不安障害末期だった時は、旅行などのアクティブな行動ができなくなりました。
旅行は家にいる時と違って「常に動く」「トイレなど具合悪くなった時に駆け込む場所に常に行けない時がある」「食べることが多いため、常に胃の中にものがある」という理由から、不安障害の私にとってはとても怖いものでした。
私一人ならまだしも、一緒に旅行にいく人にも迷惑がかかってしまうため、旅行を誘われても断るようにしていました。
まとめ|それでも人生何とかなった
不安障害末期だった頃の私にとって、外の世界は恐ろしいものでした。
一歩外を出れば休まる場所はほとんどなく、もしそこで具合悪くしてしまえば誰かに迷惑がかかり、好奇の目にさらされる。そんなイメージがあり、いつしか仕事以外での外出はせずに引きこもるようになりました。
不安障害をほぼ克服している今の私が、不安障害末期だった時の私に言いたいことがあります。それは「人生何とかなる」ということです。
外で不安発作を起こしたり、そのせいで友達に気を遣ってもらったことがあります。その当時の私にとっては「失敗」でしたが、今思えばしょうがないことです。
逆にその当時の苦しい経験があったからこそ、今は「あの時は苦しかったけど、なんとかなったな〜」とラフに思えています。
だから、今不安障害で辛い思いをしている人は、不安発作は将来にとって必要な痛みなんだと、できるだけ気軽に考えてもらえればと思います。