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読書感想文「弱いロボット」岡田 美智男 (著)

 疑問の量がスゴい。雑談とは何か。関係とは何か。世界とは何か。場とは何か。コミュニケーションやロボットを考えるにあたり、最前線の研究者とは、そんなところから掘り返すのか!と思う。
 ロボティクスやFAの腕がグルングルン動き回って動作していく世界ばかりか、知能のオバケが全知全能の「何でも知ってまっせ」状態で「こんなふうにまとめてみたんやで」と完璧、十徳ナイフの万能性を発揮しちゃう、こんなAIマンセーな時代なのに、ロボットの方から「お宅ら人間がいてくれて初めて成り立ちまっせ」というのである。これをコペルニクス的転回と言わずして何て言おう。
 「役に立たなさ」とは、「関係づくりを引き出す」ロボットであり、引き出された関係やコミュニケーションによって、意味が生じる。ロボットが自律的・自発的に人間に有益な生産行為を行うことを放っておいても勝手に生み出してしまうような「知性」や「お役立ち」とは違うのだ。
 そう考えると、役に立たないヤツやジリジリさせるグズとは、社会における創発を生み出す媒介を果たしているのではないか。つまり、そいつがいる場において、周りがつい手を出してしまう、先回りして用意してしまうことによって生まれる便利な道具やサービス、結果としての関係調和を生み出してしまうのではないか。「あー、もう!」と言わせながら。つまり、必然的に存在する子どもや老人を中心に、ハンデを持つ人たちが一定程度の割合でケアを要求することこそ、コミュニケーションや創発を生み出す源になっているではないか。
 そして、この「一人では何もできない」「いつも他者を予定している」ロボットというものの発明(発見の方が適切かもしれない)とは、「できなさ」を武器に相手を「道具」として動かすというソーシャル・スキルをロボットに身につけさせたということである。
 「ついつい構ってしまってもらえる」ことの方が、「ちゃんとして何でも自分でできる」ことより優位では?とコミュ障に突きつける強烈な命題だったりする。


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