「死ぬ100」が「死ぬ30」になった話
人生、やりたいことは多いのに、短いな〜。
と思っている10代学生の文です。
人生は長いのやら短いのやら…..(お茶ズズズ)
いやいや….
私にもちゃんと理由があるのですよ。
前回の記事で、「死ぬまでにやりたい100のことやります!」って言ってまして。
それで、ここ5日間ぐらい「死ぬ100(死ぬまでにやりたい100のこと)」を考えていたわけ。
最初の方はね。
普通にやりたいことリストだった。
でもさ。
途中から「ムリじゃね?」って言うのが増えてきまして。
例えば、「世界のすべての国へ行く」って言うのがあっても内乱中とか、戦争中とかだと無理じゃん。
でもってそれを、私が終わらせることもできない。
私は人間核兵器でもなければ、人間交渉マシーンでもないからね。
そしたら「自由ってなんやねん」って話になってきます。
自由に生きる。
自由に遊ぶ。
自由に死ぬ。
やりたいことリストは、「自由の象徴」とも言える。
だって、「自由に」やりたいことをリスト化してるんだから。
でもさ。
この世に、そんな完璧な「自由」があると思う?
最後の「自由に死ぬ」も、「親族の思い」とかがある限り自由ではない。
だって、「死ぬ」と言う「自由な行動」に対して、「死ぬな」って言う「自由な思い」があるから。
そしたら、「自由」と「勝手」の違いについて考え出したり。
その結論は「唐揚げで自由について考えてみた」って記事にも書いたけど、「完全な自由なんてない」になりました。
気になる方は読んでみて⬇️
まあ、「やりたいことリスト」なんてモロ人生の話じゃん。
だから、考えちゃう考えちゃう。
考え出したら止まらないことを考えちゃう。
でもって、勇者で言うエクスカリバーぐらい重要だから、放棄することもできない….
やめられない!とまらない!「カッパ」&「エビ」&「セン」!
とか、
ハッピーな粉がかかったターン
よりも止まらない…..
今は考え続けちゃう頭に「オ〜ネ〜ム〜リ〜」をかけて書いている状態です。
で、最終的な結論としては….
死ぬ100、作り切るのムリ
って言うことになりました。
どういうことかと言いますと。
「死ぬ100」を作ってもさ。
どうせすぐ「やりたいこと」が出てくるじゃん。
てことは…
今100個作っても、どうせすぐ追加したくなる。
気づいたら「死ぬ101」とかになっている気がします。
そして、こう結論づけました。
じゃあ、完成させなくていいんじゃね?
と。
逆転の発想です。
どうせ完成できないなら、完成していないやつにしよう。
なので、「不完全なバケットリスト」でいいから作って、それをどんどん足していく感じにしようと思います。
最初は20個ほど。
そこから、毎週一個ぐらいのペースで追加していって、ゴールを目指します。
月一で、「今の死ぬ100」って感じで公開しても良いかもしれない。
まあそんな感じで、今の「死ぬ100」はこんな感じです。