哲学ちいかわ化計画
「哲学って、難しそう。」
こう考えて、なにも考えたことのないあなたへ。
じゃあ、「てつたま」になろうや。
突然だけど、私は、哲学が好き。
そもそも、考えることが好きだったから、
ベリーマッチだったのかもしれない。
前世からの恋人だ。
そんな私の恋人は、なかなか世間には浸透していない。
なんでだろうね?
こんなにすばらしいのに。
哲学のことを、ざっくりいうと「これってなに??」だ。
時間。
これってなに??
勉強。
これってなに??
自分らしさ。
これってなに??
まるで、「なぜなぜ期」の子どものように、当たり前に頭からツッコむのが哲学ってやつだ。
私はこの「当たり前に頭からツッコむ」って言うことが大切だと思っている。
だって、今の若者(が多い)って「当たり前」を「当たり前」で終わらせちゃってるんだもん!
ちょっと考えてみてよ!!っていうことがよくある。
意味ワカラン校則とか。「基礎」からはいる勉強とか。
でも、「これがルールです」「これが当たり前です」「ずっとこうしてきました」で片付けられすぎて、「当たり前」を疑わなくなっちゃったんだと思う。
ちょっと待ってくれよ。
本当にさあ…
もうちょっと考える力を持とうや。
当たり前を疑う力を持とうや。
私は、学校での「矯正」が、無邪気な子供から「疑う力」を奪っているんだと思う。
「こうあるべきだ」は尊重されるべき。
「昔からのやり方」は素晴らしいことだ。
「従順な人間」は素晴らしいことだ。
べき。こと。のレレレ打ちで、思考停止してしまっているのかなぁ。
なんでだよおおおおおおおおお!!!
学校なのか?
本当に、教育なのか?
これでいいのか?ねえ?文部科学省。
道徳で「こうあるべき」を教えるんじゃなくて、
「こうあってもいい」を教えなさいよ!!!
それにちゃんと理由を考える癖をつけさせなさいよ!!
でもね。
私は、教師でもなければ、校長でもない。
文部科学相の人でもなければ、総理大臣でもない。
だから、教育にはどうやっても手が出せんのよ。
まあ、教育をこうしてくれ!みたいなのを提出する権利はあるけどね。
(全国民)
だから、私ができるのは、これだ。
お前も、「哲学者」にならないか?
多分、哲学、ってこんなポイズンな今だからこそ、大切だと思う。
哲学のやり方は、超シンプル。
「なぜ?」を繰り返すだけ。
「なぜ?」の繰り返しで、自分なりの答えを見つけるってこと。
他人から与えられた答えで満足している人がなんと多いことか。
ちょっと待ってくれよ!
もうちょっとさぁ。
考えてもいいんじゃない?
もうちょっと自分の「幸せ」とか、仕事の意義とか、当たり前とか。
そういうものに、頭からツッコんでみてよ。
たんこぶできてもいいからさ。
考えなければ、「これが正しい」とされるものに流れるだけなんだよ!
ちょっと脱出してくれ。
「自分の答え」を見つけ出してくれ。
それだけで、「自分のコンパス」が作れるようになるからさ。
ずっと楽になるから。
私たちは、もうちょっと考えるクセをつけた方がいい。
私は、この現代に哲学が浸透していないのが悲しい。
残念、という感情はこのためにあるんだろう。
古代ギリシャは、いろんな哲学者が毎週毎週、街中で演説をしていた。
そこから、考えが変わる人もいれば、逆の答えに辿り着く人もいた。
でも、「考えるきっかけ」は確かにあった。
でも今は、それすらもない。
私は、考えた。
(ガリレオBGM、スタート)
なぜ、こんなにも浸透していないのか?
なんで、「賢い人がするもの」になっているんだ?
その答えは多分、これなのだろう。
「難しそうだから。」
難しそうだから、やらない。
賢そうなだけだから、やらない。
哲学って、家にこもっておじいさん(白髪&長い髭)が、紙になんか書いているイメージが強いよね。
確かに、「人生の意義とは?」とかは難しすぎる問いだと思う。
そんなの考えるなら、ボタンぽちっで、スイッチしたほうが数十倍楽だもん。
ガチガチに難しい、悩み続けるってイメージがあるんだろう。
そのくせ、バチっとハマるような答えが出るわけでもなければ、無限に悩み続けていまだに答えが出ないまま続いているとか。
例えば、ハイデガーというすごい人が『存在と時間』という『存在とは何か?』を突き詰めた本を書いていて、何百ページもあり、しかもいまだに未完。
そこでは、一生考えたものの、答えは出ていない
多分、これを聞いて大半の人はこう思っただろう。
「えっ?意味あるの?それ?」
結論:ない!
ないけど、見つけれれば、嬉しい。
自分の価値観になる!
だから、悩むことに意味があると言っても過言ではない。
「いや…「悩むことに意味がある」
って結局なんにも手に入ってないじゃないですか」
そうともいうZE!
つまり、「哲学=難しいこと言っているだけ」になってるんだ。
だから、私はこう考えた。
「じゃあ、ゆるふわにして
ハードルを激下げにすればいいんじゃね?」
と。
我ながら、意味のわからん考えである。
しかもこれを思いついたのが、昨日の夜0時。
いわゆる深夜テンションだ。
そのメモをスマホに貼って(謎)から、寝た💤
朝アラームを止めようとして最初に目に入ったのが、「哲学をちいかわにする」だ。
why?
まじで意味がわからん。
これまでにないくらい、最速で血流が跳ね上がり、脳の電気信号も、0秒で起動した。
いい目覚めだったぜ。
それから、ぼんやりと昨日の記憶が戻っていき、今書いているというわけだ。
「哲学ちいかわ化計画」は、先ほども話した通り、「ゆるくハードル激下げ」だ。
つまり、こういうことだ
哲学って難しそう
→ じゃあ「タンスの角に小指をぶつけるメリット」について考えてみよう。
哲学って哲学者がすることじゃないの?
→ じゃあ、「忍たま」ならぬ「哲たま」になろうや。
「タンスの角に小指をぶつけるメリット」
んなアホな。と思うだろうが、これは大切。
馬鹿なことから始めた方が気が楽。
また、記事にしてみようかな。(バカ思考)
「哲たま」っていう言葉。
なんか可愛くない?
意味としては、「哲学者のたまご」なわけだが、これくらいで始めるのがちょうどいい気がする。
なんかハードルが下がった気がしない?
日常のなぜ?について、ちょっとだけ考える。
歩きながら、「なんで急ぐんだろうな〜」とかぼんやり考えるだけでもOK
それだけでも、大成長よ。
私もこれから、「哲たま」と名乗ろうと思う。
前半の方で、
「お前も、「哲学者」にならないか?」と聞いてたが、もう一度聞こう。
お前も、「哲たま」にならないか?
なんか、弱そう。