天命を全うすること
戦後写真界の巨匠で、現在も現役バリバリで、尊敬というより畏怖すべき存在である写真家から、このたびの「始原のコスモロジー」について、白川静さんの「字統」や「字訓」に通じる極めて大きな仕事であり、(写真の)巨樹、巨岩、海、水が、なんとも暗示的であると、畏れ多いお言葉をいただいた。
もちろん、白川さんの「字統」や「字訓」は、まだまだ手の届かない高みにあることはわかっているのだけれど、「始原のコスモロジー」という写真が半分以上を占める本に、「字統」や「字訓」を重ねて感想を送ってくれるのは、さすがだと感じ入った。
まさに、方法論は違えど、私が、心の深いところで目指しているところでもあるからだ。
白川さんは、95歳で亡くなられたが、その直前まで、生活のルーティーンは同じだった。
朝、6時前には起きて、桂離宮周辺の1時間の散歩。その後、机に向かって、ひたすら探究。昼ごはんの後、30分の昼寝。昼寝の後の30分、頭が活性化していない時だけ、人との面会。私も、その時間にお会いできた。そして、その後は夕方まで研究。目が疲れた頃に終えて、夕食を軽くとって、ニュースなどをチェックして就寝。毎日、10時間、仕事に没頭されており、大きな賞の受賞で東京に出ても、終わったらすぐに京都の自宅に戻られた。
「風の旅人」の連載中は、金文(青銅器文字)の解読に没頭なさっていた。
というのは、その当時、中国において自由経済主義が始まり、国土開発が急速に進んでおり、各地から青銅器の発見が相次いでいた。その限られた期間だけで出土した青銅器の総数は、それ以前の歴史の中で発見されていた青銅器の総数に匹敵すると言われた。しかし、中国は、文化大革命によって多くの知識人が殺害されており、青銅器文字を解読できる人がおらず、白川静さんの力が求められた。
もし、白川さんがいなかったら、この分野の研究は、200年から300年遅れたとも言われた。
そういう時期に、私が連載を依頼したものだから、文字文化研究所など白川さんの周辺の人たちは、「先生、雑誌の連載なんて、なんで受けられたんですか?」と、白川さんに尋ねたのだと、当時、文字文化研究所の専務理事だった宇佐美さんが言っておられた。
そうすると、白川さんは、私の企画書を見せ、「ここに、この内容で、ワシがやることになっているみたいやからな」と答えたらしい。
宇佐美さんは、「佐伯さん、うまいわ、そんな頼み方する人、他におらへんで」と。
私は、他の頼み方を知らないので、それが、うまいかどうかわからないが、とにかく、その当時、他の出版社の人たちも、豪華すぎると言っていた風の旅人の執筆者のなかで、まずは白川さんと説得することが大事だと思っていたので、そうした。白川さんの後に河合雅雄さんに連絡をしたら、最初の一言が、「白川さんは、やると言っているのか」だったから、白川さんの影響力は、極めて大きかった。
そして、2003年4月の創刊号から2005年8月の第15号の「人間の命」まで連載していただき、この時期、白川さんは、平凡社から「金文通釈」の本を出し続け、 2005年11月の7巻目で完成した。その後、2006年10月30日に逝去されたので、人生の最後まで研究に没頭されていた。
小説家の保坂和志さんは、人類史のなかで、プラトン、ハイデカー、白川静さんの三人を尊敬しており、その白川さんと同時代に生きて、同じ雑誌誌面に掲載されることほど光栄なことはないと言っていた。
その白川さんの背中は、遥かに遠いけれど、時々、私が思うのは、もし私も90歳を超えるまで生きられたとして、あと30年、白川さんのように、1日に10時間、打ち込む対象があれば、それなりに深いところまで行けるかもしれない、ということだ。
そのためには、そこまで打ち込める対象が必要であり、今の私にとって、まさに古代世界が、それに該当する。
風の旅人などを作っていた時は、いろいろとアンテナを張っていたが、一通りのことをやって、今はそういう欲求はない。
1年のうち大半を、古代のフィールドワークと、その洞察に費やし、一年に一冊の本にまとめるということを自分に課している。
これを積み重ねて、90歳までに30冊。今年でようやく4冊。どこまでできるかどうかわからないが、この領域の探究は広がりがどこまでも続くし、しかも、これひとつで全てに関わってくると言えるだけの奥行きがある。だから、飽きることなどない。
そのように、個人的に思っているだけなのだが、それに対して、戦後写真界の畏怖すべき巨匠から、「白川静さんの字統や字訓に通じる極めて大きな仕事である」などという言葉をいただくと、大袈裟かもしれないが、自分の思惑などを超えた運命を感じてしまう。
単なる思い込みであっても、自分という一人の人間につながる様々な人たちの運命の糸を感じながらやっていれば、その運命の糸によって、必ず自分は、天命へと導かれるように思う。
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