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(140) リフレーミング

何かいいことがあったわけでもないのに、今日は気分が良くて少々嫌なことが起きても大丈夫って日が時にある。そんな日に限って、昼過ぎあたりから気分が曇って「なんで?」っていうことになったりするものだ。

「いいことって長続きしないな」
と、落ち込み、ひと言呟くことになる。まぁ、考えてもみれば気分の良い日なんてそうざらにあるわけではないから、せっかく朝良かったから、せめて今日明日ぐらいはその調子でと思うからだが、大いに残念なものだから「長続きしないものだ」と”落としどころ”とすることにしたのだろう。それほど褒められたものではないが、一応別の視点から考えてそれなりの対処がなされた点では、まぁまぁかな。

大きな事件が起きたわけではないし、人が関係していることではないから、そんな程度で終わらせることはできるのだが、これが学校・職場において人が関係したりしようものなら、決してそんな”落としどころ”で対処できないことになる。例えば仕事で失敗をして上司から叱られ、気分が沈んでしまうような嫌な出来事になった場合であるとか、臆病であるのに大きな商談を任されて、ひとりで事を運ばねばならない時、不安で身動きがとれなくなりどうしたらいいか頭が白紙になってしまった場合など、どう気分を持ち直して事に向かったらいいのか、訳がわからなくなることってある。

野生として生きていない私たち人間は、整った場で、ある程度お膳立てがあって一人前でしかない。予測できてない事や、突然の変化や事変に決して上手く対応できないものだ。野生を捨てた進化の結果なのだから、誰に文句をつけるわけにはいかない。文句どころか、進化したことはありがたい。そんな柔(やわ)な私たちだから、進化によって獲得したはずの知恵をフルに使って対処したいものだ。さて、その知恵だが、冷静でいられる時は頭も働くのだが、事が起きどうしようなどとパニックになったりすると、さっぱり冷静な思考ができなくなるものだ。そればかりか、そんなときは日頃は抑圧してあるはずの不安が働き始め、いつものようにネガティブに傾いてしまう。

大リーグであらゆる記録を塗り替え、大活躍している大谷翔平選手が、インタビューを受けるたび冷静に言葉を選び決して力まないで、自分の心の深いところと対面しながら応える場面では、思ず拍手したくなる。彼はいつも笑顔で常にポジティブで塞ぎ込まない。彼は野球のみならず人生そのものに特別の姿勢を身につけ挑み続けているはずだ。その姿勢とは”解像度”を上げるということに違いない。常日頃から物事を「深く」「広く」見極める眼をもち、あらゆる事柄の「構造」を理解し、「時間」の経過の帯に自らの計画を置くという考え方を身につけているはずだ。野球選手としてのトレーニングと同じ様に、きっと毎日”解像度”を身につけ自然体でそれが使えるトレーニングをしていると思う。その姿勢の結果、彼に今がある。あの若さで凄いことだと、無条件で応援したくなる。

と、なると”解像度”を上げるとまではいかなくとも、私たちは物事を受け取る際、今までの「認識のフレーム」を改めて、別の視点から捉え直すことから始めてみたいものだ。「認識のフレーム」というのは、今まで自分がしてきた捉え方の枠組みのことをいう。長く自分らしい(先入観・思い込み)で周りを眺めてきたはずで、確かに自分らしいが現実に対処して有効的であるかどうかには危うさがある。例えば、仕事で失敗したときはどうだろう。「私は肝心なとき必ず失敗する。日頃の自信のなさがいつもこうして証明される。私はダメな人間だ。今の仕事を続けられないだろう」などと、ついいつものように考えてしまう。「失敗したことは事実だ。今回このように事を運んだ、あの部分で注意すべき点を点検していたらこうはならなかったはずだ。貴重な経験をした。これで今後ヘマをしなくて済む」とは考えられないだろうか。これが従来の「認識のフレーム」を改めて、今までのネガティブな思考に行かないブレーキだ。

定義するなら【物事の枠組み(フレーム)を変えて、別の視点から捉え直すことで、ネガティブな考え方や短所を長所として捉える思考方法】と、いうことになる。すぐに嫌な思いにしてしまう癖を、ブレーキをかけて「待てよ」とポジティブに変換するということになる。不快だからと常日頃抑圧を図ってきた不安が、ここぞとばかり事あるごとに不安を投影しネガティブに考えさせてしまう別の自分がいるのだから、手こずるかも知れないが、「認識のフレーム」を改めて、もう一人の自分にときどき声を掛けてみるぐらいに考えてみよう。

この”リフレーミング”だが、誤って使ってしまうケースがあるから注意して欲しい。私たちはときどきやってしまっている。
「あれは決して失敗じゃない」
「災害なんて起こるはずがないから大丈夫」
と、安易に事実そのものを否定してしまうことだ。”決めつけ”と呼ばれる。歪んだ枠組みを、簡単だからと、取り入れてしまっていることがある。「事実を認める勇気と認識の枠組みを改める」を忘れないでいたいものだ。

悲しい経験を笑い話に変える。これは立派な”リフレーミング”だ。
こんな余裕をもって生活したいものだ。



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