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(155) 桜梅桃李

人生で持たない方がいいと思われる荷物がある。「大金」・「身分不相応なもの」・「自己嫌悪」・「自己否定」・「悩み」などがそれである。ただ、「大金」を持っているからという「悩み」や苦しみは聞いたことがない。また、「身分不相応なもの」を持っていて困っているなんて訴えを聞くことはない。欲しい、所持したいと欲望が先立つからか、「身分不相応」という自覚は全くないばかりか逆に所持するものが自分の価値を決めると思っているからかも知れない。

「わかっているのにどうしても自身が持てなくて、人に自慢できることなんて何ひとつありませんし、どこを取っても平均以下で、つい伏し目がちになってしまいます。考えれば考えるだけ自己嫌悪するだけです」
カウンセリングの中で主訴と直結するだろうと思われる言葉を必ず聞くことになる。確かにそんな思いが根底にあるから多彩な症状や主訴を生むことになる。どこかに無意識ではあるが誰かとの比較があって自身のあるべき位置を判断してしまっているのだろう。また、満点・完璧から足りないところを差し引いて決めつけてしまっているはずだ。悲しいことだし危ないのだ。何度もこのnoteに書いてきたが、「判断する」ということは、現状を見た自分がまず自身の中に取り入れ、思考した結果”意味づけ”するのだということを思い出して欲しい。見るその眼にも”歪み”という問題があるうえ、取り入れてそのうえ自分独特の思考をした結果”意味づけ”するのだから二度の誤差が
生じることになる。判断したものはきっと現物とはまるで違うということが容易に起こりうることになる。

「確かにそう考えたら辛いね。話の中の自慢って言葉が気になるけど、それって比較するってことが前提の話だよね。比較の全てが悪いと言っている訳じゃないよ。例えば、スーパーで一個300円(今時そんなに安くはないが・・・)のキャベツが売っているとして、持ってみて重さを確かめ比較して重い方が葉が詰まっているからと思って買うよね。これは比較して良いケースだよ。どちらもキャベツで同質だからね。同じ人間でのくくりはキャベツのように同質じゃないよね。くくりとしては人間だけど人それぞれだからまるで異質な存在でしょ?比較しない方がいいというより、異質だから出来ないんだよ」
「いつも先生には負けます。確かにそうですね。よくわかります。でも安心が欲しいのでしょうか、私の位置が高い方が安心だと思うからやってしまうんでしょうね」
「勝ち負けじゃないよ。それってものを見る角度の問題だと思うよ。自分の見る位置を相変わらず今まで通り動かないでいつも一緒の場から見てしまうからじゃないかな。ときどき角度を変えて見てみることが大切だと思うよ」

入試に意地悪なことわざ・四字熟語が出されることがよくある。これは点取り問題で点が稼げるのだが、覚えていないと何ともならない。だから意地悪だと思う。四字熟語は一般的に主語・述語が四字の中に入っているものだ。だから入試のその場で考えたらおおよそその意味は想像できるものだが、「桜梅桃李」なんて四字熟語は、ただ花が四つ並んでいるだけで「それがどうしたんだ?」「何言ってるの?」と言いたくなる。「さくら」・「うめ」・「もも」・「すもも」と花の名が書かれているに過ぎない。「すもももももも もものうち。三つでええんとちゃう?」なんて洒落てる場合じゃない。述語が無いものだから・・・困ったものだ。受験生だった頃、述語が無くて名詞が並んでいるだけだから、きっとこんなのが出題されるだろうと、根拠もなく予想し注目していたことがあった。「桜・梅・桃・李・・・それぞれが美しい 花を咲かせるように、他人と自分を比較するのではなく個性を磨くことが大切だ」と、いうような意味らしい。以来、私の重要な根多として大切にしてきた。長い時が経つ中で私自身の勝手な解釈や願いが加わり膨らんだ。確かに四つのそれぞれの花は特有の個性を持ち美しさを持っている。花がそうであるように、人もまたそれぞれが唯一無二(これも四字熟語だわ)の美しさを持って個性的だ。だから、決して他人と比較してはならないし、比較して生じる「自己嫌悪」に陥ったりしてしまわないこと・・・と、大切な根多とした。

人から書物から、どんなに比較は良くないと言われようが、頭でわかったとしてもなかなか合点承知とはいかないほど、人はわかっていても比較をしてしまうことになるものだ。きっと、比較することで安心を得たいと考えているのだろう。なかなか現実はそうはいかないのだが、それほどまでに安心を得たいのだ。そう考えると、私たちはきっと誰もが”不安”がっていて、それを埋めたい一心でいるのだ。「”不安”が比較を生み出す」と、考えていい。比較してしまい、自分は足りないと位置づけそれで「自己嫌悪」をすることになり、今までにも増してより”不安”になるという悪循環をも生むことになる。これは解像度を上げて考える必要がある。”不安”⇒比較してその”不安”を生めるという図式を考え直す必要があると思う。”不安”というヤツは曲者だから埋めるというのは見込めない。”不安””不安”のまま背負うのが
一番だと思う。”不安”を抱える皿を十分なものに整えることが”不安”を安定させることだと考えてみたらどうだろうか。安定した”不安”は悪さをしないのだ。「人は”不安”がるものだ。それで良い」と覚悟することが皿を整えるということ。この私の覚悟だということだ。もう一つ、「比較する」の無意識には「比較して優位に立ちたい」という”欲”が隠れていることに気づきたいものだ。その”欲”を求めると必ず満たされるところに辿り着くことはない。何故かと言えば、”欲”は際限がないからだ。比較することを止めて、自分だけを見つめそのオンリーワンの”自分らしさ”を磨くだけで十分だ。”自分らしさ”を大切にすることが、人生を楽しめる大きなポイントだ。