見出し画像

(143) 集中力の扱い方

私はパソコンを触ったことがない。と、言うのも私にはパソコンに関わらない生活がしたいという主義主張があるからだ。「そんな言い訳なんか言っちゃって」などと、声が聞こえて来そうだが半分はその言い訳であるのだが。正直、今どきパソコンを使わないなんて、洒落にもならないし、肩身の狭い思いもあるのだが、例えば水上勉先生の『土を喰う日々』なんてエッセイに涙していたりすると、全速力でパソコン生活から遠く逃れたいと思ったりする。

そのパソコンだが、ビジネスにおいて不可欠なアイテムであり、一家に一台などではなくひとり一台の時代である。普及のスピードの速さに、「どう関わるのか」という構え方も確立していないままである。

「集中力疲労」というのがある。パソコンなどにより、意識的な認知処理能力を使いすぎると、脳が集中力を途切れさせる刺激を防衛する為の能力が大いに低下するというものだ。パソコン作業を長時間続けることにより、集中力の途切れを自動的に行う能力が低下して、脳が休むことが出来なくなるというものだ。”パソコン脳”などと言われてパソコン・スマートフォンの長時間使用によって脳疲労をおこすことになる。軽く考えてはならない。これは怖いことだ。

1: 意欲・判断力の低下
2: 記憶力・集中力の低下
3: 感情のコントロールができない
4: うっかりミスが増える
5: イライラしてキレやすくなる

このような症状が自覚できないまま進行していくことになる。気分障がいもその行く末に隠れていて危ないのだ。また、パソコン・スマートフォンの画面から発せられる光が脳に「昼間だ」と錯覚させるのだろう、メラトニン分泌量が抑制され、睡眠障がいを引き起こしたりすることも多い。深刻な不眠症だ。

科学者たちの功績は確かに大きいものだ。その研究成果を私たちは享受し、今の生活を楽しむことができるのは大いに幸せなことである。しかし、例えば原子力発電にみられる核廃棄物の処分場も決まらないまま、未だに危険物処理ができないでいるのだ。これは片手落ちどころではなく命に関わる深刻な事態だ。警鐘を大声で鳴らさずして、科学研究によって誕生させたものを世に出してはならないのだ。科学者の自分勝手なわがままでしかない。無責任だ。パソコン然りでありスマートフォン然りだ。

こんな研究発表を学んだことがある。米国フレデリック・ロー・オルムステッド、彼は造園家であり都市計画家である。たかだか45分間、森林公園を歩いた学生は、都会の人通りの多い通りを歩いた同様の学生のグループよりも、それに続くテストで20パーセント成績が良かったという実験である。要は、自然と接触すると鎮静作用と活性化作用の両方が得られるとの報告である。実験の主は造園家であり、都市計画家なのだ。彼の研究は貴重である。
その結果に基づいて都市計画がなされるはずだ。これが科学だ。人を喜ばせ救うという思想に基づいているのだ。

そもそも、私たちが人間となるべく進化していく過程では、人間の脳は当然”自然”の環境の中だったはずだ。そうであるにもかかわらず、今私たちが生活している言わば反自然である都市環境では、決して脳は自然の中にあるような機能は期待できるものではないのだ。ここが注意すべき点である。私たちの祖先は、狩猟や採集が生活の糧を手に入れる方法であり、大自然の中でその糧を集中することで成功させていた。この集中は現代の狭い狭い何かに焦点を合わせた集中とはまるで質が違うのだ。自然に囲まれた環境というのは、課題集中型の思考そのものに休息を与え、精神的なエネルギーを回復させる効果は大なのだと実験結果は私たちに示している。前者は、意識的な処理能力を長時間使い過ぎることになり「集中力疲労」を受けやすくなり様々な悪い結果を生むことになる。

【精神科医レイチェル・カプランとスティーブ・カプラン博士の『注意回復理論』】

43歳の公務員。二児の父でもある。
「突然の電話でごめんなさい。予約を・・・」
で、そのカウンセリングは始まった。初めての依頼は突然なものだ。気を遣うことはない。なのに礼儀正しく好感が持てた。翌週カウンセリングは始まった。一日7時間以上、パソコンを見続ける仕事であるらしい。主訴は「不眠」ということだ。この一年で7kg体重が減ったという。夜、床につき目をつぶるが瞼の裏がオレンジ色に光るらしく、眠れないと大泣きされた。医者からは大量の眠剤が処方されているらしいが、怖くて飲めないのだとの訴えだ。これが世で言う”パソコン脳”によるひとつの症状である。彼と計画を立てた。

「休日、家族で郊外に出掛ける。出来たらチビッ子たちも遊べる場所が近くにある森か林、田園の広がることろ。遠くに山などが見えるなどの場所、滝か川、海などひろびろ感のある所の動画・・・最低1分半、30本以上撮影しましょう」
「30本だとすると、ひと月時間をください」

とのことであった。私は了解して、毎週のカウンセリングが始まった。
「先生!まだ半分ぐらいですけど眠れるんです。課題の動画ですけど、チビッ子たちが映りたいといって画面に入ってきます。こちらを向いてピースするんですよ。もう15本撮りました。楽しくて、家でテレビに映して観ます」
半ばでこの結果が得られた。
「いやぁ、参ったなぁ。よかったね」
半年で彼の不眠は眠剤なしで寛解した。仕事でパソコンに向かうとき、一時間に1分半チビッ子が入り込む自然を映した動画を見ること、を約束してカウンセリングを続けた。彼は時に30分に一度観ることにしていると積極的だった。

仕事・車の運転などを始め、私たちの一日は集中することが課せられるのだ。だからこそ、その扱いには配慮が必要となる。パソコン・スマートフォンに指図され操られてしまわないために。

参考文献
『庭仕事の真髄』 スチュアート・スミス著 和田佐規子訳 築地書館



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?