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(144) トラウマを捌く
「先生!そんな”野暮”なこと言わないでください。かえって悪くなると思いますが、何しろいつ発作が起きるか不安でいるわけですから」
回復に向けた計画を説明している途中で、厳しいご指摘を受けることが度々ある。ただ「”野暮”なこと」という言葉に違和感を感じたこともあり、
「いつトラウマを思い出し発作が起きるか不安で不安で仕方ない状態がずっと続いているんですよね。既に不安が慢性化しています。というより、お話しをお聞きするところむしろこの二・三年悪化していると思いますよ」
「確かに、以前はこれほどではありませんでした。妻をみていると、この二・三年ひどく怖がり身動きできない様子です。その為、心配でひとり置いていく事ができなくて、私も会社を休む回数が増えてきています」
こんなやりとりは、特に「心的外傷ストレス障がい」のカウンセリングでよくあることだ。回復への計画になかなかご理解を頂けないことが多いからだと思われる。
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クライアントは専業主婦で二児の母・三十八歳、付き添いのご主人は四十一歳会社員。そして主訴は動機・筋肉の震え・頭痛・めまいとPTSDのあらゆる症状を訴えられた。もちろん精神科からの投薬があると聞く。
私は病院という様々なことに臆病であることを売りにしている。冗談ごとにして笑い飛ばしたいからだ。特に白衣・注射・胃カメラ・傷を縫う以外は全然大丈夫だが。そんな私がつい先週、胃カメラを入れることになった。嫌でとことん避けてきたにも関わらず、生涯で二度目の胃カメラとなった。恐怖以外の何ものでもない。カウンセラーをしていても怖いものは怖いのだ。私としては、職業上の理論がある。後に笑い話にしてみんなを笑わせる思惑もあって、一度目の胃カメラ事件を必死で思い出した。怖くて待合室で涙を流していた。呼ばれて呼吸が止まった。カメラ室で麻酔ジェルを鼻から入れられた時は死んでいた。と先生の声で生き返った。たかだか五分で終了した。
「何?これで終わり?」
「組織取ったから検査に出すけど、見たところ全然大丈夫みたい」
それならカメラなんか入れるな・・・。怖がっていたことは何だったのか、「楽勝だ」というのが感想となった。やれやれ・・・。一度目の「楽勝」という感想が、胃カメラ怖いに負けて一度目以前の記憶である「怖い」という思いに支配されてしまった。
”野暮”だとの指摘を受けた計画というのは、エクスポージャー療法と呼ばれて、不安恐怖を回避しようとすると逆に不安が慢性化したり悪化することが多いことがあり、あえての刺激(トリガー・・・銃の引き金でありきっかけ)に対して曝露させることで慣らしていくというものだ。不安や恐怖の原因となる刺激に対して、段階を追ってあえて触れることで不安恐怖を減少させる
カウンセリングである。これを曝露させるという。
要はその件を”談話”するということだ。クライアントのトラウマとなった記憶は、その他の記憶と異なり、本人の意のままにはならなくて悪さをする。体が通常の時は記憶からすっぽり抜けているものだ。ある刺激それは他の不安に反応して記憶が呼び戻されてしまう。症状を誘発した出来事の記憶を、談話中はっきりと明るみに出し、それに伴う感情を喚起する。その出来事をできるだけ詳しく述べ、感情を”言葉”で表現することになる。涙を流して悲しみ症状に置き換えることの行動による反応を、”言葉””言語”に代わりを務めさせるという理屈である。”言語”の助けを借りるということになる。抑えつけらえていた感情には、正しく効果的な捌け口が必要なのだ。少しづつではあるが、この療法で症状が軽くなることをクライアントが感じることが、次への動機と希望を生むことになる。トラウマ、その不安と恐怖に対して大きくクライアントの認知に変化が出るという行動療法でもある。
この積み重ねが、トリガーに直面したとしても危険ではないと感じられるように変容していくのだ。それらが”成功体験”となり大きな不安と恐怖は小さなものとなる。「何事も起こらない」という自身がそうさせる。”成功体験”というわけだ。
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「先生!11月の妻の誕生日に真っ赤なセーターと赤いスニーカーを買おうと思ってます」
「どうしたの?僕も赤いスニーカー履いてるけど」
「いや、あんなに弱っていた妻がカウンセリング・ルームの玄関に置いてある先生の赤いスニーカー見てニッコリしてたんです」
「良くなって来たもんね。平気で外出できるようだし、そのプレゼントはいいねぇ」
ご主人から面接予定の前日電話が来た。
私は”野暮”ではない。しかし、その報告とは別に私は”野暮”という言葉が大好きである。一度言ってみたいと、常々思っている。
「旦那さん!”野暮”は言いっこなしですぜ」
と・・・。本当に”野暮”で気の効かない人が多いからねぇ。