丁寧に、大切に。
「見る」力と「体感覚」
「愛」とは体感覚なのだと思います。
「体」で感じることに素直になっていくと、「愛」の実感が増していくのはそれを物語っています。
人はその実感を得るために、体をもって生まれてきたんですよね。
丁寧に、大切に。
「丁寧に、大切に。」
これは、レイキの手当にも通じることですね。
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「大切に」というのは「存在」をこの胸で切に感じることです。
互いに大きな一つながりの命の一部であることを、この身で実感しているということです。
そうであれば、痛みも喜びも我がこととなります。だからこそ、生きていくことは辛く、悲しく、美しいのです。
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丁寧な態度には、「あなたを大切に」思っていることが表現されます。
丁寧に扱われることは頭で考えているよりずっと大切なことです。丁寧に扱われている瞬間、ハートの奥が安らぎ心が潤うのがわかるからです。
これは身近な人間関係においてだけでなく、街中でいろんなサービスを受ける時でさえ、体はそうしたことを切実に感じ取っています。
丁寧に扱われない時、実は、体は悲しみを感じています。
人によってはそのことに対して怒りを覚えるかもしれません。自分自身が不安定な状態の時ほど、そうした行為に過敏に反応してしまうものです。
その良い対策法を見つけました。
わたしは丁寧に扱われない時、自分の氣分を悪くするのではなく、相手も疲れているんだなとか、辛いことがたくさんあったんだな、と考えるようにしています。
そうすると、自分がとてもやさしい氣持ちになれるからです。まさに愛の美しい使い方だなと思います。
レイキって愛だと思います!
この言葉の「愛」を、「レイキ」に置き換えることもできますね。
これは、家族のための食事を作っている時に実感されたことを言葉にしたものなのですが・・・。
こうしてみると、手当の風景そのものでもありますね!
最後までお読みいただき、ありがとうございます💛 レイキについてのご質問など、氣軽にコメントくださいね☆彡