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#10 春を迎えられなかった恋

目の前には黒い壁の部屋が広がる、天井にはいくつものライトが吊り下がり、数本だけ明かりが点いていた。両サイドに人の身長より大きなスピーカーがあり、メタル系の聞いたことない音楽が時折流れていた。目の前には転落防止の柵。そこから見えるのは見知らぬ顔や知ってる顔、同じ出演者達の目がステージ上の僕らに注がれていた。今は本番前のリハーサル。

ステージに立つと景色が違う。こんな風に見えてるのか。こっち側。汗とタバコ、アルコールが混ざったような、まあ良く言えばワイルドな香りがした。

1人ずつ音を出して、スタッフの人がマイクの位置を確認する。一通り終わると、曲を1つ2つ演奏できる。この時周りからも自分達からも緊張が走る。少しだけ。

こいつらはどれくらいできるんだ?自分達より上手いのか?堂々としているか?カッコいいところはあるのか?

恐らく色んな思いでこの空間にいただろうステージ上にいるものも、下で無表情で聞くものもいたと思う。ライブハウスとはやはり特殊な空間だ。

リハーサルが終わると、少し緊張がほぐれた。なんとか練習通り演奏できそうだった。喫煙ルームに集まる奴らは皆出演者だ。(本当はダメだけどね)

「いい感じじゃんリハーサル、問題なさそうだね」他のクラスのやつに言われ、まぁなんとかと愛想笑い。内心はヒヤヒヤだった。

2週間くらい前に先輩達にライブ出演者全員が呼ばれた。3年生の教室の前だ。

「これからチケット配るから1バンド当たり10枚ノルマな」

1500円のチケット10枚って。結構大変だな。(どうしよ、とりあえずバイト先の奴らに聞いてみようかな)3人で手分けして当たることになった。

頭の中はチケットを誰に買ってもらおうかでいっぱいだった。

3年生の教室から離れて、部活へ向かう


部室には長谷川さんがいた

パソコンに向かって、1人黙々と練習してる 

ほかに誰もいなかった

彼女の視線は目の前の画面へ向けられ、手は淀みなくキーボードに触れている

いつもはしない眼鏡をパソコンに向かう時だけは掛けていた、縁がなく丸い大きなタイプ

その姿がなんだか、綺麗に見えた。いつも座らない、隣の席へ腰掛ける。ちょっと近くで見てみたい気になったのだ。

とはいえ、直視することは出来なかったので、黒板の方を見て、ぼーっとしていた。

すると、キーボードを打ちながら、長谷川さんが「どうしたの?」と一言呟いた

目線はパソコンに向いたままだ。表情は多分、変わっていない。「んー…」と何を言ったらいいのか出てこないから、とりあえず生返事した。

沈黙の中キーボードを打つ音が響く

「チケット10枚ノルマなんだって、売れるかなー?」こんな事しか思いつかなかった

「ふーん…買ってあげようか?」

意外だった。これまた全く予期しないところから答えが返ってくる。

「ライブなんてあんまり、興味ないでしょー?いいよいいよ、気使ってくれなくて」

「そんなことないよ?ゴイステとか、モンパチ好きだし」

「…そーなんだ!意外だわ、そーいうの聞かないと思ってたから」

「あ!でも、地元の後輩からも買って欲しいって頼まれてるからなぁ」

「…長谷川様どうか、哀れな子羊に憐れみを…笑」

「えー…でもさっき気使わなくていいとか言ってなかった?」

「いや、あれは本当だけど、その…興味ないと思ってたからさ。それに忙しいでしょ?今の時期」

長谷川さんは進学予定だったから、今受験勉強で忙しいはずだった。

「いいよ、加藤くんから買ってあげる」

「本当にいいの?無理してない?」

「学校と塾の往復で勉強ばっかも疲れちゃうし、気分転換したかったんだよね」

「ふーん、それなら良いけど。ありがとうございます長谷川様、女神様」

「もー調子いいなー 笑 そんなに嬉しいの?」

「いやぁ、売れる気全然しなかったから」

「ふーん…でも部長も一緒に行くからね」

「あ、、そうなんだ。」

部長とは、最近気まずくて、あんまり喋れてなかった。というか、僕が避けていた。

「そりゃ1人じゃいけないよー、道分かんないし 笑 あ、もしかしてまだ気にしてるの?大丈夫だってー。私もいるし」

(長谷川さんは本当によく気がつくなー、流石だわ)

「…じゃあ迎えに行くよ!当日連絡くれたら」

リハーサル後灰皿の前に群がる同級生を横目ににコンビニで買ったお茶とおにぎりを食べてた。

長谷川さんからメールが来た。

(今駅だけど、これからバスに乗って行くね)

緊張と自分達の出番まで、何をして過ごしたらいいのか分からない僕はただただ、もどかしかった。

この場所から離れられるなら、どこへでも行ける。そんな気分だ。

僕はその場から、静かに離れることにした。



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