小学校に入学するには走りなさい
幼稚園の卒園式は私は満面の笑みで「おさらば~」と思いニコニコしていました。
そして母が悩んでいたのは小学校入学問題。
私は同じ心臓疾患をもっている幼馴染のなき君が通っている小学校に通えるものと思っていました。(なき君は幸い軽度の心臓疾患だったので生活に問題はありませんでした。)また、なき君の妹のみさちゃんも同級生だったので同じ小学校に通いたいという気持ちが私にありました。
私の入学問題は教育委員会でも話し合われ、校区の校長先生、教頭先生他何名もの先生と教育員会の方とで面談が行われました。
その面談で「ここの教室1周走れるかな?」と校長先生に言われたそうです。私は覚えていないのですが、いつも苦しくなるので走りたがらないのに、そのときはスクッと立ち上がり、タタタタと一生懸命教室を走ったそうです。それも1周ではなく2周頑張って走ったそうです。
そんなこともあり、母が教室以外の校内で待機していれば通学できることになりました。教室以外の校内というのはつまり車の中ということです。
母は私が1回目の手術をするまでずっと授業があっている時間は車の中にいる生活が1年とちょっと続きました。
私は小学校生活に期待をして入学しました。うれしいことにみさちゃんとも同じクラスになりました。ただ担任の先生がすごくすごく怖い高齢の女性教師だったのです。
悪いこと(先生の言うことを聞かないとか、うるさい、ちゃんとできない)をすると物差しで手のひらを思いきり叩かれました。
また『もみじまんじゅう』といってお尻を思いっきり平手打ちされて、あとが真っ赤に残るお仕置きもされました。
そして給食を残すと掃除の時間まで食べるように残されるので小学生になっても給食っていやだなと思いました。
私は好き嫌いが多かったのでそれはそれは毎日給食の時間に「残すな」と怒られていたので本当に給食が嫌でした。
ただ私にだけ怖いのではないので、少し気持ちが楽でした。