世界観の必要性
お願いされたことをする。
お願いされたことが遅れてしまっている。
お願いされたことができていない。
お願いされたことが・・。
仕事を頼まれるときはだいたい「お願い」される時だ。
そして約束みたいなものだ。
発注する側からすると、やってくれるといいな、叶うといいなの姿勢だが
実態は、「やれ」である。約束したよね、である。
しかし、日本人的な優しさからか言葉のニュアンスで、お仕事は依頼なのでお願いになる。
ただ、お願いされたことを叶えるのが仕事だし、
お願いされる前に片付けるのが仕事でもある。
お願いされたことをするのは、これはお金が発生するしないにも関係ないと思っている。
ご飯を食べに行く約束でもそうだし、
食器洗っといて、もそうだ。
お願いされたことをやるか、やらないかは
約束を守れる人か、守らない人かでもある。
だから約束をちゃんと守る人は信頼ができるし、安心する。
ここに期待が生まれる。
この人にお願いすると、自分の世界が拡張されたり、いきたい方向に行けるという感覚。
逆に、期待しすぎると、失望したり、自分の道が途切れた感じになる。
なので、「期待」の持ち用はある程度余裕を持っておいたがほうがいい。
そこまで期待しないといったら失礼だが、自分の世界観が伝わなかった時どうするか、と言う話のような気がしている。
つまり、自分の世界観を伝えられていない自分に非があり
それに乗せられなかった相手と割り切って、伝え続けるという姿勢だ。
この気持ちがあることでバランスが保てるような気がする。
むしろ自分の世界観がないと期待しすぎてしまうし
世界観があることで期待しすぎないということかもしれない。
世界観をもったり、自分の基準をもつこと。
そして何よりそれを伝えること。
伝え続けること。
ここがすごい重要だと思った。
ふんわりな世界観でもいい。
それを実現したいと伝えること。
そんなことを、昨夜のオンラインイベントでファシリテーションして思った。
でも、常に期待を超えるような満足以上の仕事はしたいものである。
そして、自分の世界観をちゃんと伝えられるようにしたいものでもある。
本日の問い:人に期待すること、しすぎないほうがいいことの差はなにか。
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