息抜きは、意識的にするものか。
こんにちは、カゼグミの鈴木です。年末年始と熱に倒れ、あっというまに2025年が始まってしまいました。体調は戻ってきましたが、気力が戻ってきません。2024年においてきたか、2025年の脱皮の年として気力を脱ぎ捨てしまった可能性がもうあります。
そんななか、「息抜き」についてが本日のテーマです。
人はいつ息抜きが必要なのか。
毎日の暮らしの中、1年間の生活の中で、大小なりとも息抜きを人は意識的におこなっています。そう意識的にです。
仕事の合間にお菓子を食べたり、スマホで漫画を読んだり。
大きな仕事を終えて、温泉に入りに行ったり、時間をとって公園を散歩したり。
人それぞれの息抜きの仕方があります。
でもこれは、やはり無意識ではなく、意識的にしている行為です。
無意識に息抜きはせず計画的におこなっています。
無意識にしている息抜きは逆になんでしょうか?
たぶんそれは、意識の分散かもしれません。
SNSの通知が来たからちょっとみよう。誰かPCの向こうに見えるから視線を外したり、コーヒーやお水を口に運んだり、ちょっとした行動かもしれませんが、目の前の集中から逃避していることになります。この無意識の息抜きを多用していると逆に集中力が持続する可能性もありますが、集中の質でいうと効果はわかりません。
漫画「左ききのエレン」に集中力の質に言及したシーンがあるので、そちらをお読みください。まじすごい整理だなと当時驚愕した覚えがあります。
https://note.com/nora_ito/n/nc1039654f51b
意識しない息抜きは意味があるのだろうか
逆説的に、息抜きは意識的に行うことで効果があるのかもしれません。自身では、無意識からの息抜きは日々のストレスからのリスク分散で特段気に求めていないけど、人から見たら何かしたら無駄な時間だと思えることかもしれません。こいつ仕事していないな、集中していないなと思えることの連続が多い人は気をつけましょう。ただ一人で仕事をしていると気がつかないですよね。
意識的に息抜きをする、と問われて答えたのが
漫画を見る、お笑いの番組を見るでした。
ただこれはインプットに当たり、息抜きではないのでは?というご指摘を受けました。緊張状態を解くための息抜きは、集中力を使ってはいけないということでしょうか・・。となると、先ほどの左ききのエレンの集中力の質にやはり関係してくるなと思います。見てるようで見ていない、この状態がとても重要な息抜きのポイントかもしれません。
このnoteを書くのにも集中力が続かず、SNSをチラチラ。現実からの逃避です。
本物の息抜きは、集中力を使わず、緊張状態を緩め、本来のパフォーマンスをあげるためのリラックス状態。そんな、鈴木にとって、何が一番の息抜きなのか。
そうなると、息抜きをしている状態はやはり寝ることかもしれない・・。もう何もやらず、横になることが一番の息抜き。もしくは座禅。呼吸から整え、呼吸に「集中すること」が、何も考えないことの近道なのかもしれません。
息抜きについて、力を抜いて考えたかったのに、自分の思考の癖は抜けないものだなと実感した2025年。全然頭が働かないことを文章を書いて改めて思いました。
2025年の新しい年になって、抱負やチャレンジを言葉にした人も多いと思います。2024年の反省を活かして、今年は調整する1年にする人もいるではないでしょうか。今年はこれだ!と閃いた人は、どんなテーマだったのでしょうか?
考えるな、感じろ。
don't think,feel!
今年はこれですね。
呼吸のように自然なことを
takaaki suzuki / kazegumi.inc
2025.1.7(tue)