『君がいつも居た場所』
君がいつも居た場所に君がいない。
令和6年7月23日の朝、愛猫のメイが虹の橋を渡りました。享年は13歳でした。
メイとの出会いは2011年、研修先の苺農家にやってきた野良猫が産んだ子猫の中の一匹でした。実はもう一匹も引き取ったのですが、家の前で車に轢かれてしまい、短い間でしたが一緒に過ごした猫を失ったことはとてもショックでした。
僕が猫と暮らすのは初めてで、毎日が新しい体験の連続でした。小さな頃のメイはとても元気で、おてんばな性格でした。
トイレ以外でのウ◯チや、ネコパンチで障子や襖が破れたり、ヘビやネズミを持ち帰ったりと、当時はイラっとしたこともありましたが、今では楽しい思い出です。
特に印象に残っているのは、メイが4歳の時の家出事件です。台風の強風と雨の中、メイが外に出てしまい、そのまま帰らなくなりました。僕が扉を閉めてしまったのが原因かもしれません。
ところが死んだものと諦めていた半年後、なんと自宅から3キロほど離れた道の駅で再会しました。半年も離れていたので、僕のことを忘れてしまったようでしたが、自宅に連れ帰り、徐々に元の生活に戻りました。
その後、特に問題もなく元気なメイでしたが、約4年前に新たに猫(小雪)を迎え入れたことで、転機が訪れました。少しずつメイと小雪が仲良くなることを願っていましたが、メイにとってはストレスになっていたのか、家に帰らない日が増えていきました。
小雪が来てから気づいたのですが、メイは猫が苦手な猫でした。亡くなる1年ほど前からは諦めたのか、小雪とは適度な距離を保ちながら生活していました。小雪からメイに近づくことが多いのですが、メイはいつも小雪にネコパンチをお見舞いしていました。その様子を見ていると、なんとも微笑ましい気持ちになりました。
そんなストレスが原因だと思っていたのですが、3年ほど前からメイが痩せ始めました。どんなに食べても体重が増えず、水をたくさん飲んでトイレに行く回数も増え、1年ほど前からは時々ふらつくこともありました。今年の健康診断で腎臓病が判明し、薬を飲んで症状が少し落ち着いたので安心してしまいました。
7月20日、メイは外出したまま帰ってこなくなりました。それまでも数日家出することがあったので、今回も大丈夫だろうと甘く見ていましたが、翌日の昼過ぎになっても帰らず、夕方には近所のSさんが「メイが動けなくなった」と知らせに来てくれました。
メイは毎日のように近所のSさんにお世話になっていたようです。Sさんも室内で猫を飼っていて、メイを自分の猫のように可愛がってくれていました。玄関先のお気に入りの場所に座り、エサをもらったり、時にはSさんの仕事の見送りをしていたのです。
7月22日の夜、自宅に連れ帰ったメイは時折立ち上がろうと前足をもがく仕草を見せていました。すぐにでも動物病院に連れて行きたかったのですが、病院に断られ、翌日の日中は仕事があったため、夕方やっと行きつけの動物病院に行くことができましたが、メイに残された時間はあまりありませんでした。もっと早く病院に連れて行きたかった。
一人暮らしでなければ、もっとしっかりとお世話できたかもしれないと、後悔の念が募ります。しかし、せめて生前のメイの様子を知ることができたのは救いです。
Sさんの話によると、メイは近所の子供たちに可愛がられ、新聞配達員さんからも時々エサをもらっていたようです。私が知らないところで、メイがご近所の方々に支えられていたことに感謝の気持ちでいっぱいです。メイは猫が苦手ですが、人懐っこい性格だからこそ、道の駅で生き延びていたのだと思います。
7月27日、メイを火葬する日の朝、なぜか小雪が玄関まで見送りに来てくれました。小雪はメイが亡くなったことを理解していたのかもしれません。火葬は約1時間で終わり、小さな骨壺を自宅に持ち帰りました。
メイは亡くなってしまったけれど、まだお気に入りの場所にいるような気がします。
メイ、13年間一緒にいてくれてありがとう。そして、安らかに眠ってください。