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自分を出さずに生きるのはしんどい でも出してもしんどいこともある
最近、SNSの投稿を再開しました。
FacebookやInstagramから約4年も離れていたので、それだけでも私としては一大決心!でした。
何を大袈裟に…と思われるかもしれないけれど、4年ぶりの投稿は何を書けば良いのか結構悩んだし、決心してから実際に行動にうつすまで、かなりドキドキしていたんです。
「もしかして私のことなんて、みんな忘れてしまっているかもしれない」
「投稿しても誰も反応してくれなかったらどうしよう…」
なんていう不安が頭をかすめては、なかなか躊躇してしまう…というのを何度か繰り返し。。
そもそもなぜSNSを再開しようと思ったのかと言うと、、、
しばらく自分を深めてみていきたい、自分のことをもっとよく知りたいと思い、仕事以外では多くの時間を「ひとりの時間」や「学びのための時間」にしていたので、その時期はあまり積極的に人と会うということをしていなかったんですよね。
さらにコロナ禍がそこに拍車をかけたこともあり、おとなしく巣籠もりしていたので、そろそろ外に出て人と交流していきたいな、と思ったのがひとつ。
もうひとつの理由としては、個人起業していくにあたって、私が何を考え、これからどういう活動をしていこうとしているのかをまわりの人たちに知ってほしい、伝えていきたい、という思いから。
そんなわけで、意を決してまずはFacebookに投稿をしてみました。
まずはここ数年の自分の近況を簡潔に。
とは言え、若干センシティブな内容も含まれていたので、そのあたりをできるだけ重くならないように表現したつもりだったのですが、心配されてしまうようなコメントをたくさんいただいてしまい、そこはちょっと反省…。
なかなか自分のことを言語化して人に伝えるって難しいなぁと改めて思いました。
(このセンシティブな内容については、また詳しく書こうと思っています。)
そして、ついでと言ってはなんですが、、
せっかく4年ぶりにSNSを再開するのであれば、
これまで自分のことを大っぴらにするのが苦手で、なかなか積極的に自分を表現してこなかったので、これを機に少しずつ自分を出せるように、表現できるようにしていきたいと思い、自分がいわゆる「繊細さん」「HSP」「エンパス体質」であることも初めて書いたんです。
私、分類としてはHSS型HSEで、刺激追及・外向型のHSPとされるものなんですけど、一見、繊細だと思われないんですよね。
相反する二面性を持ち合わせていて、私の場合、行動的だけど慎重、社交的だけど人見知り、みたいな。
昔はHSPなんて言葉も無かったから、私自身、自分のことを「私って難しいよね…」「なんてめんどくさい性格…」と思っていたし、自分で自分がよくわからなかった分、人から理解されることも難しいんだろうな…と思い込んでいました。
だけどここ数年で、だんだんこういった「繊細さん」や「HSP」というものが世の中にも広まってきているし、5人に1人はそうだとされていることもあり、私が「自分もそうなんです」と堂々と言っても大丈夫かもしれない…と思ってしまったんですよね。
公表してみて、感触としては正直「うーーーん、、、?」でした。
もう少し「私もこういうところあるよ」とか「そういうところわかるー!」みたいな反応があっても良いのかな、と思っていたので、拍子抜けしてしまったというか、「あ、こんなもんなんだな(笑)」と。
でもまぁ、そうですよね。たぶんほとんどの人にとってはどうでも良いことというか、「そう言われても…」ってなりますよね。そういう意味では、自分が気にしすぎていただけなのかもしれない、と思いました。
ただ、ひとつめちゃくちゃ心がざわっとした友人のコメントがこれなんです。
「これまで繊細なんて気づかなかったわー(笑)
ま、繊細だろうか繊細じゃなかろうがどっちでもいいよ」
これを華麗にスルーできないのが繊細であるが所以なんですよね(涙)
この悪意なき鈍感さに、しばし頭がグルグルして呼吸が粗くなっているのを感じました。そこからどんどんその友人との過去のやり取りや、言われた言葉が記憶の底からあふれ出てきてしまって。。
きっと私が繊細かどうかなんて、友達であることとは関係ないってことなんだと思うんですけど、自分が「よしっ!」と思って勇気を出して言ったことに対して、「どっちでもいいよ」と、さも簡単に言われてしまうと、すごく自分がぞんざいに扱われたように感じてしまったんです。
そのとき、ふと思いました。
自分の本心や本質的なものを外に出さずに、隠したり偽ったりしながら生きるのもしんどいことだけど、逆にさらけ出して生きるのも思ったよりしんどいのかもしれないって。
やはりそれだけ勇気と覚悟が求められるんだなって。
私は少しずつ少しずつ出せるようにしていく、ということを選択したので、きっとこれからもこういう反応を受けることはたびたびあるだろうし、それにいちいち傷ついていたら身が持たないけれど、その「ざわっと感」を無視するのではなく、いつでもちゃんと自分だけは自分に寄り添ってあげようと、今回のことを胸に刻みました。