臓腑(はらわた)の流儀 碧(みどり)の涙 その2
さて、それではいよいよその時起こった不思議な事件のお話です。
それはこの北の街にも木枯らしが吹き始めるその年の11月の出来事でした。
私たち紅陽会役員は、いや柳野中の全生徒が、間もなく開幕を迎える柳中文化祭・紅陽祭の準備に余念がなく、慌ただしい毎日を送っていました。
特に紅陽祭実行委員会は紅陽会四役と全校各クラスの文化委員からなる文化委員会で構成され、その会長には生徒会長である孝一郎君が、同じく副会長にはみどが就任していました。
おかしなことに、そもそも今年度の文化委員会は当初委員長に水島孝一郎君が、副委員長に桑坂みどりさんが就任していました。
ところが6月に行われた紅陽会役員の改選で、会長と副会長に立候補した孝一郎君とみどが、揃って当選してしまったので、困ったのは上位者2名に抜けられてしまった文化委員会でした。期の半ばでこちらでも推薦式の選挙が行われ、3年4組の山本豊信君が新しい文化委員長になりました。
全然その気のなかった豊信君はそれを根に持って、月に一度開かれる四役と各委員会の委員長が会議を行う中央委員会で毎月のように孝一郎君とみどに対して「お前らがケツを捲るからおれにお鉢が回って来ることになった。どうしてくれるんだ!」と憤懣をぶつけていました。
けど彼は根が誠実で生真面目なタイプなので、派手な孝一郎君とは違って慕う下級生も多かったのです。
だいたい、孝一郎君とみどは2年生の下半期にそれぞれ紅陽会副会長と書記を務めていた経験があり、3年生の上期こそ会長と副会長の座を8組の中田君と5組の円山さんに譲ったものの、会長・副会長の紅陽会のツートップに返り咲くことは既定の事実だったと言ってもいいくらいでした。
アタシはこんな大役をやる気なんてはなから無かったんだけど、親友のみどが、実績は高校入試の内申に影響して来るから度胸試しにやってみなさいよなんていうから乗り気ではなかったものの立候補だけでもとチャレンジしてみたらまさかの当選。みどは喜んでくれたけど、毎日毎日会議はあって帰るのが遅くなるし、中体連の大会が終わると3年生は引退となる運動部の孝一郎君やみどと違って、年内の引退はない文化部のアタシには苦痛の方が多かったのです。そもそもがでしゃばりで弁が立つ孝一郎君や聡明で優等生のみどとは行動力も頭の出来も違います。豊信君の気持ちが痛いほどわかりました。
そんな紅陽祭のその年のテーマは躍動と決まり、各クラスや部活もそのテーマに沿った演出を考えて、校内は活気に満ちていました。
さらにこれは2年生の会計、菊田淳子さんの発案で、開会式に紅陽会実行委員会で寸劇をやることになりました。
これはわが校の歴史上初めての試みで、以外に皆に受け入れられました。
しっかり者の菊田さんらしい建設的な意見に今までそんなことを考えてみたこともなかった3年生のアタシたちもびっくりしましたが、紅陽会は初めての体験の1年生はもちろん、昨年はただ先輩のやることを見ているだけだった2年生にもこの意見は好評で、話し合いの結果、たくさんの人員が仮装して参加できる演目として「アラビアンナイト」が選ばれました。
一つの物語をお芝居として演じるのではなく、開会式のムードをなんとなくアラビアンナイト風にしようということになり、配役として孝一郎君がシンドバッド、みどがアラビアンナイト(千夜一夜物語)の語り部シェエラザード、平君がアラジン、巨漢の野添君がランプの精、山本君が魔法使い、3年5組の文化副委員長木田君がアリババ、アタシがアリババを助けるヒロインのモルジアナ、アラジンの妻になるバドルウルバドゥール姫を菊田さんが演じることになりました。澤村さんをはじめ他の文化委員たちは数は足りないけど、40人の盗賊役になりました。
これらの衣装や小道具も手作りで作ることになったため、文化委員の女子だけではなく全学年から裁縫が得意な生徒を募りましたし、男子たちは段ボールを使って小道具作りに励みました。
さらにそんなアイディアが飛び出したものですから、孝一郎君が調子に乗って開会式のテーマソングを前月に発売されたばかりの久保田早紀という新人歌手が歌う「異邦人ーシルクロードのテーマ」にしようと言い出しました。
吹奏楽部の菊田さんはそれよりもケテルビーの「ペルシャの市場にて」がいいといいましたが、アタシたちの誰もその曲は知らないために却下されました。
確かに、サンヨーのテレビのCMソングに使われた異邦人は、そのエキゾチックなムードも相まって、アラビアンナイトにぴったりな雰囲気として皆に受け入れられました。平君は「シルクロードはアラビアなのか?」なんて言っていましたけど、これも孝一郎君に押し切られました。
そういえば久保田早紀さんってどこか6組のミッキィに似ている感じがするけど、そんなところも孝一郎君のお気に入りだったのね。
けれども、そんな喧騒とは裏腹に、アタシたちの心を悩ませていたのは最近校内で頻発していた盗難事件のことでした。
そもそもは9月の頭に行われた北海道吹奏楽コンクールに参加した吹奏楽部での話が発端でした。
道南地区大会で金賞を受賞し、全道大会への切符を獲得したわが校の吹奏楽部は札幌の北海道厚生年金会館で行われる全道大会に遠征して行きました。
とはいえ、柳中吹奏楽部は45人のA編成楽団です。
レギュラーメンバーのみならず、補欠メンバーまで連れて札幌まで遠征に行くのですから大変です。顧問の木村先生のご苦労も大変なものだったことでしょう。
菊田さんによると、去年は合唱部の顧問の竹田先生も引率教員として同行されたそうですが、今年は合唱部も全道大会への出場権を獲得していたので、竹田先生の代わりに、生徒指導部から鷺舞先生が引率として同行しました。そしてその遠征旅行で、生徒の財布が盗まれるという事件があったのです。2泊3日の行程で、初日に木村先生が生徒の財布を預かって金庫に保管していたのですが、翌日夜に生徒に返したのだそうです。3日目には本番のコンクールがありましたし、終わってからはお土産を買うなどのために必要だったわけですから。ところが演奏が終わって、皆んなの緊張が解けて気が緩んだのか、楽器を迫館まで運んで帰ってくれるトラックに荷物を乗せるドサクサで、数名の女子の財布がなくなっていることがわかったんだと菊田さんは報告してくれました。1人だけならうっかりミスということも感がられますが複数人いっぺんにですから盗難としか考えられませんでした。
演奏のステージには楽器と譜面台以外は持ち込んでいませんし、ステージ裏は他校の生徒も出入りしていたので、犯人探しはできなかったそうです。
鷺舞先生が帰ってきてから「コケにされた」と怒っていたのが強く印象に残りました。
校内で盗難が頻発したのはそれ以来でした。
もちろん普段は学校には金銭の持ち込みは禁止されていましたから、金銭的な被害はありませんでした。
しかし教室に置いてあったリコーダーがなくなったり、中には教科書が紛失したケースもありました。
生徒の中では怪盗Xなどという不謹慎な呼び名も浸透しましたが、実際に生徒の中には万引きで補導歴があるものもいたので、先生たちの方がピリピリしていた感じでした。
先の事件があったので、真っ先に疑いの眼が向けられたのは吹奏楽部員だったと菊田さんは涙ながらにアタシたちに訴えていましたし、吹奏楽部部長で6組の孝一郎君と仲のいい柳田君もいろいろ孝一郎君に相談していたそうです。
ただ菊田さんが憤慨するのも当然で、わが校の吹奏楽部は、アタシたちが入学した年に転任して来た木村先生が市内の実力者で、聞くところによるとそれまでコンクールなどには無縁で編成も小さかったわが校吹奏楽部を徹底したスパルタで鍛え上げ、わずか2年で全道大会初出場にまで漕ぎ着けたばかりか、今年は連覇を達成させました。
さらに優秀な生徒をスカウトして部員を充実させ、孝一郎君なんかも去年木村先に「いつまでも柔道部なんかにいてもラチがあかんだろう?」と勧誘されたそうです。