すっぽん・かっぽん その6
お前のことはよ、いずれきちんとせねばならないと近藤さんとも話していたんだ。
ところがそのすぐ後で近藤さんは撃たれるは、戦はおっ始まるはで、言いそびれてここまで来てしまった。許してくれろ」
「ふ、副長!」
「そうしゃっちょこばるな。そういう事も在ったということだ。それよりもな……」
土方は嘆息した。
「お前さん、忍びの筋だな?」
土方はようやく合点がいったように思えた。
蟻通にはああいったものの、実は入隊から天満屋までの間、何度彼を斬ろうとしたことかわからない。真剣に近藤と話し合ったことさえ二度ではきかない。
彼の存在感の希薄さが心に引っかかっていた。
怯惰なわけではない。新選組においてはそれがそのまま死を意味する。
実際、蟻通は池田屋でも三条大橋でも勇敢だった。
無口なわけでもない。人嫌いでもないようだ。ただいつの間にかそこにいて、いつの間にかそこにはいない。その存在が奇妙なほど薄かったのだ。
「めんどくせえ、いっそ斬っちまうか」
「まて歳。彼に落ち度は無いではないか」
近藤はいつもそういって蟻通を庇っていた。
そのかわり出世はしなかった。隊の人員が増え数度の編制替えを経ても、彼は平隊士のままだった。しかし、それを不思議と感じさせないのが蟻通勘吾の不思議だった。
「さっきの河童野郎と渡り合う前、おらァ最後までお前さんが抜くのに気がつかなかった。
野郎だって、俺を見たた時よりもお前さんの姿を認めた時の方が驚いていた。
ようやく判ったよ。お前の気配の消し方は
俺の比じゃねえ。それによ……」
土方はにやりと笑った。
「河童が毒を吹いた時だ。確かあん時にゃあ
俺よりお前の方が早く反応したはずだ。あいつの術に気がついたんだ。
間違えねえ。お前さんはかなりの修業を積んだ忍びだろう?」
いつの間にか月の位置が動いていた。
蟻通はゆっくりと欄干に両の手を突いた。
「おっしゃる通りです副長。わしの家は素はといえば根来衆なのです」
そう言って今度は土方を振り返る。肩の荷が下りたような顔をしている。
「根来衆とは忍びの筋か」
「は、織田信長公と戦ったのも我ら先祖と聞いております。紀州根来寺配下の忍びだと伝わっております」
そうして蟻通は自身の出自について語り始めた。
根来衆として根来寺の配下にあったのが、後に紀州田辺の安藤家に仕えたのが今との繋がりがわかる初めらしい。
安藤家は紀州家の家老を勤める家柄である。
やがて寛文年間。紀州藩初代の徳川頼宣の三男である松平頼純が、支藩として伊予西条に入封した。西条藩という。
この支藩は紀伊の本家に跡継ぎのない場合にそれを継続するための使命を持っていた。また、西条藩に後継がない場合も紀伊の本家から血筋が送り込まれた。
安永四年に立った六代目西条藩主松平頼謙も紀州の出である。そして蟻通の先祖もこの時に西条勤めとなった。
ちなみに天満屋で刺客に襲われた三浦休太郎もそもそもは西条藩の者である。それが慶福擁立の功により紀州藩に取り立てになっており、さらにはその慶福が家茂となって将軍職を継いだため、空位になった紀伊家を継いだのはこれも西条藩から来た徳川茂承であった。
「お前さん讃岐の高松の産って届を出していたなあ、西条っていやぁ隣国ってェ訳か。なるほどな。
高松といえば確か水戸家の一門だったな。四国の片隅で御三家のつば迫り合いがあったのだな」
京都において壬生浪士組が将軍家茂警備を率先して行い、かつその首脳に水戸天狗党の流れを引く者がいると聞いた紀州藩は、その内情を探り、本家出身の将軍を守る役目を支藩である西条藩に命じた。
露見した時の保険であろう。捨て石であるといってもいい。
土方はそう思った。会津のために新選組がやらされた立場だ。
土方は得心が行ったという顔をした。
「副、いや、土方先生」
「ああ?」
「昨日の河童の話、面白うございました」
「なんでェ、急に」
土方の顔に不審の影が戻る。
「実はわしに家にも河童らしき話が伝わっておるのです」
「何だと……」
「わしのご先祖は今も申した通り紀伊の田辺の出だそうですが、安藤家に仕える前は同地にある蟻通神社に関わっていたと聞いております。根来忍者は陰としての身、平素は蟻通神社の神人だったとか」
「ほほう」
「西条の我が家にも蟻通明神が勧請されておりますが、子供時分から聞かされていたこの明神様の正体というのが……」
「何と」
「沙悟浄だと」
土方は絶句した。