臓腑(はらわた)の流儀 忘却の仇花 最終回

俺が皆に見せた画像がこれだ。

 写真はお借りしました

 殺人博士 推理小説が楽しくなる ©️金子登 kkベストセラーズ 1976年

「先生、これがこの一連の事件のいわばネタ本なんです。タレント本や占い本でベストセラーを連発した株式会社ベストセラーズが、昭和50年代に若年層向けに刊行したワニの豆本シリーズの一冊で、推理小説が楽しくなるとの副題通りに、ミステリーのトリックのネタバレや、実際に起こった殺人事件の手法などを紹介していました。
 その中でも特筆とされるのが毒についての豊富な紹介と解説でした。
 少年の持つ猟奇趣味につけ込んだのでしょうが、模倣犯罪を呼びかねないキワモノ図書だったといえます。そしてこの本の中に、朝顔の種がとても強い下剤であることも記載されていたのです。」
「と、いうことは君は読んだことがあるのかね?」
「はい。それどころか持っていました。佐賀もです」
「佐賀君もこれを持っていたというのだね?」
「そうです。僕はミッツがそれを買うところを見ていたのです。
 学校の近くの高月書店でした。そこで何か読み物を探していた僕は、彼が熱心にこの本を立ち読みしていて、やがてそれをレジに持って行って購入したことに興味を覚えました。あの秀才があんなに熱を入れて、なおかつどこかコソコソとした様子で買った本とはいったい何だろうと気になったのです。高月書店は小さな本屋でしたが、それは新刊だったらしく、ラッキーなことに同じ本がもう一冊だけ残っていたのです。アイツ真面目な顔してこんなのに興味があるんだと思いつつ、自分でも残りのその一冊を購入して家で読みました。ショッキングな内容でした。子供の頃から推理物が好きだった私はたちまちその内容に引き込まれました。」
「覚えてるわ。孝一郎くん、あなた乱歩とかホームズとかルパンばかり借りていたわねぇ」
確か3年間ずっと図書委員だった門倉美保(旧姓村山)がそう言った。俺はやはり本好きだった彼女とも互いが持っていたマンガや本を何度も貸し借りしていた。

「ああ、村山。俺がニコチンで被害者を毒殺する手法を使ったエラリイ・クイーンの「xの悲劇」を子供抜けのリライトじゃなくて、創元推理文庫で読んだのが、その小6の時だった。俺も毒に魅入られていたのかも知れないな?」
「しかし、あれから半世紀近くが経って、世の中は驚くほど便利になった。ネットで簡単にこの本にたどり着いたよ。こんなに表紙の画像がしっかり残っていて驚いた。しかもこの「殺人博士」は金子登という人が著者で、昭和51年1月に刊行されたことがわかった。あと4年で還暦を迎える、昭和39年生まれの俺たちが小学生6年生になったまさにその年さ。ミッツや俺はその年出版されたばかりの本を入手したことになる」
「そこまでわかった。そういうことがあったことは理解できる。それで佐賀君はそこで得た知識を悪用したんだね。都合のいいことに教室に朝顔がいっぱいあったから。そこから採った種を堀尾君の給食に混ぜたというんだね?優等生の佐賀君が何故そんなことをするんだね?それこそドラマなんかで君たち探偵が口にする動機は何かね?私にはそれがわからない」
「虐めですよ先生。もう長い間社会問題になっていますが、子供の虐めは別に今に始まったことじゃない。俺たちの時代にも無論あった。今のようにネットやSNSを使ったものなどはもちろんありませんでしたが。
 虐めを擁護するわけじゃないが、当時のジンはいわゆるいじられキャラ・虐められっ子でした。小さな身体に愛嬌のある顔。何を言われてもいつもニコニコ笑っているジンのことはいじりやすかった、虐めやすかったのです。優等生でズバ抜けた知能を誇ったミッツにとって、トロいジンはある意味蔑みの対象だったのでしょう。しかし品行方正で優等生の彼はクラスの他の奴らがやるような単純な虐めには加担することができませんでした。プライドが許さなかったのでしょう。しかし、小学生の誰も知らないような悪知恵をつけた時、彼のタガが外れた。優等生としての体面や、厳格な父親のしつけによって溜まっていたストレスが暴発したんだと思います。いわば彼のエリート意識と自己顕示欲が生んだ虐めだったのでしょう。
 けど、何か容器から、例えば当時だったら何処にでもあった空のマッチ箱などに粉砕した朝顔の種を入れて、それをジンの給食の器に振りかけたとしたら誰かに見られる危険性は高い。そんなあからさまに怪しい挙動は誰かの疑念を呼びかねないのです。あの秀才がそんなリスクを冒すはずがありません。けど、現実として彼は当のジンに目撃されてしまったのです」
「ジンがそれを見たですって⁉︎」
ミッキィが思わず口走った。
「先生、覚えていませんか?ジンが死ぬ直前口にした言葉を。彼は、当時は子どもだったから意味がわからなかったけど、確かに俺は見た。あの事件そのものが仕組まれていたんだと、そういう意味のことを話していたはずです」
「孝ちゃん、そうよ。確かに私も聞いたわ!けど聞いた私にもその意味はわからなかった。子どもだったから種が下剤だってわからなかったってことなの?」
「もちろんそれもあるが、それよりも、どこからそれが振り撒かれたのかわからなかったのだろう?ミッツの施したトリックがさ」
「トリックですって⁉︎」
「そう、そしてそれは今回も使われたんだ。ところで悪いがここでちょっと話題を変える。ああ、心配しなくてもちゃんとここには戻ってくる。肝心なところだからな。それはそうと、今回は明らかに毒殺だ。朝顔の種ってわけにはいかない。
 そこでまた久美子に尋ねる。君はこの毒には気付いているだろう?」
「トリカブトね!」
「さすがだ。もちろんトリカブトだろう」

「孝一郎君が二輪草の名前を出したからピンと来たわ。トリカブトと二輪草の誤食は多いのよ。若葉のうちは全く見分けがつかないわ」
「トリカブト。俺も聞いたことがある。屋敷はそんな事にも詳しいのかよ⁉︎」
やっと発言の機会を掴んだオリハラが叫んだ。
「トリカブトは猛毒だけどとても馴染みのあるお花なのよ。紫色のお花がとても可愛くて綺麗なの。華道ではよく使われるし、観賞用としてウチの店でも扱っているわ。」
「じゃあミッツの野郎は花屋で買ったんだな?」
「いやオリハラ、多分違うと思う。市会議員として顔を知られているアイツが、店員の記憶に残るかも知れないそんな愚を冒すとは思えない。トリカブトならこの時期迫立山に行けばいくらでも生えている。しかもここ北海道に自生するエゾトリカブトは、世界中のトリカブトの中で最も毒性の強い種なんだ!」

この街の南に海に突き出すように市街地を抱いて横たわる標高330メートル余りの迫立山は植物の宝庫として知られている。しかしその登山道の至る所に猛毒のトリカブトが群生していることは市民にもあまり知られていない。農業高校で園芸について学び、夫とともに花屋を営む久美子には常識だったに違いないが。
「そうかいいことを聞いた」
「バカなことを考えるなオリハラ、今度何かあったら、お前が犯人ですって証言するぞ!」
「お、俺は何も考えていない」
元不良、元暴走族のヘッドは蒼くなった。
「トリカブトは花や花粉にも毒を含む。素人が不注意に手を出したらお前が死体になってもおかしくはないぞ、それを忘れるな!そのトリカブトから採取した根を擦り下ろして、クロロホルムで溶解して、それを減圧濃縮した後で加熱
・分離して毒を精製必要があるが、徳成会病院の理事長とはいえ、内科医のミッツにそれができたかどうかはわからない。徳成会病院は総合病院だが、研究室のような減圧装置があったかも俺には知る由もない。
溶液を低温加熱だけで乾燥するのかも知れないし、もしかしたらそれを粉末化しただけなのかも知れない。クロロホルム  の沸点は確か60℃ほどのはずだからな」
「俺はお前が何を言っているのかがさっぱりわからない」
オリハラが嘆息した。

「それにしても猛毒だ。それを細心の注意を払ってカプセルに入れてカプセル錠化したんだろう。オリハラ、医薬用ゼラチンカプセルだけはお前でもドラックストアで簡単にに買うことができるぞ。
 それを今度は気づかれないようにジンのラーメンの小鉢に落とせばよかった。ジンも、それを警戒して、なかなかラーメンには手をつけようとはしなかったが、モツ鍋はなんともなかったし、まさか偉くなったミッツがまさか猛毒を盛るとは思わなかったんだろう。地位も名もあるあいつがそこまで大胆なことをするのはジンの想定外だったのだろう」

「やっぱり薬を落としたのね。朝顔の種の時と同じって、そろそろそのトリックとやらを明かしてもいい頃じゃない?」
「ああ、ヤッコか丁度よかった。さっきから気になっていたんだが、その指輪はダイヤだろうな?さっきからダウンライトを直接浴びてめっちゃ輝いて眩しいくらいだ。
目の保養だ。ちょっと外して見せてくれるかい?
 俺はそう言って空の右手を開いて彼女の前に突き出した。ヤッコは少し怪訝そうな顔をしたが、すぐにそれを左手の薬指から外すと俺の拡げた掌の中にポトリと落とした。

 俺はそれを握り込むと、親指側からのその握り拳に中にフッと息を吹き込んで、次にその拳の中からスルスルと真っ赤なシルクのハンカチを引っ張り出して拡げて見せた。
 ヤッコをはじめ全員が唖然とした顔をしているのを確認すると俺は今度はゆっくりと右手を開いた。
 ダイヤの指輪はその中には無かった。

「ちょっとぉ、孝一郎君、どこにやったのよ?アレ大事な指輪なのよ!返してよ!」
ヤッコが血相を変えたので、俺は笑って左手で右手の親指を握るとそれをゆっくりと引っ張った。
 すると親指はどんどん長さが伸びて、やがてすっぽりと抜けた。もちろん本当に抜けたわけはなかったが、親指は2本になった。

左手で抜けた方の親指をつまんで振るとカラカラという音が鳴った。
 もう一度右掌を開いて、その上に抜けた指を傾けると中から指輪が転がり出た。

「ヤッコ悪かった。間違いなく指輪は返すよ。君がいつもはつけていない派手な指輪を先週付けていたことに気づいたんだ。そういえば2年前の俺の開業パーティの時にも見た記憶がある。君はここぞという集まりの時につける事にしているんだろう。それを利用させてもらった。これは中空になった偽物の親指で、サムチップという。ミッツはこの中に種やカプセルを仕込んで、誰にもわからないように握った拳の中にそれを残して、中身を振り落としたんだ。給食の器とラーメンの小鉢にね。ただプラスチックで出来たこのニセ指を親指に嵌めたままでラーメンを取り分けたものだから、汁や脂で指が滑って、危うく小鉢を取り落しそうになった…」
「でも、ミッツにそんなことができたのかしら?」
「5年生のお楽しみ会で奴がこの手品をやって見せたって言ったのはヤッコ、君だぜ!」

ヤッコは思わず自分の口を両手で押さえた。でも一週間遅かった。

「5年生の時に人前で披露できたミッツは、6年生の2学期には当然できたはずだ。それからこれは警察には内緒だが、この偽の親指、サムチップは、先週警察が現場に到着する直前に、倒れたミッツのズボンのポケットから俺が回収しておいた物だ。証拠が残っていたら困るからな。
 なにしろ、この事件は、春に山菜の二輪草を見つけて冷凍保存しておいたジンが、美味しいので皆にも振る舞おうと考えて持ち込んだものだろうと俺が証言して、あの場はとりあえずそれで落ち着いたんだからな。ジンがそれらしき事をほのめかしていたとさえ俺は証言したんだ」
「ちょっと孝ちゃん、それって偽証じゃないの?バレたらどうするの?」
「裁判で宣誓した後じゃないから偽証罪にはならないだろう。証拠隠滅には問われるかもしれないがね。でももうバレてるさ。検死解剖でトリカブト毒、すなわちアコニチンは検出されたはずだが、ジンがそれを会場に持ち込んだはずの容器はどこからも発見されていないからね。ああ、もちろんアコニチンについては先程の「殺人博士」にちゃんと記述があったよ。ミッツも俺も昔からそれを知っていたんだ。俺はミッツがその知識を実践してみようなんて、当時はこれっぽっちも思っていなかったけどな。
 まして、その頃だったら虐め、悪戯(いたずら)で済まされたかも知れない事件は44年後、今度は悪戯では済まされない殺人事件になった」
「それはなぜなの孝一郎君?」
「大人になってからの動機だな?もちろんそれは虐めなんかじゃない」
「また動機に戻ったね。今度はどういう事なんだね?」
 先生が身を乗り出した。
「ミッツは44年前に成功した手を使いました。先生、クラス会の時おっしゃっていましたよね。人間としての実質は子どもの頃とそうそう変わらないって?」
「ああ、確かにそう言ったと思う。それは長年小学校教諭を勤めた私の持論なんだ。今の君のケレン味たっぷりの解説も、子どもの頃の何にでも器用で目立ちたがりだった君そのものだ。佐賀君もだからあえて同じ方法を取ったというのだね?」
「そうです。もちろん久しぶりに俺たちの前に姿を現したジンもそれは同じでした」
「堀尾君も同じ?」
「そうです。そしてそれがこの事件の動機でした。
 タクシー運転手だったジンは療養のために帰郷しました。しかし他に家族もいないのに、タクシードライバーに復職していません。その代わりいい仕事を見つけたと言っていました。美恵子、あれは君に言ったんだっけかな?」
「そうよ。でも今は言えないって…」
「そうだったな。ジンには言えるはずがなかったはずだ。それは恐喝だったんだ」
「恐喝⁉︎強請(ゆす)りかね?」
「はい。市会議員であり、総合病院理事長の佐賀光顕に対してのね。金を払わねば、アイツが小学校の時に犯した犯罪を公表すると脅したのでしょう。ジンは小学生当時は気付いていなかったのです。ミッツがサムチップを使って何かを自分の給食に混ぜ込んだ事を目撃しても、それが超強力な下剤だったとはね。第一ジンはその後に自分に襲いかかった悲劇がまさかミッツの行為に関係があったとは思いもよらなかったはずです。自分のしでかしたことの恥ずかしさで泣きじゃくるばかりで、あの時には冷静に事件を考えるゆとりなんてなかった。
しかし大人になって、何らかの機会にサムチップのトリックと、牽牛子の効能を知ったに違いありません。長く東京にいたジンは知らなかったのでしょうが、帰郷してみたら憎っくきそのミッツは医者として出世したばかりか市会議員としても収まりかえっている。たちまち復讐心が募ってきた事でしょう。と同時にこれはまたとない金づるになると。早速ミッツに連絡して脅迫したはずです。
 なんといってもジンにはカツアゲの非行歴があります。カツアゲは立派な恐喝です。彼もまた子どもの頃と実質はまったく変わらなかったのです。
 しかしこのおよそ半世紀の間に社会の方が変わって、今では誰でもSNSなどで簡単に人を貶めることができます。それを興味本位で拡散などされたら、例え身に覚えがなくてもたまったものではありません。ましてやミッツには身に覚えがあったのです。最初は大人しくジンの要求を聞き入れたのかも知れません。
 これは確かに俺の憶測ですが、捜査当局がジンとミッツの銀行口座を調べたら簡単に金の流れは掴めるはずです。俺にそれを明かすつもりはありませんけどね。しかし、金銭の支払いがどんどんエスカレートするのが恐喝の常です。ミッツはそれも怖れなければなりませんでした。それならいっそ恐喝者を始末しようと考えるのはミステリーのセオリーです」
「ちょっと待って孝ちゃん、確かにお偉く優秀なミッツがまさか子供の頃にそんな恥ずかしい虐めで他人を追い込んだ過去がある事を暴かれるのを気にするのはわかるわ。それによってジンははかりしれない心の傷を負ったというからなおさらよ。ジンは明るい将来を踏みにじられたと思ったのね。けどそれと殺人を天秤ににかけるかしら?これはバレたら恥をかくだけでは済まないわ。社会人として身の破滅よ!」
ミッキイが俺の説明を遮った。

「確かにミッキイ、普通ならそう思うよな。俺やお前ならな。でも一本気で何事にも一途なエリートのミッツには、普通の天秤は通用しないんだ。彼のような男には子どもの頃のイタズラも大人になってからの重大犯罪も関係ない。自分に汚点をつけるその最初のスキャンダルを忌避することだけが大事だったんだ。どちらが先にバレてもバレる事自体で、一瞬で身の破滅になると頑固な彼の頭は思い込んだんだ。バレるのか?バレないのか?二者択一で白黒ハッキリさせる事しか考えなれなくなるほどにね。
 だからジンを首尾良く殺すことができずに昔の悪行が先に明るみに出たら、その時点で彼は生命を断つつもりだったんだろう。そのための自決用のカプセルをちゃんと用意していた。本当はクラス会で直接ジンには会いたくなかったんだろうけど、逆に2人の関係を怪しまれないようにクラス会には参加するようにジンに誘導されていたのかも知れない。頭のいいミッツはそれを逆用して犯行を決意したんだ。
 だからこそ、殺人か自殺かの決意を持って会場に到着したとき、彼は不自然なほど汗をかいていたんだ。とても平常心ではいられなかったのだろう。
もちろん自分が死ぬことは当初の計画には組み込まれてはいない。そうなったら研究熱心な奴のことだ。モツ男爵の宴会メニューなども下調べしていたんだろう。鍋の締めにはラーメンがでることなんかもな。さらに犯行で一般的に入手出来ないような薬品や毒を使うことは自分に容疑を向けてしまう。当然自然毒に目をつけるさ。昔の読んだ殺人博士の記憶は残っているからな。仮にあの本の記憶がなかったとしてもあいつは医者だ。一般人よりは毒物に精通している。そして植物毒を使うことで、あわよくば花屋の久美子に嫌疑を押し付けられるかも知れない。あの時俺が長長舌を振るわなかったら、あるいは俺があの日クラス会を欠席していたら、彼がニラを引き合いに植物毒に言及していたことだろう。

 しかし、それほどリスク管理に長けていた彼にも意外な欠点があった。
 ジンに給食への細工を目撃されたことや、俺に殺人博士購入を目撃されたことだ。
 恐らく小さな頃から優秀でエリートコースを外れることのなかったミッツは、他人から注目されることに慣れ、それが当たり前のことになって、見られることに快感を覚え、そこに注意を払うことがない不遜な性格になっていったんだろう。さすがに理事長や市会議員になってからは迂闊な姿を見せないようには気を払っていただろうが、そもそも人目につくのがどうしても嫌な人間は市議なんかには立候補はしないだろう。長くなったが、これがこの事件と44年前のうんこ垂れ事件の顛末だ。ミッツのやった事は言うに及ばず、ジンの恐喝も決して許すことはできないと俺は思う」
ようやくそこまで言い終えた俺はもう一度水割りのグラスを一気に空けた。

「わかった水島君。私にも理解できたと思う。
 しかし君はこれだけのことを、あの緊迫した短い時間で考えたっていうのかい?なるほど名探偵というものは凄いな?」
「いえ先生、凄いのはやっぱりミッツです。アイツはあの場で俺が口走った、高月書店とか豆本とか、サムチップとか、二輪草とかというキーワードから、すぐさま自分のやったことが俺に露見したことを理解したんです。頭のいいのはここでも彼の方でした」

「ちょっと待て孝一郎、あの時ミッツは変な事を言ったぞ。『ありがとう時間をくれて』アイツはそう言って毒をあおったんだ。ミッツはお前が事件をジンの誤食による事故という解決に落とし込んで、あの場ではミッツの手品による殺人や、あの店の食品管理ミスによる食中毒だった可能性を排除して、ミッツも、そしてミッキイも傷つかない、死後にもミッツにスキャンダルが及ばない結末を提示して見せたことで自分が追い詰められたことを理解したんだ。官憲の手に落ちる前に自分の身の始末をする時間を与えられたこともな。だからミッツは安心して、ありがとうとお前に礼を言ってから死んだんだ。けどそれは立派な自殺教唆、自殺幇助に当たるんじゃないか?
これは証言じゃないから偽証じゃないってのは通じないぞ!」
 ノブオが咳き込むようにそう言った。
「だから、俺はこれ以上何も警察に言うつもりはない。向うが勝手に調べるのを止めはしないがな。誰だって懐かしいクラスの中から犯人なんて出したくないだろう?功成り名を遂げたミッツの名誉に泥を塗るようなことはしたくない」
「水島君、そこまでクラスと佐賀君の事を考えてくれたのか…」
先生がうめくように言った。しかしノブオの次の一言は辛辣だった。

「孝一郎、お前いつからそんなに人の痛みのわかる人間になった?血も涙もない探偵のいうセリフとは思えないんだが」 
 どこかで聞いたことがある一言で俺はノブオにまんまと一本取られた。

 お開き前に、かねてから気になっていたことを俺は木下先生にいってみた。
「ところで先生、こないだ初めて気が付いたんですけれど、堀尾尽って名前は漢字で書くとかばねだらけですね?」
「かばねってなぁに孝ちゃん?」
 しかしそう訊き返したのはミッキイだった。
 俺は彼女からメモ用紙とボールペンを借りて、その紙の真ん中に大きく尸と書いて見せた。
「これがかばねという部首だ」
「本当だ。ジンの名前には三つも入っているのね⁉︎」
「ちなみにかばねとはしかばね。すなわち死体の意味だ」
「やだぁ縁起でもない!でも今回は尸は二つで済んだわけね」
 そんな俺たちのやりとりを笑いながら見つめていた先生が
「名前といえば美樹くん。この結構な店のノーマ・ジーンという洒落た店名はどういう意味なのかね?私は浅学にして知らないのだが教えてくれないかね?」
「あらぁ先生、ここにいる喋りたがりの物知りに訊いてみたらいかがですか?」
「おおなるほど。それじゃあ改めて物識り探偵さんにお願いするかな」

「先生、ノーマ・ジーンとはかのマリリン・モンローの本名ですよ」
「ほう、そうだったのかね。だからこの店の装飾にはあちこちにモンローの写真やイラストが使われていたわけか。なるほど勉強になったよ」
「いえ、僕たちよりモンロー世代だった先生がご存知なかったとは意外でした。けど不思議だな?」
「今度は何よ?」

「マリリン・モンローの死には謎が多い、肉体関係にあったことが現在では明らかにされている当時のケネディ大統領との不倫スキャンダルを恐れたCIAによる暗殺、毒殺説さえあるんだ」
「本当⁉︎モンローって毒殺されたの?」
「あくまでも噂だよ。都市伝説だな。だけど、不倫相手とされた当のケネディ大統領も、そして同じくモンローと関係があったとされる彼の弟のロバート・ケネディ上院議員の2人ともその後に暗殺されている。もっとも2人は銃による暗殺だったけれどもね。こっちのスキャンダルはかばねが三つ揃ったってわけさ」
「まったく,ろくな知識じゃないわね。何の役にも立たないわ」
ミッキイの一言で、なんとか笑い声のうちに陰惨だったクラス会はようやく幕を下ろしたのであった。 完

この作品はフィクションです。登場する固有名詞は金子登著「殺人博士」と、マリリン・モンローを巡る諸人名、そしてサムチップや植物毒に関する情報を除いてすべて架空のものであり、実在する人物や団体その他に酷似するものがあったとしてもそれはすべからく偶然の一致に過ぎません。情報の悪用、ならびにモデルの詮索はご遠慮ください。


臓腑(はらわた)の流儀 忘却の仇花 ©️ 松島花山 2020年7月

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