臓腑(はらわた)の流儀 白狐のお告げ その3

靖子は促されて老女の前の座布団に正座した。
 坂本は控えて少し後ろに着座した。
 お狐様の背後には祭壇があり、神鏡を中心に建物入り口にあった「正一位稲荷大明神」と染め抜いた赤い幟のミニチュアサイズの物が両側に立てられており、それからあれは榊だろうか?宗教に疎い彼女にはわからなかったが、青々とした葉を繁らせた枝もそれぞれ立てられているし、やはりその前に眷属である狐が二匹鎮座していた。

写真はお借りしました



 さらにあれはお供物というのだろうか、白磁の器の上に一個のいなり寿司が置いてあるのがなんだか可笑しかった。

 「よく参られました。わたしは谷川晃子と申します。ここの皆はお狐様と呼びますが、お狐様はわたしの中にいらっしゃるのであって、わたし自身がお狐様であるわけではありません。」
 お狐様の自己紹介は、先ほどの緑川の説明とは若干ニュアンスが異なっているように感じられた。

 「初めまして。小山靖子と申します。」
 靖子はそう言って頭を下げた。その時お狐様がわずかに顔を左に向けたように思われた。おそらくよく聞こえる方の右耳を靖子の正面に向けたのだろうと思った。

 「何か悩みがあるようですね?」
 「いえ、特に……」
 靖子は敢えて素っ気ないように答えたが、その言葉をお狐様は捉えたようだった

 「ここに来る人は大抵最初はそう言うものです。でもそれは言葉の綾というもの。悩みをさらしてもらう前にわたしを信じてもらわねばなりません。」

 お狐様はそう言うと法衣の懐中から、奉書封筒を取り出すと、その中から三枚の紙札を取り出して靖子の前に並べた。
 一枚の大きさはトランプのカードくらいで、厚手の手漉き和紙でできているようように見えた。
 そしてそれぞれの上に靖子に向かって左から右に赤・黒・白の狐が描かれていた。
 訝しげな表情を浮かべる靖子に向いお狐様はやはり懐から隣の事務所にたくさん置いてあったような小さな陶器の狐を取り出して靖子の前に置いた。

 「これを好きな札の上に置きなさい。」

 なんだこれは。手品でも見せようというのか?
靖子は疑心暗鬼に囚われながらも、一応選ぼうとした。
 墨描きの狐に日本画の岩絵具ででも彩色したのだろう、(白狐には何も塗られてはいないと思われる。)
 お世辞にも上手とは言えない稚拙な絵だが、それが返って不気味な迫力を感じさせた。

 『どうしよう……白狐が取り憑いているというのだから、ここは白い狐を選ぶのが正解なのかしら?でもそれじゃあからさまに見え見えなような気もする。
 幟旗の赤がキーワードなのかしら?それとも裏をかいて真逆の黒?そもそも正解なんてないんじゃない。
 それにお狐様は目隠しするでもなく私の手許をじっと凝視しているし……何をさせたいの?なにが起こるの?』
 彼女の思いは千々に乱れたが、思い切って小さな白い狐を黒い狐の札の上に置いた。

 「ほっほっほっほ、素直なお方ですね、気に入りました。敢えて黒を選ばれましたか?」
 そういうとやおらに立ち上がったお狐様は祭壇に向かった。なるほど少し脚を引きずっているのがわかった。
 やがてほどなく戻って来たが、なぜか供えてあったいなり寿司の乗った白磁の器と、一膳の割り箸を持っていた。
 そしてそれを靖子の前に置くとこう言った。
 「この箸でいなり寿司を切り裂いてご覧なさい。」
「でも、これって大事なお供え物では?」
「いいんですよ。このおいなりさんは、小山さん、貴女のためにお狐様にお供えしたのですから。構いませんからどうぞ。」

 そうまで言われて、靖子は割り箸を手に取るとそれを割って、いなり寿司の油揚げの皮を慎重に開くと中の俵形の酢飯を箸で切り裂いた。

 するとその酢飯の中から小指の先ほどの巻いた和紙の紙片が出て来た。
 「開いてご覧なさい」
 言われて靖子はしっとりと湿った紙片を開いて見た。
 そこにはたった今靖子が置いた札と同じ黒い狐が描かれてあった。
「初対面なのでまずは簡単に言うわ。貴女がここに来てこのお札を選ばれることはお狐様によってすでに告げられていたのよ。」
 唖然とする靖子を尻目に彼女はそう言うと、靖子の前のカードを集めてまた奉書の封筒の中に納めた。
 いなり寿司の残骸はそのままだった。
 靖子が虚ろな視線を上げると、確かにお狐様の背後の祭壇にはいなり寿司が供えられていた空間だけがぽっかりと空き地になっているのが見えた

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