すっぽん・かっぽん その4

弾左衛門家も薬を造っているのだ」
「ええっ?」
 その言葉はもはや誰の口から迸ったものか判らない。
「大体が薬造りってえのもある意味忌まれた仕事なのだ。俺の家の石田散薬は薬草が原料だが、弾さんのところは人胆だ」
「なんですって!」
 呻くように蟻通が言う。
「処刑された罪人の死体から肝を抜くんだ。
こいつは精のつく妙薬とやらで諸国の大名や金持ちによっぽど珍重されたらしい。巨額の金を積んでな」
 処刑人の処理は弾左衛門の特権である。
 歴代の弾左衛門は、これも歴代の首斬り役人を勤めた山田浅衛門と結託して死体から肝を抜いていた。他にも脳や胆をも抜き薬材にしていたともいわれている。
「その他にも石見銀山鼠捕りをはじめ毒になるものも多い。山ん中に分け入ったり、虫や獣を煎じたり、身分のあるもんにゃあお断りの仕事といえる」
「……」
「土佐なども身分差には殊の外やかましい国柄らしい。なにせ下士は下駄すら履けないそうだ」
 土方は自らのロングブーツに目をやった。
「坂本は早くから靴を履いておりましたな」
「そうだ島田君。竜馬捕縛の命令の中で、靴を履いているのがそれだと指示しただろう。
しかし奴は低い身とはいえ武士だ。河童にされた奴らの苦労たるや考えることもできん。そうではないか蟻通君?」
 しかし蟻通には答える術がなかった。
「河多や長吏は傘を差すことを禁じられていると聞いたことがある」
 低く重い声で小野が語った。
「だから土方さん、傘の代わりに着る雨具を合羽と言うのではないか!」
「なるほど、流石は小野さんだ。そいつは気が付かなかった」
「乞食は菰(こも)を被っていますな。あれも同じことですか?」
 島田が何かを思い出したように言った。
「一時、長州の桂小五郎が乞食となって四条橋の河原者に紛れているとの情報がありましたが……」
「あれら河原者こそが河童さ。ただ奴等は浅草の河童と違い、穢多頭ではなく祇園社の支配下にあった」
「祇園社ですか……」
 島田も遠い目をしだしている。
 祇園社を現在では八坂神社と呼ぶ。
 池田屋の戦いの時、隊士たちが集合したのはこの神社の西門石段下の祇園会所であり、その後しばらくして、隊の幹部の一人であった谷三十郎が斬殺体で発見されたのも祇園社の石段下である。
「しかし土方さん、この戦はまるで河童戦争じゃありませんか?」
 島田がうめいた。
「うむ、と言うよりもな、この戦争は身分を壊してゆく戦いなのだと思う」
「身分を壊す戦い……」
「俺は元来が多摩の百姓の息子だ。それが新選組を創ることで武士の身分を得た。最後には直参、大御番組頭にまでなった。普通の世だったら在りえない話だ。
 しかしそれも幕府の瓦解と共に水泡に帰した。代わりに今はエゾ政権の陸軍奉行並だ」
 しかし土方の表情には屈託がない。
「先日、エゲレス船で浅草の弾左衛門さんから手紙が届いた。どうやらあの人には近々長吏から平民に格上げの御沙汰があるらしい。
 もはや勤皇だ佐幕だという争いではない。
 身分をどんどんと壊して、何か新しい世を創る。そのための戦いだ」
「そんな世が本当に来るのでしょうか?」
「さて、それはいつになるのかは判らねえが、勝っても負けてもきっと来る。
 現に榎本さんだって入札で決められた総裁だ。もっとも」
 といって土方は最後の盃を空けた。
「俺が生きてるうちはチト無理らしい。
 さて、座興も終わりだ。改めて今日の作戦を変更する」
「はっ!」
 島田と蟻通に緊張が走る。
「今夜八字、新選組は七重浜・有川の敵に夜襲をかける。先日ぶん捕った四斤山砲を持って行きたまえ。まずできるだけ派手な音で砲撃するんだ。斬り込みの判断は島田君に任せるが、銃撃もできるだけ派手に展開しろ」
「土方さんは指揮を取らないんですか」
「俺は河童退治だ。蟻通君、厄介だが君に同道していただく」
「はいっ!承知いたしました」
 土方は一転して小野には穏やかな笑顔を見せ、
「長々とお付き合いいただき恐縮です」
「しかし土方さん。官軍の総攻撃も噂される昨今だ。なにもあなたが直々にお出ましになることもあるまい」
 小野がそう言うと土方は
「そうではないのです。まだまだ負ける気はないが、いずれこの戦も終わりましょう。
 私たちの政権がたとえどうなろうとも、この箱館の街は残る。
 私はこの街に借りを作りたくないのです。
まして相手が河童とならばなおさらだ。
明日は私が小野さんの許へ河童退治の首尾を報告に上がりましょう」
と莞爾として笑った。
 台場には潮の匂いのする風が吹きこんでいた。

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