【FF5】ネオエクスデスの無
|| はじめに
ファイナルファンタジー5のラスボス・ネオエクスデスから
無とFF5の世界の考察、
ひいては現実世界の無の力・無心を考察します。
ネオエクスデスは、
劇中で世界も消し、自分も消えようという旨のことを言っているので
どちらかと言うと物語の流れ上そう言ってるだけの
(製作者側ににキャラクターの一人として言わされているだけの)
価値観としては架空の無(ありえないフィクションの価値観)なのかなと
ずっと思っていて理解できなかったのですが、
考察をし始めてみるとその価値観・心情は
現実にもありうるリアルな無なのだと思いました。
それを本当に詳しく知るには悟りや達観が必要ですが。
できる限りわかりやすく解説して行きます。
|| FF5のラスボス ネオエクスデスの無の真意
FF5の決戦で『無』がエクスデスを飲み込み、
ネオエクスデスとなり、
"私は ネオエクスデス
すべての記憶 すべての存在
すべての次元を消し
そして 私も消えよう
永遠に!!"
と言って本当の最後の闘いが始まる訳ですが、
すべてを無に帰し、永遠に自らも消える。
それはなぜなのか?
すべてを無に帰す力があるなら、
他の存在をひれ伏させ、自身が世界の王になることもできるのに
なぜ、それをしないのか? 考察してみます。
そもそもネオエクスデスは死を超越した(エクスデスの)
さらに新しい次元(ネオ)の存在であり、
本人が言うようにすべての記憶・存在である神のごとき存在。
つまりは究極の知性体。
と言うことは世界のすべてを未来永劫まで見切っているということ。
ネオエクスデスを生んだのは『無』ですが、
すべてを統合した上でのそう言った無の概念だからこそ、
そのネオエクスデスはエクスデス(死の超越)から昇華し、
誕生した瞬間にすべてを悟り見切り、
すなわち、無駄に時を過ごす能力・技術ばかりを高めただけの人々による
醜く凄惨な争いばかりをしている汚れた世界は
存続するにふさわしくない(感情的に言うなら美しくない)と判断し、
世界にあきれるあまりに絶望し滅ぼそうとしたのだと思います。
絶望しているけど無の存在ゆえに無心で
エクスデスのような私欲・私心(個人的な想い)は持っていない。
(ちなみに世界を無に帰すことができるから、
FF5のバトル中のメッセージに表示されるように
"宇宙の法則が乱れる!"のような
世界変革もやろうと思えばできる。
細かく自由自在にできるかは不明ですが、
ただ、グランドクロスの技がランダム状態異常付加なあたり
あまり細かくはできなさそうです。)
消そうとする・思うのは私欲・私心ではないのか?と捉えられますが、
その考えはただ世界の事実(人間世界の醜さ)を見据えた上での
考えの展開(論理的帰結・物理現象的展開)によるものであって
個人的心情ではない。ゆえに感情的な意志ではありません。
しかし、滅ぼそうとするのですが、
無ゆえに無欲でそこでその後、天下を取ろうとはしない。
ゆえにその後、憎しみも悲しみも無く
自身も落ち着いた心情でただ消えようとする。
無心ゆえに新たな世界を誕生させようとしているのか、
それともそのまま世界を無の状態のまま保つのか
考えは無い。なぜなら無そのものだから。
それはネオエクスデスとなって
主人公バッツたちに襲い掛かって来るものの、
エクスデスのようにバッツたちに敵対心を
あまり持って無さそうなネオエクスデスの口調や台詞にも
表れているのではないでしょうか。
ただ、もし、世界が無になったとしても
その後、まったく何も生まれないかと言うと、
それはわからない。
生まれる可能性もあるし、
生まれない可能性もある。
それは究極知であり悟りの心である無心の状態が
簡単に言って、落ち着いた心であるように
まったく何も無い訳ではないからです。
しかし無ゆえに変化無くその後何も起こらないこともありうる。
その後は世界を無に帰した以降の
『無の意志』(無が何を想うのか)によって変わる。
まとめとして、単に論理的展開でネオエクスデスの無を考えると、
すべてを統合した上での全知全能の無の力を持ったネオエクスデスは、
世界のすべてを未来永劫見通し、隠遁者のように世界にあきれ絶望し、
世界を無に帰すと言う神的役割を果たし、
私利私欲無くそのまま自分も消えて行き、
その後の世界はどうなるかわからない・未知数だが、
考えがまったく無い訳ではないと言うのが
無に関する一般的な思考を基にして考えた上での
FF5の世界の論理的帰結(結末)のような気がします。
|| 実際にFF5の世界はその後どうなるのか?
ここで実際のFF5のストーリーに則って世界を解釈してみます。
ネオエクスデスはある種、
FF3のラスボスの暗闇の雲のような
自然現象(台風)のサイクルに似た部分もあると思います。
人々の(FF5の)4つの心(探求・いたわり・勇気・希望)により
輝き(クリスタル)が生まれる。
その過程で悪しき者が生まれ、クリスタルは利用され、
悪しき者は無を操る。
だが無は悪しき者を取り込み、
その力で無は世界を再び無に帰し、
再び世界は無から再生されると言う
自浄システムなのかなと。
その過程で光の四戦士がその無を倒すか倒さないかで
今までの世界が存続されるか
新たな世界に生まれ変わるかの違いが生まれる。
ただ、エンディングのメッセージに
"いつかまた「無」が世界を包む時
人々に4つの心あれば
光は生まれん
「無」に浮かびし
4つの心
再び輝きを生まん…"
とあるので、どちらかと言うと
光の四戦士によって世界存続の道が示唆されていますが、
この文章は光の四戦士が敗れて世界が完全に無に帰ったとしても
意味が通る文章なので、
結論としては、
FF5では何かしらの世界が存続していくのかなと思います。
その点でFF5は希望のある明るい世界観ですね。
|| 実際の無は究極の力ではない
ここで我々の現実世界の無の力(無心)も考察してみましょう。
エクスデスは「『無』とはいったい…」
と最期に言っているので、
そのものの本質を理解していなかったようです。
現実世界での無の力・無心は理解すれば力の一助にはなりますが、
力そのものではないプラスアルファ的なものです。
無の力・無心とは、
たとえば、簡単に言うと
般若心経の空のように
動じない落ち着いた心を持っていれば
現代社会を切り抜けていく力の一助とはなりますが、
生きていく上でのメインの能力にはならない。
なぜなら、生きていくにはお金を稼ぐことに直結する力が必要な訳で
空や無心がメインで稼ぐことはできない。
たとえ空や無心でお金儲けできても厳しいものがありますし、
できる可能性としてはかなり低いですし、他の能力も必要です。
空や無心は悟りの力ですから
力としては最上位に位置する力ですが、
生きていくのに必要なのは
他の処理能力の速さ、感覚の鋭さ、論理的思考判断力、
コミュニケーション能力、情報収集力、
相手への思いやり等の実際に使える・使う能力・精神性であって、
それらを持った上で空や無心の考えがわかるなら
今までの思考判断に、
さらにプラスの面を考えつつもマイナスの面も考え、
それらの両面を細かい点・各工程の分岐まで細かく考慮した上で
落ち着いた最適な結論を出すと言う
その中庸的な絶妙なバランス感覚による判断力が
今までの能力に添加されてかなり強い力となりますが、
それだけを持っていても力とは成らない無意味な空虚な力です。
なぜなら、無心だけでは適切な思考判断はできないからです。
その他の優れた能力・精神性と合わさった時に
さらに優れた能力・精神性を生むのです。
ここでFF5に話は戻りますが、
エクスデスは無を絶対的な力と過信した所に敗因があるように思えます。
だからこそ、おそらく無は世界を無に帰すように
エクスデスもこの世に必要無いと判断し、飲み込んだのでしょう。
前述のようにFF5ではFF3のような世界の自浄システムなのでしょうが。
まさに、あるように見えて無い(それだけでは意味を成さない)、
無いように見えてある(確固とした基礎能力の上に絶大な力を発揮する)力。
それが現実世界における無の力・無心です。