見出し画像

「教育×クリプトークンエコノミー」をキーワードにこれから考えていきたいこと

ALISというプラットフォームで、台湾・香港・中国の仮想通貨・ブロックチェーン関連の記事を中心に、いろいろな記事を書いています!

2018年4月にALISのクローズドβ版が公開されて以来、「一日一記事」を基本として仮想通貨・ブロックチェーンに関する記事を書きながら、"input & output"で、いろいろと学んできました。

まだまだ知識は全然足りないのですが、ALISで記事を書きながら、そして、ALISに上がっているさまざまな記事を読みながら…

「自分が普段考えていることに、こうした取り組みを取り入れるとどうなるのかな?」

「そのためには、どのようなことが課題としてあり、それを解決するためにはどうすればいいのかな?」

というようなことを、なんとなく漠然と、考えるようになってきました。

僕が「普段考えていること」というのは、自分の仕事に関することです。

僕は今、大学で教育学を教えています。

特に、教員免許の取得を目指す学生さんに教育学の基本的な知見を獲得してもらうために、僕も日々勉強しています。

そうした教育学の知見から、ALISで学んでいるような仮想通貨・ブロックチェーンの取り組みはどのように捉えることができるのか?

それは現実の教育に、どのような影響を与える可能性があるのか?(ないのか?)

「教育」というトピックと、仮想通貨・ブロックチェーンが大きく関わる「クリプトークンエコノミー」というトピックは、どのように交わりうるのか?

そうしたことをテーマに、これから記事を書いてみたいと思います。

ちなみに、当たり前のように「クリプトークンエコノミー(Cryptoken Economy)」という言葉を使っていますが、これはALISハッカー部の億ラビットくんさんが生み出した言葉です。

このツイートにリンクされているALISISTA(ALISに参加している人)のもずくさん(もずく先生)のALIS記事タイトルにもあります、「クリプト(仮想通貨)を利用したトークンエコノミー」の名称として提案された言葉です。

詳細はもずくさんの記事や億ラビットくんさんのツイートを見ていただくとして、僕は、仮想通貨・ブロックチェーンを実装して作られる「小さな経済圏」という発想を、教育、特に「学校教育」の営みに重ねた時に、なにか新しく生まれるものがあるのではないかなと感じ始めています。

ただ、それはいわゆる「経済合理性」とか「インセンティブ」とかといったような経済性の観点からシンプルに論じられるものではないだろう、と感じています。

仮想通貨・ブロックチェーンということに限らず、先端的な技術が教育に導入されるという動きは多様に展開されています。

実際に、"EdTech (Education x Technology)" という言葉があり、ICT開発に関わる企業などが、教育の持つ課題を解決するための取り組みを始めています。

こうした取り組みが、教育の「ある部分」を解決していくことは間違いないと思いますし、そうしたことに大きな価値があるとは思います。

でも、教育に先端的な技術が導入されるというのは、実は今に始まったことではありません。

たとえば、映写機、ラジオ、テレビ、テープレコーダー、ビデオデッキなどなど、それぞれの時代の「先端的」な技術が教育現場に持ち込まれ、そうしたものを活かした教育のありかたが実践されてきました。

とはいえ、学校の教室から「黒板」「チョーク」という、いかにも「前時代的」な道具が撤去されることはありませんでした。

それは、「ホワイトボード」と「マジック」、あるいは「電子黒板」と「デジタルペン」になったとしても、基本的な構造は変わっていません。

また、こうしたことは単なる道具のレベルの話だけにはとどまりません。

そもそも、「学校教育」という存在そのものが、新たな技術の社会実装によってなくなっていくだろうということは、長年言われてきました。

Michel Foucault(ミシェル・フーコー)の "Naissance de la prison" (監獄の誕生)や、Ivan Illich(イヴァン・イリッチ)の "After deschooling, what?"(脱学校化の可能性)といった現代社会学の視点は、近代の「遺制」としての学校教育の姿を暴いてきました。

それでも、学校教育は「不要」として歴史のゴミ箱に放り投げられることはなく、今でもなお、市民社会を支える近代システムの基盤のひとつとしての役割を果たしています。

こうした形で、学校教育そのものは無くならない、という事実のうちには、それ相応の理由があるのだと思います。

少なくとも、教育学を学んだ人間は基本的にそのように考えます。

もちろんそれは、今後も学校教育は無くならない、ということを意味しているわけではありません。無くなることはあるかもしれない

でも、普通の人間が生物的に生きることのできる時間的スケールを超えて存在し続けている制度の持つ意味を抜きにして、安易にその時々の「流行」に乗ることには自制的でありたいと考えます。

(このあたりが、教育学者や教員は "conservative" としばしば思われる理由かもしれませんが、この点については、またおいおい記事にしたいと思います)

上に挙げた "EdTech" の議論などは、往々にしてICTに造詣の深い人々の知見によってリードされていくことが多いと感じています。

それがダメだ!というわけではなく、"EdTech" なのですから、"Education"からのアプローチがもっと発信されても良いのではないかと思います。

"Technology" がもっとポテンシャルを発揮して、"Education" の持つ課題を解決できるよう、教育学の知見がもっと活かされてもいいのではないかと感じます。

(ここでは、実は「教育Education」と「教育学Pedagogy」とのあいだに存在する距離感に言及していないのですが、このあたりのことも、またおいおい記事にしたいと思います)

教育学の視点から見える教育、とりわけ学校教育の意味位置づけを通じて、そこから「クリプトークンエコノミー」という新たな概念がどのように見えてくるのか…

そのうえで、「教育×クリプトークンエコノミー」がどのように成り立ちうるのか…

僕の中には、まだ正解が見えているわけではありません。

ですので、僕の考え方を少しずつアウトプットしつつ、この記事を読んでくださった方々の見方と掛け合わせながら、コツコツと考えていきたいと思います!


この記事が参加している募集