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一人歩いたその先で
もう何度目だろう。キミがいない春を迎えるのは。
ワタシは日傘の影からそう感傷に耽る。
今日は春という日にふさわしい、暖かで陽気な晴れ模様。吹く風は温く、照る日差しは優しい。日焼け止めを塗る必要がないと思わせるくらいには、穏やかな日の光が降り注いでいる。
ふと、桜の花びらがひらりとワタシの服に舞い降りた。薄く色づいたピンクのそれを、私はつまんで覗き込む。
————アナタに似ていますね。このサクラの花びらは。
いつか、キミがワタシに言っていたことを思い出す。
ーーーーこの穏やかな日のように優しく、そして舞うサクラの花びらのように爛漫な笑顔を皆に振りまいておりますから。
普段、ワタシに対してあまり感情を向けないキミが、柔らかな笑顔を浮かべていたのを覚えている。
懐かしい思い出に顔を上げれば、青空の中を雲が気まぐれに泳いでいるのが見える。
どことなく、キミがワタシを叱る時の表情に似ていて、思わずクスクスと笑ってしまった。
このまま形が変わらなければいいなと思いながら、また再びワタシは歩き出す。
キミとの思い出が詰まった、あの館へと。
◆
キミがいなくなったあの日、キミが遺したあの手紙を読んで、ワタシは大いに泣き崩れた。キミに別れを告げ、空っぽになった君の部屋で、何度も何度も後悔した。
キミにもう会えなくなってしまったことも勿論悲しかった。だがそれ以上に、キミが隠していた想いに気づくことが出来なかった自分自身のふがいなさが悔しかった。
それでも尚、キミは幸せだと言ってくれた。こんな情けないワタシを好きだと言ってくれた。それがたまらなく嬉しかった。
だからこそ、キミのお願いを見た時には驚いた。キミを忘れてほしいなんて、ワタシには到底不可能な事だ。
だが、キミは私にこう言った。自分なんかよりも優秀な人、頼りになる人がいると。決して寂しくはないと。ワタシにはいつも通りの笑顔のまま、前を向いて進んでほしいと。
だから、ワタシは君の『お願い』を聞いた。優秀な、そして頼りになる仲間を頼り、キミの事は忘れるように努めた。
事実、キミの言うとおりだった。頼りになる優秀な仲間に囲まれながら仕事をしていた時は、キミと仕事をしていた時と同じくらい忙しかったが、キミと仕事をしていた時以上に充実していた。たったひと時の間でも、キミの事を忘れることが出来た。
だが、とその頼りになる仲間がいなくなった後はどうするのかというのは、キミも予想していなかったようだ。
一人、また一人とその仲間がいなくなる。そのたびに私は狂ったように泣き崩れた。寂しさに頭がおかしくなりそうになった。その度に、彼らとの思い出を数えて、また泣き崩れる。
キミの言う、『思い出に縛られて』しまったのだ。
それは今も、抜け出せていない。
◆
何度も歩いた桜並木からの散歩を終えて、ワタシは自分の館へ戻る。
キミと出会った時よりも古くなり、所々の柱に蔓が伸びた我が屋敷は、それでも尚、ワタシを守るためにしっかりと大地に根を下ろしている。
ワタシは館の中に入ると、日傘と帽子を片付けて部屋に向かう。
あの手紙を受け取ったあの日から、ワタシはキミの『お願い』のために精一杯忘れようと努力した。時間が悲しみを風化させると信じて、色褪せた代わり映えのない日々を頼りになる仲間と過ごした。
それも難しくなり始めた時、日常は更に色褪せて、遠くなったはずの月日が、思い出が、私の前に壁として立ちはだかった。もう、頼れる仲間と過ごすだけでは限界だった。
だから、ワタシはキミに、『最後のワガママ』を聞いてもらうことにした。
廊下を歩き、自室も書斎も通り過ぎて、ワタシは角の部屋の扉を開ける。
真っ白で、何もない部屋。そのカーテンを閉め切られた窓際に、ぽつんと置かれた小さなテーブル。
ワタシは灯りをつけ、そこの椅子に座ると、そのテーブルに置かれていた小さな箱を開けると、中から折りたたまれた紙を取り出した。
――――キミには言わなかったが、キミは時折抜けているところがあった。
小さな書類のミスはまだしも、思い込みから抜けた発言をすることも少なくはなかった。その度に、ワタシは黙ってフォローを行なっていた。
言わなかった理由は二つ。キミに心労を与えたくなかったことと、そんなキミも、ワタシは好きだったからだ。
でも、それを知ったらキミはショックを受けるだろう。だから『ワガママ』と称してキミに処理してもらっていた。勿論、キミは心が読めることは知っていた。だからワガママを言う時は極力甘えるように心がけた。(単純な甘えも含めていたが)
だから、『最後の』ワガママなのだ。
――――これくらいなら、キミも許してくれるだろう?
そう思いながら、キミの手紙と、キミの笑顔を映した写真を見つめる。
キミは手紙で、自分に関わるものはすべて処分したと言っていたが、実は違う。ワタシが日々の仕事を切り抜けられるように、こっそり1枚アルバムから抜き取ったのだ。
こればかりはキミも予想していなかっただろう。
きっとキミに叱られてしまうだろうが、今回ばかりは許してほしい。
ワタシの前に立ちはだかった壁と、ワタシを縛る鎖の名が思い出であるのならば、それを断ち切るのもまた思い出ではないだろうか?
いつまでも続くこの褪せた日常を、いつか遠くに過ぎ去ってしまう時間や月日から身を守るためには、忘れるという事は確かに大事なのだろう。
しかし、数多の頼れる人に囲まれていたワタシには荷が重すぎる。あの一人だった日々には戻れそうにないくらいに、ワタシの心は弱くなってしまった。
ならば、弱いワタシは、キミと共に生きよう。弱い足取りをいつも支えてくれた、キミと共に歩き続けよう。
キミと一緒なら、前を歩く足音もきっと軽やかだろう。
――――こんな勝手で、気ままなワタシを許しておくれ。
そう思ったその時、窓も締め切ったはずのカーテンがふわりと浮いて、ワタシの頬を軽く撫でた。
ワタシにはそれが、キミに叱られたような気がして、思わず苦い笑みをこぼすのであった。