未来思考スイッチ#21 「ミライベクトル」を描く旅に出よう
『未来思考』、20のスイッチ。
ここまでのコラムでは、私が考える『未来思考』に至るヒントを綴ってきました。それらを大まかに分類すれば、「モノサシ軸」「主客の視点」「意識の力学」といったところでしょうか。
「モノサシ軸」は、座標やスケールを活用して新たな視座を考えるスイッチです。「#01 こころの直径」では、人が中心の距離で価値観が変わることを示しました。例えば、この距離を時間の大小に変えてみると、時間の利便性について分析ができます。直径のモノサシはいろんな尺度に入れ替え可能ですので、是非試してください。
次の#10~14は、主体と客体、主役と脇役の位置づけを反転させた場合に何が起きるのかを「主客の視点」としてまとめてみました。現代は大きな分岐点に差し掛かっていると私は考えていますので、この視点は極めて重要です。モノからコト、表面的から内面的なものへの移行はまさにこれに当たります。
後半の#15~20では、未来に力を与えてくれそうな考え方の根っこのようなものを、「意識の力学」としてまとめてみました。1+1を2ではなく3にしていく「止揚/アウフヘーベン」のような姿勢は改めて見直すべき視点です。常識を疑い、真理を考え続ける姿勢が『未来思考』の源泉、スイッチの基盤になるのです。
未来への大きな「矢印」を探していく。
皆さんにお伝えしたかったのは、これら20個のスイッチを通じて、自分自身で「ミライベクトル」を生み出していくことを楽しんでほしいということです。私たちが大海原に浮かぶ小舟に乗っているなら、目印や羅針盤がなければ進みようがありません。今が分岐点の前でも明確な分かれ道はなく、自ら道をつくっていくしかありません。「ミライベクトル」には、方向と力(=ベクトル)が含まれるので推進力があります。そんな未来への潮流を自分自身のストーリーとして楽しみながら考えてほしいのです。
2030年には世界人口が86億人になる、都市に住む人が50億人になる、経済は2000年の3.3倍になるなど、予測データは何かと手に入りやすくなりました。しかし、未来に起こりそうなデータばかりをみても、それは単なる「点」でしかありません。数値の大小ではなく、起きている変化を読み取り、「線」や「面」として洞察していく習慣を持つことが大切なのです。もっと言えば、『未来思考』を趣味のようにしてほしいのです。
あくまでも私の思考例ですが、「ミライベクトル」の導き方をいくつか述べてみたいと思います。
ワーキング × ライフシフト100。
リンダ・グラットン著「ライフシフト」が2016年10月に日本で発刊されてから、人生100年時代は一般用語になりました。先進国は長寿命化が進んでいるため、100年という数字に驚く人は少ないでしょう。しかし、2050年になると世界人口は約100億人になり、その多くが人生100年に向かっていくのです。言い換えれば、「人類100億人&人生100年」に備えた準備を2050年に向けて進めなければならないということです。
さて、そのような100歳の人生について、どのような捉え方があるのか、どんな視点で見るべきかを考えてみましょう。
100年続く人生であれば、当然ながら社会参加し働く時間も長くなりそうです。短い寿命の時代と違い、60歳定年制度で残り40年間が年金暮らし&隠居暮らしになるのは、健康面や財政面でも考えにくいでしょう。よって、前の図では75歳くらいまで元気に働けること想定しています。
そうすると、50歳は折り返し地点になります。また、働く期間を50歳で二つ分ければ、体力を活かし経験を積む前期と、智慧を活かし経験を差し出す後期に分けることも考えられるでしょう。生理的に変化の多い50歳。50歳で大学に通う人、50歳以降に新しいパートナーと出合い一緒に暮らす人など、これまでの常識が変わってくるはずです。
年金問題で定年延長が叫ばれていますが、人生100年の社会を素直に設計していくのであれば、定年の時期が問題なのではなく、どのような働き方を社会が許容していくかが重要です。
「働くこと」には、3つの段階があるように思います。
まず、お金を稼ぐための仕事、専門的な価値を提供するという意味での「ジョブ」。「ジョブ」では自分の価値を切り売りしますが、一生を見据えた成長や経験として見据えるなら、その仕事は「キャリア」としてつながりを持ったものになっていきます。さらに、仕事そのものに生きがいを感じ、まさに「これを成すために自分は生きている!」と思えるものが見つかったなら、それは「コーリング=天職」になります。人生100年時代の働くは「ジョブ」から「キャリア」、そして「コーリング」へと社会全体で価値を高めていくことが求められているのではないでしょうか。
さらに「ミライベクトル」の妄想を続けてみましょう。
人間の誕生と死、成長と衰退、陰と陽のような対称概念から、私は人生には「型」のようなものがある、という想像を膨らませています。誕生する時と死ぬ時を両端として、その両端を結ぶような輪をつくることで、左右対称の円のような「型」になります。
生まれてからの7年間はからだをつくります。からだができてくると、次の7年間は豊かな感情を育む時期となり、14歳で第二次反抗期を迎えます。その後は自我を形成し、精神的な自立に向けて大人へと成長していきます。7年周期で考えれば、20歳が成人の節目であることに納得できますが、寿命が延び、大学などの学びの時間が長くなっていることから、上の図では25歳としてみました。(あくまでも私の持論ですから、イメージ程度に留めてください。)
25歳くらいで社会活動を始め、50歳の頃に中間地点をくぐり、75歳まで仕事を続けていくイメージでしょうか。50歳が一番の底(ピーク)になるので、この時期はこれまでの仕事の棚卸しを行い、次の方向性の見直しができるといいと思います。若さで働く前期は自分の「キャリア」を積む意識にウェイトを置き、老年の働く後期は社会のために還元する、後輩の育成やサポートも行いながら、自分なりの「コーリング」が意識できるようになれば素晴らしい人生になるのではないでしょうか。
75歳頃に引退をしたとしても、その後は人生の果実を収穫する時期として「コーリング」を延長してもいいと思います。「ジョブ」ではなく「コーリング(天職)」ですから、主体的に行動ができるはずです。ボランティアで活動したり、本を書いたり、さらに学び直しや興味のあるテーマの研究など、「コーリング」を持つ人は知的好奇心が衰えないでしょう。
私の祖父母はもちろんのこと、会社のOB、地域コミュニティの長老など、これまでたくさんのお年寄りと出会ってきました。その他、社会で活躍されるシニア世代の活躍を見て感じるのは、子どものように天真爛漫な方がいらっしゃることです。失礼な言い方かもしれませんが、かわいらしくて、心が清らかで、何にも縛られない自由さを持っているお年寄りです。このような私自身の体験から、先の図の75歳以降は、誕生から25歳までと左右対称関係にしたのです。誕生してからゆっくりと成長してきたように、死に向かってゆっくりと人生を味わい尽くすような関係です。子どもの精神とお年寄りの精神はとても似ているような気がします。
高齢者を負の側面で語るよりも、これからの人生観、人生の「型」を社会で議論してみてはどうでしょうか。私はこのような「ミライベクトル」を自分なりに持って、暮らしや社会のデザインをしていきたいと考えているのです。
以上、働くことと人生100年時代を題材に「ミライベクトル」の例を述べてみました。その他の例も3つほど簡単に添えてみたいと思います。
シェアリング × エシカル消費。
車や住まい、洋服の貸し借りなど、シェアリング文化は急拡大しています。しかし、この変化を単なる「貸し借り」「共有」で捉えていいのでしょうか。Uberはモビリティサービスを提供していますが、自動車を所有しているわけではありません。車を持っている人と移動したい人をつないでいるマッチングサービスです。Airbnbは宿泊サービスですが、ホテルなどの宿泊施設の所有がビジネスではありません。空いた部屋と借りたい人を結びつけるサービスです。
このようにシェアリングサービスとは、「持たざる経営」でマッチングを主体としています。よってシェアリングの本質とは、「社会の無駄とり」ではないかと私は考えています。社会に潜む無駄を探してみる、無駄をなくせば経済面だけでなく環境にとっても良いはずです。
航空機を利用する時、混雑時は料金が高く、閑散時は料金が安くなるダイナミック・プライシングというものがありますが、これも「社会の無駄とり」です。目的地までの移動という基本サービスは変わらず、料金調整により満席状態にする、すなわち燃料エネルギーを有効活用することにもつながります。このように考えていくと、「シェアリング」はエシカル消費につながりやすい「ミライベクトル」ではないでしょうか。
コグニファイング × 新たな関係性。
私たちは豊富なモノに囲まれて暮らすことができるようになりました。しかし、あらゆるものが無尽蔵になってくると、複製(量産)できるものはフリー(無料)に向かっていきます。どんどん費用が安くなっていくからです。
フリーが溢れる時、モノよりも「選りすぐる行為」に価値が移行します。AmazonやNetflixを利用する際、この「選りすぐる行為」がよくできているので、便利に買い物ができたり、自分好みのコンテンツが視聴できるわけです。このように「選りすぐる行為」には、顧客の興味・関心、ニーズを的確につかむことが必要です。何が求められているかをつかむことを「コグニファイング(認識する)」と言います。
これからのサービスは「コグニファイング」しないものは無能だとみなされるかもしれません。単なるホームページ、個人に特化できない店舗は「サービスレベルが低い」と位置付けられるでしょう。つまり、顧客理解度の競争に突入していると考えるべきでしょう。
顧客理解を高めてアクションを起こすことを「おもてなし」と言います。また、D2C(ダイレクト・トゥ・カスタマー)においてもこの顧客理解は基本であり、新しい関係づくりに経営資源を集中させていると言えます。これも「ミライベクトル」の一例です。
アップデーティング × 生態系への進化。
スマートホンやパソコンのアプリは自動でアップデートされるようになりました。テレビでNetflixを見ていても、アップデートサービスが時々なされます。テスラの電気自動車もアップデートが基本です。私たちはアップデートが前提の世界に暮らしています。
アップデートの頻度を考えると、スマホのアプリは数か月単位で更新されますが、インターホンやガスメーター、分電盤のような住宅設備はどうでしょうか。設備製品の使用期間は10年以上のものが多く、皆さんの身の回りの設備は10年以上使い続けている機器がたくさんあるはずです。このような論理から、スマホと住宅設備のアップデートは別物と考えてしまいがちです。
しかし、よく考えてみてください。アップデートの世界はネットワークでつながっています。いろんなつながり合うアプリや機器がアップデートをするわけです。もし、アップデートしないままでパソコンを放置しておくとどうなるでしょうか。アプリケーションは使えなくなり、プリンターなどの機器は接続できず、セキュリティのリスクは高まるなど、様々な問題が発生してきます。言い換えるなら、世界から取り残された状態になるということです。アップデートしないものは「故障している」ものとして外部から認識されるでしょう。
このことから、スマホやパソコンだけでなく、自動車や住宅、街そのものがアップデートの対象なのです。「アップデーティング」とは世界を生態系へと進化させている強力な力、「ミライベクトル」なのです。
『未来思考スイッチ』の本編はここまで。
合計21のコラムを『未来思考スイッチ』として語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。少しでも参考になるスイッチがあれば幸いです。
21のコラムは『未来思考』の教科書的な位置づけで考えておりました。今後は、これまでの内容を補強するもの、参考書となるようなミニコンテンツをまとめていきたいと思っています。過去の体験記録、参考になる書籍、ユニークな未来思考事例などを徒然につぶやく予定です。
最後に・・・。
このコラムのヘッダーには、大きな人の肩に小人が立っているイラストを載せています。これは「巨人の肩の上にのる倭人」をイメージしたものです。「巨人の肩の上にのる倭人」は、12世紀のフランスの哲学者・ベルナールの言葉で、アイザック・ニュートンも触れていたようです。「先人の積み重ねた発見の上に、新しいことを発見する」という意味になります。
私の場合、育ててくれた両親や祖父母、一緒に活動した先輩方、社会でつながり続けるパートナー、そして松下幸之助や尊敬する芸術家などの多くの偉人の遺産の上に立てたからこそ、今の自分があるのだと深謝しています。私の発見や知恵は小さなものですが、そんな小さな肩にこれからの若い人たちが寄りかかってくれたら嬉しいなと思っています。
これからもつぶやいていきます。
引き続き よろしくお付き合いくださいませ。
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アイザック・ニュートンの書簡の一文、「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。(If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants.)」
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