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未来思考スイッチ#07 「かくれた次元」を探求する

空の向こうから、誰かの視線を感じる・・・。

私は子どもの頃、祖母の家で夕食をすませた後、自宅までの夜道を一人で帰ることがよくありました。田舎道です。畑と山と星空を眺めながら、ゆっくりと歩いたものでした。夜空を眺めていると、自分は世界という舞台の上に立っている役者で、誰かに遠くから見られているような気分になることがありました。

自らの意志で生きていると思っているけれど、「この世界は壮大な舞台で、家族や友人は役を演じる俳優ではないか」、「自分だけが知らないシナリオがあるのではないか」、「監督は誰だろう」とそんなことばかり考えた時期があったのです。いったい、私を見つめているのは、誰だったのでしょうか。

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いろんな次元で暮らす人の物語。

社会人になって、会社の先輩に紹介してもらった本に、「アインシュタインを超える~超弦理論が語る宇宙の姿(M・カク/J・トレイナー著)」というものがありました。物理学の発展を振り返りながらなされる、宇宙の起源や異次元空間の考察は、物理に強くない私でも楽しめるスリリングな物語でした。中でも、風刺小説『二次元の世界(フラットランド)』について語る場面があり、当時の私にとってはこの箇所が特に衝撃的でした。

『二次元の世界(フラットランド)』は、シェイクスピア学者のエドウィン・アボット氏が1884年に書いた二次元世界に住む人々の奇妙なお話です。私が理解している範疇で、その世界観を皆さんに説明してみたいと思います。(私の理解不足、勘違いなどがあるかもしれません。その点はご容赦ください。)

一次元の世界(ラインランド)。

文字通り、一元の世界は「線」です。「線」の上に暮らす人を想像しましょう。「線」のみの世界ですから、高さや幅はありません。ただ奥行きがあるだけです。この世界の住人は「点」という概念となります。しかも、その「点」には、大きさがありません。

この「線」の世界、「ラインランド」にAさんとBさんがいて、出会ったとします。AさんとBさんは挨拶や会話はできますが、BさんはAさんの向こう側に行くことはできません。そして、Aさんとは反対側の位置にCさんがいれば、BさんはAさんとCさんに挟まれた世界で生きていることになります。なんて窮屈な世界でしょう。

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私達の世界から見れば、「Aさんを飛び越えたらいいじゃないの?」と考えがちですが、「ラインランド」の住人にはその思考はできません。

二次元の世界(フラットランド)。

次は、二次元の世界を見てみましょう。二次元は「平面」ですから、形が生まれてきます。「平面」の世界に、円や多角形の形をした住人がいると思ってください。彼らは「平面」の中であれば、自由に動き回ることができます。エドウィン・アボット氏の物語では、丸さんや三角さん、五角さんのような様々な形の人が住んでいます。

ここで興味深いのは、「相手の形を、見える像から推測する」ということです。例えば、丸さんにとって、三角さんや五角さんは「線」にしか見えません。なぜなら、高さがない次元だからです。しかし、丸さんには多角形の「頂点」がわかるらしく、推測から相手の形を認識するようです。五角さんの場合、一度に見える頂点の数は1~2個ですが、その周囲をぐるっと回れば、頂点が5つあるとわかります。このように、全体の形は見えていないのに、様々な視覚情報から、二次元世界を脳内で認識しているというわけです。

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三次元の世界(スペースランド)。

さて、ここで、二次元世界の患者と医者をイメージしてみましょう。患者は内臓に疾患を抱えています。二次元の医者は、見える皮膚からメスを入れ、患部を治療するでしょう。

ところが、ここに三次元世界の医者がどこからともなく現れたと考えてください。その医者は、二次元にない「縦方向(高さ方向)」の次元を持っていますから、平面にはない「真上のような次元」から、患者をのぞき込むことができます。平面の患者の内臓が、真上からすべて見えているシーンをイメージしてください。(まるで、現在の私たちが顕微鏡で細胞を見ているような感じではないでしょうか。)

そして、三次元の医者は、真上から患部を治療することができるので、患者の皮膚を切開する必要がありません。もちろん、二次元世界の医者と患者には三次元世界は見えませんから、全く何が起こっているのかわからないでしょう。そばの看護師か「先生、大変です!患者さんの腫瘍が急に消えました!」、「ええ、なんだって!?いったい何が起こっているのだ・・・。」きっと、こんな会話がなされるはずです。

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今、私たちは三次元の空間にいます。四次元の空間があっても、それを視覚化することはできませんから、同じようなことがあっても、きっと怪奇現象が起こっているとしか考えないでしょう。

次元認識の法則。

ここでもう一度、二次元世界(フラットランド)の丸さんが見ている視覚を思い出してください。丸さんには、三角さんや五角さんが「線」として見えていました。「平面」が見えていたわけではありません。「平面」は、観察から得られた「認識」でした。それでは、三次元世界(スペースランド)の私たちにはどのように周りが見えているでしょうか。

私たちは、この世界を「立体」で認識しています。そのため、見えているものを「立体」と考えがちですが、正確には見えているのは写真のような「平面」です。「平面」の連続体がつながり、「立体」へと認識させているのです。この点は非常に重要なポイントです。

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これらのことから、ひとつの法則、「私たちが知覚する情報は、次元がマイナス1。認識する世界はプラス1」が導き出せます。二次元の世界(フラットランド)では、知覚するのは「線」ですが、平面を認識するのは三次元方向、「立体」の視点を持ち得たからです。でも、「立体」の視点の場所はわかりません。これと同じように、三次元の世界(スペースランド)では、知覚するのは「平面」ですが、立体を認識するのは四次元方向、「超立体」の視点と考えられます。しかし、立体の認識はできても、「超立体」の視点の場所はわかりません。

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まとめると、「ある次元において、視覚はマイナス1の次元、認識はプラス1の次元でなされる」ということです。私はこれを『次元認識の法則』と呼んでいます。

時間軸の次元も考察してみる。

これまでに述べたことは、時間軸を除いた世界観でした。私たちは「三次元空間+時間」の世界で活動しています。ここで、時間軸についても考察を重ねてみましょう。

一般に、時間軸は「過去・現在・未来」の順で捉えられますが、『未来思考』ではその逆、「未来・現在・過去」へと時間が流れることを前提としています。時間軸は「線形」、「一次元」ですから、この一次元の時間世界に、先ほどの『次元認識の法則』を適用してみましょう。知覚できるものはゼロ次元、すなわち「点」となる現在のみとなります。一方、認識する視点は「平面」ですから、ここでは「時間平面」と呼びましょう。

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この「時間平面」を見てみると、決まった過去や未来なんてないことがわかります。現に私たちは、未来も過去も想像できるし、過去は記憶として認識できます。その過去の認識は、良くも悪くも書き換えることもできます。ましてや未来は、全くもって自由に描くことができます。もしも私たちが、「時間平面」から認識していないのであれば、過去を振り返ったり、未来を想像したりできないはずです。「時間平面」という存在は、「未来・現在・過去」という時間感覚の自由度を証明するものだと私は考えています。『未来思考』の基本理念は、ここから生まれてきていると言っても過言ではありません。

「かくれた次元」を探求する。

私たちの認識が「空間は四次元、時間は二次元の場所」から生まれていることから、私たちの精神・マインドは「時空間世界を客観的に見つめる次元」にいると想定できないでしょうか。

私には生物学的な知見がないので、単なる憶測でしかありませんが、動物たちは、「空間は三次元、時間は一次元」で認識しているような気がします。素直に世界を二次元で知覚し、時間を点(現在)のみで把握しているため、まさに「いま・ここ」で生きているというわけです。

一方の人間は、認識の次元がひとつ高くなることで、過去にくよくよし、未来に不安を感じたりするようになっていると思いませんか。しかし、認識の次元が高いからこそ、人間には「世界を多面的に見て感じる」という可能性があります。私たちが認識している場所、それを「かくれた次元」と呼びたいと思います。(注:エドワード・ホール著「かくれた次元/The Hidden Dimension」とは別の意味です。関連性はありません。)

本当の私たち(精神・マインド)は、「かくれた次元」に存在しているけど、その真実はまだ深いベールに包まれている・・・。そう感じながら、「かくれた次元」をイメージしていけば、二次元世界の患者を三次元世界の医者があっという間に治療したように、何かすごい発明ができそうな気がしてきませんか。

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私が子どもの頃に感じた「誰かの視線」、それは「かくれた次元」にいる私の認識だったのでは?と、今では考えています。


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