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#002:小松さんと米朝さん、忘れられない銀河の夜

ホテルのラウンジに呼ばれて。

1995年頃だったでしょうか。知り合いの演出プランナーから、「大阪の〇〇ホテルで合わせたい人がいるから来ない?」とお誘いを受けたことがあります。そのホテルのラウンジは天井が高く、キャンドルを灯す程度の薄暗い場所でした。

ラウンジで待っていると、目の前に現れたのは小松左京さんでした。

私の小松さんのイメージは「SF作家」「日本沈没」「博覧会プロデューサー」です。1990年の国際花と緑の博覧会では、いのちの塔という施設のシステムデザインを私が担当したことから、きっとプランナーが誘ってくれたのでしょう。小松さんを前に、ただ私はびっくりするばかり。小松さんとプランナーの会話をそばで聞いているだけした。

しばらくすると、偶然通りかかった御仁が「やあ、やあ」と小松さんに声をかけてきました。短い挨拶の後、小松さんに促され、御仁は私の前の席に腰掛けます。その方は桂米朝さんでした。

小松さんと米朝さん。

お二人は旧知の仲らしく、そんなことも知らない私は突然現れた二人の巨人に唖然とするほかありません。しかし、本当に驚いたのはその後でした。

圧倒的な知的漫才。

お二人はものすごいテンポで会話を始めます。

エスプリの効いた漫才とでも言ったらいいのでしょうか。百科事典でも開かない限り出てこないような話が縦横無尽に拡がります。それになぜか会話がとっても暖かいのです。一つ一つの語りに愛情が込められ、それは相手に対するものであり、歴史や文化、万物に対する畏敬の念のようなものでもあると感じました。

躍動する言葉の生命力に圧倒され、笑う暇など私には微塵もありません。

お二人が何を語り合っていたのか、実はよく憶えておらず、酌み交わす言葉の数々が薄暗いラウンジの空に舞い上がり、言葉が星々のように舞っている風景が強烈に印象に残っているだけです。銀河の星々の中に、ひとり放り込まれたような至福の時間。それだけが強い記憶として今でも残っています。

実はその頃から、私もたくさん勉強して、小松さんや米朝さんのような言葉の銀河を拡げられるようになりたいなと思ってきましたが、巨人はあまりにも大きすぎて・・・。私は足元にも及ばないようです。

SFと落語の共通項。

後で知ったのですが、小松さんと米朝さんは1964年(昭和39年)から4年半ほどラジオ番組を持ち、このコンビの掛け合いはとても有名だったようです。私が生まれる少し前の話です。

小松さんは落語が大好き。「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は地獄を描いたSFだ!」とのこと。そして「SFなんて落語みたいなもんじゃないか。そやから現代SFは、100年以上前にできた古典落語の雄大さに負けてられん。」とも。なるほど、「空想力」という視点で、まさかSFと落語がつながるなんて・・・。つくづく小松さんと米朝さんの関係には奥深さを感じてしまいます。

最近、SFプロトタイピングなるものが流行ってますね。

私もSF映画から発想することはよくあります。不確実な時代だからこそSF発想で・・・というわけですが、たまには古典落語の中のSF、空想力に目を向けてみるのも、もしかすると『未来思考』のヒントになるのかもしれませんね。




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