他人を決めつける人は、他人から決めつけられる人になる。
「ひらやま君って、人をすぐ判断するよね。」
働きはじめたばかりの頃、なかよくしていた人が、自分の周りの人や同僚に対する言動をみて、丁寧に伝えてくれた言葉だ。
数年前に言われた言葉だけど、言われた場所も時間も、よく覚えている。
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「こういうの、普通にありえないよね」
「君の考えは、間違っているよ」
「なんでこんなこともしてないの」
人を判断してしまっていたときの自分は、会話や議論の中で相手を決めつけたり否定したりする言葉が多かった。たくさん人を傷つけて、怖がられていた記憶がある。
そんな言葉を使う人の周りによい循環が生まれることはなく、気づいたときには、自分は「怖いやつ」になっていた。
「ひらやま、ちょっとありえないよね」
「なんでそういうこと言えちゃうんだろうね」
「信じられない、話したくない、怖い」
いままで自分が人を傷つけていた言葉を、周りから言われるようになった。そしてそのもらった言葉で、今度は自分が傷ついた。
このままじゃいけないだろうな、ということだけがわかっていたとき、冒頭のセリフを言われて、ハッとした。
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誰にも大切な価値観や常識があるから、人やモノをみるとき、無意識に自分の色眼鏡でみている。それはしかたないことだけど、注意はできる。
「初対面の印象で、人を判断しがちだな」
「話したことないのに、決めつけてるな」
「常に正解があるような思考だな」
自分の思考の癖をみつけるには、よく使ってしまう言葉を自覚したり教えてもらえたりするといい。言葉は思考をつくり、思考は言葉をつくる。
よく使っている言葉に自分の思考の癖が寄ってしまうことがあるなら、その言葉が誰かを傷つける言葉ではない方がいい。
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自分のことをよくみてくれて、的確に教えてくれた人に、本当に感謝している。自分ではわからない自分の側面がたくさんあるから、信頼できる人からのフィードバックをもらえる機会は、たくさんあるに越したことはない。
「仮に自分が信頼されるとしたら、その人は自分のことをどんな風に思ってくれているか?」
ということを考えてみると、自分が無意識に望む人との関わり方や理想みたいなものの片鱗がみえてくる。
何から考えていいかわからないときは、いま近くにいる人や大切な人たちに対して、自分としてよく関われているかを振り返ってみるといいかもしれない。大切な人を大切にできない人は、他のどんな人も大切にできないだろうから。
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周りからの言葉や評価を気にしすぎる必要はないけど、だからといって、不必要に強い言葉や悪評をもらう必要もない。他人を変えるのは難しいから、まず自分から変わっていきたい。
そんなことを考える水曜日の夜なのでした。