希望は残っているよ、どんなときも。
考え事をするのがすきです、カフェラテを飲みながら。よくお気に入りのカフェでカフェラテを飲みながらnoteを書いていました。
最近はお気に入りのカフェがお休みなので、コンビニで毎日新しいカフェラテを買ってすきな味を探しています。
今日もカフェラテを飲んでいたんですけど、すごくいい時間なんですよね。
ふと一息つける時間
思考を止める時間
細かいこと気にしない時間
カフェラテの味や量も大切なんですが、飲む時間そのものの方が尊いんですよね。そこに何があるわけではなく、むしろ何もないことが大切というか。
ただなんとなく、いまの毎日に少し足りないんですよね。最近気づきました。
店員さんと話したり
気分でチーズケーキを買ったり
お客さんの顔を見たり
偶然がもたらしてくれる、なんでもない変化です。自然な揺らぎとも言えます。
自分の意思とは関係なく、確実に流れていく時間や事柄、人と人。普段意識することがなかった「普通」の出来事が、自分の日常をつくっていたことを痛感します。
最近は、「普通」が減ってしまいました。
顔を合わせて挨拶をして
流れのままに雑談して
またねと言いながら手を振って
「大切なことは目に見えない」とはよく言ったものです。自分の日常を構成する目に見えない当たり前について、失くしてみてはじめて大切さを感じます。
あぁ、もう少し丁寧に生活すればよかったな。
諦めと後悔が混じった気持ちを抱えてしまいます。
でもきっといま抱えているそわそわした気持ちも、またすぐ当たり前になってしまうのだと思います。人間はすぐ慣れてしまう生き物だから。
いま書いているなんでもない気持ちの記録を、尊く感じる日がきっと来ます。1ヶ月後か、半年後から、数年後かはわかりませんが。
外出規制なんて、そんなことあったね
ワクチンがなかった頃、大変だったよ
カフェラテがない、毎日なんて
いま過ごしている毎日は早く過ぎ去ってほしい日々なのかもしれません。それでも過ぎ去ったあとには、きっと哀愁とともに思い起こされるんだと思います。
過去からみた今日は、未来です。
未来からみた今日は、過去です。
いまの自分たちにできることは、常にいまからはじめ続けることだけです。お気に入りのカフェですきなカフェラテを飲める日を夢みながら、今日もnoteを書きます。
希望は残っているよ、どんなときも。
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