「はたらく」の先には、物語がある。
「はたらく」との最初の出会いは、小学生の頃、休日の実家にあった。
父は小さな設計会社に勤めていた。会社は実家からほど近い場所にあり、地元の企業や団体に設計機器を卸していた。
母は専業主婦だった。料理が上手で、本をよく読んでいた。実家には小説から哲学書まで、たくさんの本があった。
ある日、休日出勤していた父が、お昼を食べるために家に戻ってきた。学校が休みで手持ち無沙汰だった自分も、一緒に母のつくったお昼ごはんを食べた。
少しだけ会話をしてお昼を食べ終えると、父はソファでうつ伏せになって昼寝をはじめた。母はゆっくりと食器を片付けはじめた。
浮き沈みする、父の背中を、よく憶えている。
遠くをみる、母の眼差しを、よく憶えている。
南向きの窓から光が差し込むその部屋には、静けさが充満していた。小学生の自分には断片的にしかわからない、真っ白なあたたかさがあった。
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社会人一年目のとき、上司に言われた言葉が忘れられない。
「お前の意見はどこにある?伝書鳩ならいらないぞ。意見を持て」
あるプロジェクトを管理する立場だったとき、発注元と委託先の会社に挟まれて、自分の意見を見失っていたときにもらった言葉だった。
積み上がったタスクをスケジュールぎりぎりにこなし続ける忙しい日々に、心を亡くしていた。強い言葉をもらわなければ、肝心なことを思い出せなかった。
どんなに大きなプロジェクトも、小さなタスクのまとまりで成り立っている。どんなに輝かしい仕事も、丁寧な配慮と努力で生み出されている。
機械のようにただ決められたタスクをこなすことには意味がなかった。自分がプロジェクトに関わる意味は、プロジェクトの先にいる人たちによい影響を与えるためだった。
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よほどの大自然で生活しない限り、身の回りの景色のほぼすべてから誰かの仕事をみつけられる。
いま着ている服も仕事で使うパソコンもカフェで飲むコーヒーも、すべての誰かの仕事だ。その一つ一つには、人の想いが込められている。前面に押し出されるストーリーもあれば、語られることのない想いもある。
自分が当たり前のように送る日常は、たくさんの誰かの仕事と、たくさんの誰かの想いによって、つくられている。
当たり前の日常をつくる仕事は、意識することも語ることも難しい。意識しないと慣れてしまう。慣れは慢心を生み、慢心は無関心を生む。
誰かの価値観に従ったり用意されたレールに乗ったりすることは、人生を簡単にするようにみえるけど、ひっそりとあなたの想像力を奪ってゆく。
日常に溢れる仕事に込められた人の想いを、
意識できているだろうか。
自分の日常をつくる仕事を想像することの大切さを意識したとき、ふと思った。
自分の仕事の中に、
人に伝わるほどの想いを込められているか。
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cotreeで仕事をする中で一番うれしいのは、プロダクトを使ってくれた人の声を聴くときだ。
「cotreeに出会えて、よかったです」
その声は、自分のたちの仕事の先にいる「人」を強く実感させてくれる。
プロダクトを使う人の体験をつくっているのは、いまの自分たちの仕事だ。この先も嬉しい言葉をもらうか、あるいは悲しい言葉をもらうかを決めるのは、これからの自分たちの仕事だ。
いま使う人は、誰かの大切な人かもしれない。
次に使うのは、自分の大切な人かもしれない。
自分たちの仕事には、誰かの日常を支え、誰かの未来を良くも悪くもする可能性があることを、一瞬たりとも忘れてはいけない。
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cotreeを使う人には、一人一人、物語がある。
あるマーケティング施策によって、cotreeのサイトを訪れた人がいた。あるカウンセラーとのカウンセリングで、気持ちの整理ができた。そのおかげで、家族との時間が生まれた。その時間は家族のつながりを深めた。深いつながりがあったおかげで、その家族は末永く幸せに暮らした。
家族の幸せは、何によってつくられたのだろう。
来訪の起点になったマーケティング施策によるものか、すばらしい対応をしたカウンセラーのおかげか、家族の時間をつくった相談者のおかげか、つながりを大切した家族のおかげか、あるいは関わった人すべてのおかげか。
仕事の成果を切り分けることは、難しい。
わかりやすい成果がみえないとき、仕事に意義を見い出せなくなるときがある。細分化・合理化された仕事をするとき、自分が介入する余地がないように思えるときがある。
そんなとき、思い出してほしいことがある。
仕事の先には、人がいる。
人の先には、物語がある。
どんな仕事にも、想像する余白が残されている。
仕事の先に見出される人の物語は、想像する人の想像力に委ねられている。同じ仕事から想像される物語は、十人十色に彩られている。
新しい物語が想像できる仕事は、新しい仕事になる。あなたにしか想像できない物語のある仕事は、きっとあなたにしかできない仕事になる。
自分の仕事からはじまる物語を想像すること
それが、「はたらく」ということかもしれない。
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最近、両親からLINEが届いた。
「cotree、6周年おめでとう。今の時代に求められる素晴らしい仕事だね」
「cotree、新しくなったんだね。優しい色づかいで、いつまでもみていたくなるね」
その言葉をみたとき、家族で過ごした時間を思い出した。
あの日の父は、背中にたくさんのものを背負っていたのだろう。
仕事の先にいる人たちや一緒に仕事をする人たちへの想い、家族への想い。自分と地元の人からの期待、達成感と充実感。未来への希望と不安。
あの日の母は、眼差しの先にさまざまなものを映していたのだろう。
ひたむきに働く父や小学生の子ども、自分の歩むであろうキャリア、子育ての苦労と喜び。家族に伝えたい言葉、自分自身に贈りたい言葉。
あの日の自分には、想像できなかった。
なんでもない日常を支えるため必要だった、父と母の仕事を。それらが並々ならぬ想いによって生み出されていたことを。
いまの自分なら、少しだけ想像できる。
人を想いながら相応の苦労をするとき、人の背中には、人の眼差しには、美しさが宿ることを。その美しさは、いつまでも人の心に残り、人を支え続けてくれるということを。
なんでもない休日の昼下がり、あの部屋に充満していた静けさと、両親からあふれていた真っ白なあたたかさが、自分の中に残り続けている。
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はたらくって、なんだろう。
この問いに答えるのが、怖かった。
答えを出すことで思考を止めてしまう気がした。自分なりの答えが的外れかもしれないと思った。
けれど考えるうちに、答えは重要ではないことに気づいた。
過去の自分が出した答えをいまの自分が変えることは、よくある。いま自分が出せる答えは、いまの自分の答えにしかならない。未来の自分の答えは、未来の自分にしか出せない。
重要なのは、時とともに変化するそのときの自分で、問いに答え続けることだ。
出した答えで自らをよく変化させて、変化した自分でまた問いに答える。答え続ける姿勢そのものが、変わりゆく社会の中で、自分の進む道を切り開いてくれる。
自分の仕事からはじまる物語を想像すること
いまの自分の答えを出せた。答えたことで、次に進める気がした。
自分だから想像できる物語を通して、自分なりの仕事をつくりたい。その仕事の先には、自分だから出会える物語がある。
「はたらく」の先にある、人の心にいつまでも残るような美しい物語に、ぼくは出会いたい。
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このnoteに書かれていることは、極めて個人的な意見だ。ぼくの意見は、あなたの答えにはならない。この問いをあなたの目の前に引き寄せて、持ちうる想像力を活用して、いまのあなたの答えを出してみてほしい。
はたらくって、なんだろう。
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このnoteは、Panasonic×noteの「はたらくってなんだろう」コンテストの参考作品として書かせていただきました。
約一ヶ月前、「コンテストの審査員、お手本作品を担当してもらえないでしょうか」と連絡をもらったとき、驚きました。約二年半前、noteをはじめた頃の自分は、こんな形で関わる機会が訪れるとは夢にも思ってなかったからです。
ちょうど「はたらく」ということについて、考えていたタイミングでもあり、快諾させていただきました。書く機会をもらえたこと、考える機会をもらえたこと、本当に感謝しています。
noteを始めてから、noteを書いたり読んだりするようになってから、たくさんのことを学ばせてもらいました。
・つくることの楽しさと苦しさ
・つながることのおもしろさと大変さ
・とどけることの喜びと悲しみ
そうして得られた学びと、学ぶことそのものの楽しさは、いま自分の人生を支えてくれています。
きっと今回のコンテストでも、自分は何かを学ぶような気がしています。そしてこれからも、noteを書いたり読んだりすることを続けることで、大切なことを学べるとも思っています。
コンテストに参加してくれたみなさんにも、noteを通して、よい学びがあることを祈っています。つくることは大変さを伴うこともありますが、楽しみながら参加してもらえたら、うれしいです。
ひらやま
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このnoteの解説記事を書きました。
よかったらこちらもお読みください💁♂️
最後まで読んでいただきありがとうございます。