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父の日~息子と二人の食事~

「来月、父の日っていうのがあるんだよ。」
2024年6月16日(日)は父の日らしい。
ソフトクリームを口に運びながら、息子が教えてくれた。

今、目の前でソフトクリームを食べている息子は発達障害を抱えている。昔は白飯と果物以外はほとんど口にしなかった。
外食も「白飯がメニューにある店」という制約がつく。

療育を続け、小学校に上がるころには、すっかりいろんなものが食べられるようになっていた。

ラーメン、そば、カレー、お寿司(サーモン、えび、ほたて、カニ)、焼き肉
(そう、どんどん高いものの味を覚えていく…)



嫁と娘に黙って二人でこっそり外食するのが自分の中のブームだ。

「男二人」というのがミソだ。ちょっとした背徳感も楽しむ。

ラインで嫁に「○○(息子)は、夕飯はコンビニのおにぎりでいいと言っている。俺は夕飯いる。」とほんの少しのウソを交えた連絡をし、怪しまれないようアリバイ工作。

カレーが食べたいと言う息子の希望を叶えるために、カレーを頼んだ。
息子には腹いっぱい食べさせるが、自分はこの後嫁が作ってくれる夕飯が待っている。
息子の分だけ頼むと店員さんが不思議そうな顔をしていた。
(金がないと思われただろうか…。別にいいけど。)

「デザートにアイス!」
食後のソフトクリームを頼んだ息子は、冒頭の父の日のことを教えてくれた。
ソフトクリームを口に運ぶ息子を眺めながら、ぼんやりと自分の父親のことを思い出した。

自分の父親は肺がんでもう亡くなったが、自分の小さい頃の記憶はもうあまりない。
中学に入る前、思春期に突入する頃合いで両親が不仲になり、毎日夫婦喧嘩を繰り返したのち、数年夫婦間でほとんど口をきかなくなった。離婚する話も自分の目の前で始め、お前がいるから別れられないと言い始める始末だ。

それに合わせて、自分も中学高校とほとんど父親と口をきかなくなった。大学は一人暮らしを始め、大学卒業と同時に地元を離れ、東京に移り住んだこともあり、両親と顔を合わせる機会もほとんどなくなった。



父親が体調を崩し始めてからは、会社で長めの休みが取れたら地元に帰ったが、社会人一年目が終わろうとするころ合いで父親は死んだ。
肺がんだったが、ストレスによる煙草の吸いすぎが原因なのは目にみえて明らかだった。死ぬにはまだ若かったため、がんの転移・進行は驚くほど速かった。

父は優しく思いやりのある人だったが、自分の周りの人のために頑張っていた反面、家庭を犠牲にしていた。お金の面からも逃げていた。頑固で自分の信念を持っていたが、人間関係はとにかく不器用だった。今思えば、発達障害の特性を持っていたのかもしれないし、色々と自分が知らない苦労もしていたのかもしれない。

自分は父親を反面教師とし、逆の生き方をしている。
家庭を優先し、他人からはドライと思われているかもしれない。
金の勉強をし、投資を始めて数年経ち、多少のノウハウは身につけた。
人間関係も器用に…とはいかなかったが、少なくとも自分の子供時代のような家庭崩壊は避けられている。

子供ができたと聞いたときは、自分の子供時代の家庭環境もあり、自分に幸せな家庭が築けるだろうかと不安があったが、努力すれば何とかなることもある。今のところは大丈夫。

嫁からのラインに気づく。「ご飯できたよ」。
思い出に浸っていたが、現実に戻る。

白飯しか食えなかった息子が、白飯にカレールーをかけて食べれるようになり、おまけに食後のデザートまで食べるようになったよ。

子供が食べ終わったのを確認し、嫁の作ってくれた夕飯を食べに家に帰る。

お、来月の父の日って日曜じゃん。息子と二人で飯行こう。

#子どもの成長記録

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